ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス
Getúlio Dornelles Vargas
Getúlio Vargas - retrato oficial de 1930.JPG

任期: 1930年1945年
任期: 1951年1954年

出生: 1882年4月19日
サン・ボルジャ
死去: 1954年8月24日
リオデジャネイロ市
配偶者: ダルシー・サラマーニョ・ヴァルガス

ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスGetúlio Dornelles Vargas, 1882年4月19日1954年8月24日)は、ブラジルの政治家。1930年から1945年までの間と、1951年から1954年までの間にブラジル大統領を務めた。愛称はGEGE(ジェジェ)。

[編集] 経歴

1882年にブラジル南部リオグランデ・ド・スル州サン・ボルジャSão Borja)で生まれた。1911年3月ダルシー・リマ・サラマーニョと結婚した。政治家としては州議会議員、連邦議会議員を経て、1926年から1927年には大蔵大臣も務めた。

1930年の大統領選挙で敗れるが、当時の政治腐敗などの不満を背景に、軍事クーデタを成功させて政権を掌握した。1934年に議会から認められて正式に大統領の座についた。1937年、大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行った(この時期をエスタード・ノーヴォ体制(新国家体制)とも称する)。ヴァルガスの独裁は第二次世界大戦中も続くが、終戦後の1945年10月末に軍事クーデタが起こり失脚した。

1951年には、ヴァルガスはかつてのような軍事クーデタでなく、ブラジル史上初の民主的選挙によって大統領に就任した。その際、都市プロレタリアートや左翼からの支持を集めるため、その政治姿勢はかつてより左傾化しており、このために第二次ヴァルガス政権と、以降1964年までの諸政権の時代をポプリズモ時代と呼ぶ。

政権末期は国民解放党(共産党)に接近した。1954年にはこれに反発を抱いたアメリカ合衆国から独裁政治を糾弾される。また、反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、ヴァルガスへの退陣要求が強まった。こうした中、1954年8月25日にヴァルガスはピストル自殺を遂げた。

なお、ブラジルを代表するミュージシャンであるエドゥ・ロボシコ・ブアルキの共作曲である Dr. Getulio では、彼は国民から最も愛された首領で、革命が成功してからずっと自由主義のリーダーを務め、資本家と闘い高い国際的利益をもたらしたと讃えている。この曲はシモーネによってカヴァーされた。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語