ジュセリーノ・クビチェック

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ジュセリーノ・クビチェック
Juscelino Kubitschek de Oliveira
Juscelino.jpg

任期: 1956年1月31日1961年1月31日
副大統領: ジョアン・ゴラール(ジャンゴ・ゴラール)

出生: 1902年9月12日
ミナスジェライス州ディアマンティーナ
死去: 1976年8月22日(満73歳没)
リオ・デ・ジャネイロ
政党: ブラジル社会党
サイン: Jk-signature.jpg
ジュセリーノ・クビシェッキ橋

ジュセリーノ・クビチェック・デ・オリヴェイラ(Juscelino Kubitschek de Oliveira, 1902年9月12日 - 1976年8月22日)は、ブラジル政治家で、元ブラジル連邦共和国大統領。愛称は"JK"

目次

[編集] 政歴

ミナスジェライス州チェコ移民の家庭に生まれる。1934年に同州の州議会選挙に出馬し、その後1940年には州都ベロオリゾンテの市長に就任する。その後再選された後に、1950年よりミナスジェライス州知事を務めた。

[編集] 大統領

[編集] ブラジリア建設

1955年に「50年の進歩を5年で」をスローガンに大統領選挙に出馬し当選する。国民へのアピールに航空機を多用して南から北までブラジル中を周ったため、「ジェット大統領」と呼ばれた。1956年1月31日に大統領に就任し、日本アメリカドイツなどからの外資導入と工業化を積極的に推進するとともに、同年に内陸部の発展促進を目的に新首都ブラジリアの建設に取り掛かる。

建設はクビチェックの任期である5年以内に間に合うよう、急ピッチで進められわずか41ヶ月間で完成。1960年4月21日には沿岸部のリオ・デ・ジャネイロから首都を移し新首都としての共用を開始することになった。

しかし、ブラジリアの建設の為の無理な借款と首都移転にかかる膨大な資金、サンパウロやリオ・デ・ジャネイロ、クリチバなどの沿岸部の主要都市から遠く離れ、陸上交通手段も確立されていないブラジリアに首都を移転したことによる効率の低下などによる様々な経済的負担は、その後ブラジル経済に重くのしかかり、1960年代から1980年代にかけてのハイパーインフレとそれがもたらす経済停滞の原因となる。

[編集] 賛否

積極的な外資導入などにより日本アメリカなど諸外国での評価は高かったものの、ブラジリア建設と遷都などの強引な手法、そして経済的な混乱を招いたことに対してブラジル国内では賛否が大きく分かれた。

その後1960年10月に行われた大統領選挙では、ブラジル社会党選出の後継候補がサンパウロ州知事で国民民主同盟ジャニオ・クアドロスに敗れる。1961年1月に任期切れに伴い大統領を辞任する。

[編集] 辞任後

その後1964年4月に軍部親米派のカステロ・ブランコ将軍の起こしたクーデターにより、10年間の公民権剥奪を命ざれたことをきっかけにアメリカ及びヨーロッパ亡命する。その後1967年にブラジルに戻るものの、1976年にリオ・デ・ジャネイロ郊外で自動車事故により死亡した。なお、ブラジリアの国際空港にクビチェックの名前がつけられている。

[編集] 関連項目

先代:
ネレウ・ラモス
ブラジル連邦共和国大統領
1956 - 1961
次代:
ジャニオ・クアドロス
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