アルマダの海戦

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『無敵艦隊の敗北』(フィリップ・ジャック・ド・ラウザーバーグ画)

アルマダの海戦(アルマダのかいせん)とは、スペイン無敵艦隊英国侵攻における1588年7月21日から7月30日にかけての各種戦闘の総称。

なお、両国での暦が異なるため記録上の日付も異なっているが、慣例的にイギリス側の日付を用いており、本項でもそれに従う。


目次

[編集] 原因

スペインが英国を侵攻した要因の一つに、スペインが植民地から自国に物資を移送する途中で幾度と無く英国の海賊に襲われたため、英国の女王エリザベス1世に海賊船を取り締まるよう申し入れたが、エリザベス1世は聞き入れるどころか海賊行為に加担していた事があげられる。

[編集] 両軍の兵力・編成

[編集] スペイン軍

[編集] イギリス軍

[編集] 戦闘経過

艦隊の進路

[編集] 7月21日

夜明けとともにイギリス艦隊がスペイン艦隊の右翼後方から接近し砲撃を加える。その後、イギリス艦隊はスペイン艦隊の左翼後方の部隊へ攻撃を加えた。この戦いでスペイン側の副司令官が座乗するサンタ・アナ号は戦闘不能となった(サンタ・アナ号は左翼後方に配置されていた)。

またこの戦いの最中、サンサルバドル号が火災事故のため艦隊から離脱した。サンサルバドル号は艦隊の財務長官と金庫を搭載していたため、当艦の離脱は艦隊の士気に悪影響を与えた。

[編集] 7月23日(ポートランド沖の海戦)

[編集] 7月27日

スペイン艦隊はカレー沖に停泊し、物資を補給しパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの部隊(3万5千名)と合流する予定だったが妨害を受ける。

[編集] 7月28日(カレー沖の海戦)

深夜、イギリス艦隊により火船攻撃が行われた。8隻の船に可燃物を満載し風上からスペイン艦隊に突入させた。スペイン側も火船攻撃は想定していたようであるが、船の規模(100~200t)と数は想定以上のものだったようである。この攻撃に混乱したスペイン艦隊は、バラバラに出撃し、またその多くが予備の錨などを失ったため、海岸に沿って北東へと漂流していく。

[編集] 7月29日(グラベリン沖の海戦)

火船攻撃により三日月の陣形が崩れ、イギリス艦隊の射程に捕えられたスペイン軍は、集中砲火を浴び壊滅的な被害を受けた。夜明けからの戦闘で3隻を撃沈され2隻を大破させられた。戦闘が夜明けから日没まで続いたにもかかわらず、損害が少ないのは双方とも砲弾が残り少なくなっていたためである。

[編集] 7月30日

シドニア公が撤退を決定し、スコットランドを迂回して帰還を試みる。イギリス軍はもはや上陸の可能性は低いと判断し、スコットランドのフォース湾沖で追撃を打ち切った。スペイン軍は慣れない航路と連日の過労から座礁・難破・病気によりさらなる犠牲者を出した。

[編集] 結果

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スペイン衰退の予兆となった。この戦い以降、ネーデルランドにおける独立運動が活性化しスペインは商業における手足を失うことにつながった。

[編集] その他

[編集] 関連項目