アンデス山脈

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アンデス山脈
Andes 70.30345W 42.99203S.jpg
宇宙空間からみたアンデス山脈
所在地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
チリの旗 チリ
ペルーの旗 ペルー
ボリビアの旗 ボリビア
エクアドルの旗 エクアドル
ベネズエラの旗 ベネズエラ
コロンビアの旗 コロンビア
位置 南緯32度39分10秒 西経70度0分40秒 / 南緯32.65278度 西経70.01111度 / -32.65278; -70.01111座標: 南緯32度39分10秒 西経70度0分40秒 / 南緯32.65278度 西経70.01111度 / -32.65278; -70.01111
最高峰 アコンカグア (6,960m)
延長 7,500km
350-750km
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アンデス山脈(アンデスさんみゃく、スペイン語: Cordillera de los Andes)は、主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmに亘る世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラコロンビアエクアドルペルーボリビアアルゼンチンチリの7カ国にまたがる。 最高峰はアコンカグア(6960m・一説には7021m)で、6000mを越える高峰が20座以上聳え立っている。新生代第三紀末(鮮新世)から現在までの太平洋プレートナスカプレートと南米大陸のぶつかり合いで隆起してできたと考えられている。

地質[編集]

上記のように海洋プレートの沈み込み帯の上側に乗った大陸プレートが、海洋プレートからの圧力を受けて隆起してできたと考えられている。この構造は日本列島とよく似ており、沖合には沈み込み帯に由来する海溝が存在し、山脈上にはたくさんの火山が噴出し、海溝周辺では度々チリ地震などの大きな地震が起きている。

地理[編集]

北アンデス[編集]

アンデス山脈の始まりはベネズエラ北部、トリニダード島に近いカリブ海沿岸である。アンデス山脈は、ここからほぼ東西にベネズエラ高地として伸びる。ベネズエラの首都カラカスもこの高地の中に存在する高原都市である。カラカス周辺以西のベネズエラ高原は気候がよく人口稠密地域となっており、東から西にカラカス、マラカイバレンシアバルキシメトといった都市が点在する。やがてベネズエラ高地は南西に向きを変え、メリダ山脈となる。メリダ山脈はメリダサン・クリストバルといった都市がある。この山脈はコロンビアにも続き、コロンビア東部山脈となる。コロンビア国内のアンデス山脈はこの東部山脈のほか、中央山脈と西部山脈があり、このに3つの山脈が北から南へ並走する形となる。この3山脈間には深い谷が刻まれており、東部・中央両山脈間にはマグダレナ川、中央・西部両山脈間にはカウカ川がそれぞれ南北に流れ、両河川は合流したのちカリブ海へと注ぐ。こういった地形のため、ボゴタやメデリンといった主要都市から太平洋岸へと輸送を行うには4000m級の山脈を1つまたは2つ越えなければならず、経済の大きなネックとなっている。また、こういった起伏に富んだ地形のため、コロンビアの治安は行き届いているとは到底言えず、各地にゲリラや武装勢力の跳梁を許す一つの理由となっている。

東部山脈にはベネズエラとの国境に位置するククタのほか、ブカラマンガトゥンハといった都市があり、中部にはコロンビアの首都ボゴタを擁するクンディナマルカ高原(海抜約2,600m)がある。中央山脈にも、主に中腹にコロンビア第2の都市であるメデリンや、マニサレス、アルメニア、ポパヤンといった都市があるが、西部山脈内には目立った都市はない。しかし、カウカ谷にはコロンビア第3の都市であるカリ市があり、この3山脈と間のマグダレナ・カウカ両河谷をあわせた地域はアンデス地域と総称され、コロンビア人口の大半が居住する経済の中心となっている。この3つの山脈は、コロンビア南部のコロンビア山塊で中央・東部両山脈が合流し、さらにコロンビア南端のロス・パストス山塊で西部山脈をも併せて、一本の太い山脈となる。この地域にはパスト市がある。

エクアドルではアンデス地域はシエラ(山地)と呼ばれ、オリエンタル・オクシデンタルの両山脈に別れて南へ伸び、エクアドルの首都キトクエンカなどの都市が位置する。キト盆地(海抜約2,800m)も古くからの集住地である。キトで赤道を越えるが、この付近には4,000mを越える稜線の上にチンボラソ(6,267m)や、世界最高の活火山であるコトパクシ山(5,897m)などたくさんの火山が噴出している。ペルーからエクアドルにかけての国境付近でアンデスはいったんやや高度が低くなる。ここまでは北アンデスとも呼ばれる。北アンデスには高原や肥沃な谷間が点在し、人口密度は高い。エクアドルは、このアンデス山地地方(シエラ)と、海岸地方(コスタ)の二つの地区の勢力が拮抗している。

中央アンデス[編集]

ペルーに入るとアンデス山脈は、海岸沿いの西部山脈とアマゾンに面する東部山脈、そしてその中間の中央山脈に分かれ、それぞれ南北に並行して伸びる。ペルー北部においてはアンデスの幅は南部に比べればそれほど広くはなく、カハマルカなどの都市が点在するものの人口は多くない。ペルーにおいてもエクアドルと同じく、シエラとコスタの対立構造があるものの、ペルーでは海岸地方の開発が進んでおり、大都市の多くは海岸地方にありペルー人口の半分以上も海岸地方に居住するため、アンデス山地の経済比重は海岸部に比べ低い。

ペルー南部に入り、南緯15度以南では山脈の幅が広がり、南緯28度くらいまで最も幅の広い地区となるが、この中でも最も広くなるボリビアでも幅は600km程度にしかならない。しかし、この地区のアンデスはペルー南部からボリビアにかけて、高度3500mから4500mあたりに広大で平坦な高原であるアルティプラーノ(海抜約4,000m)が広がっている。そこにはチチカカ湖ポーポー湖などの湖が広がり、ボリビアの首都ラパスやインカ帝国の首都だったクスコなどの大都市があって、ボリビアの人口の大半はこの高原部に集中している。その北も高原や肥沃な谷が広がっており、多くの人々が居住する。山脈が分かれた間には平坦な土地も多い。また、アンデスの西部山腹にはペルー第2の都市であるアレキパがある。

ボリビアに入ると、西部にはアルティプラーノが広がり、首都ラパスのほか、20世紀に入り世界最大の鉱山としてボリビア経済を支えたオルロ、16世紀より世界最大の鉱山として栄えたポトシといった古い鉱山都市が点在する。アルティプラーノは南部に行くにしたがって乾燥していき、南西部には巨大な塩湖であるウユニ塩湖が広がる。一方、アルティプラーノの東に広がる東アンデス山脈地方は、高度がアルティプラーノよりも低く、地形は険しいものの肥沃な谷間が各地に点在し、農業生産力の高い地域である。このため、コチャバンバスクレなどの都市が生まれ、ボリビア経済を支える地域となってきた。とくにコチャバンバ盆地は、オルロやポトシへの食糧供給基地として繁栄してきた。また、首都ラパスの北東に位置するユンガス地方は、アンデスの東麓にあたり、アマゾンから吹いてくる風の影響で暑く湿った気候となっている。このため霧が非常に多い。この地方も温暖なため農業生産力が高く、首都ラパスの食糧供給を担っている。しかし、地形は非常に険しく、とくにラパスとユンガスとを結ぶユンガスの道は重要な幹線であるにもかかわらず非常な悪路として知られており、2006年に新道が開通するまで年に100人近い死者が出ていた。

南アンデス[編集]

32度には最高峰アコンカグア山がそびえる。35度付近までは3,000m級の山が連なるが、それ以南はやや高度を下げる。チリの首都サンティアゴはこの付近の、西部山脈と主脈の間の構造平野に位置する。南緯42度以南は高度は2,000m程度であまり高くないが、寒冷な気候と西風による降水で氷河地帯を形成する。

経済[編集]

アンデス山脈は有用な鉱物が多く、古来からののほかにチリには近代的な銅の大鉱山が操業している。金・銀はスペインの中南米侵略以降の数百年の間に掘り尽くされた感があり、現在の産出量はそれほど多くはない。錫に関しては、第二次世界大戦の前後に需要が高まり、鉱山は好景気になったが、現在は掘っても採算が取れない状況にある。近年、リチウムなどの希少金属が発見され注目されている。

アンデス山脈は気候が温暖であることから農耕が盛んであり、とくに北アンデスから中央アンデスにかけては耕地が広がり、人口も稠密である。一方で、これらの農地の多くはそれほど肥沃ではなく、農地も細分化されていたり地主の支配下にあるなどして効率がよくなく、第二次世界大戦以降に海岸部で発達したプランテーションや大農園に押され気味である。このため、アンデスの農村の多くは豊かではなく、ペルーにおいてはアンデス山脈地方から多くの人口流出が起き、首都リマなどのスラムへと流れ込むものが多くなっている。

気候と風土[編集]

赤道直下を含む長く高い山脈で特に南緯23度以北では、海沿いの1000m以下の平地は熱帯気候だが、2300mまでは亜熱帯気候、3300mまでの高原盆地は人の住み易い冷涼な気候、4300mまでは寒冷地帯、それ以上はツンドラや氷雪の山地となる。

標高により気温が変わることは、アンデス地方の住民の言葉にも現れている。旅行者などがしばしば「君が生まれたところは標高どれくらいか?」という質問を受けることがあるが、これは「暖かいところで生まれたのか、寒いところで生まれたのか」を尋ねている。

ペルー・ボリビアやチリに広がる高地、アルティプラーノは、寒冷で乾燥した気候である。より寒冷な南部は作物の栽培にも牧畜にも適さないが、アルティプラノ北部はより赤道に近いためやや気温が高く、トウモロコシやジャガイモなどを中心に盛んに農耕がおこなわれ、また灌漑をおこなうことによりより大規模な生産をおこなうことができる[1]ため、ティワナク文化やインカ帝国など古代文明を生み出す母体となった。また、標高が高く空気が希薄であるため紫外線が強い。

アンデス山脈はジャガイモトマトなどの重要な食用植物の原産地としても知られる。特にジャガイモは、形・色・味などのバラエティが豊富である。アルティプラーノでは寒冷で乾燥した気候を生かし、ジャガイモを屋外で軽く踏んだ後に凍結乾燥させたチューニョと呼ばれる食材が有名である。

アンデス山脈は、細いが非常に高度が高い上に長く伸びているので、近隣の気候にも重大な影響を及ぼしている。アンデスの北部においては、西麓は偏西風がアンデスにぶつかるために熱帯雨林が広がっており(en:Tropical Andes)、また東麓はサバナ気候となってリャノが広がる。中部のエクアドルやペルー、チリ北部では、西麓は太平洋を寒流であるフンボルト海流が流れるために降雨がほとんどなく、砂漠気候の地域が延々と広がっている(en:Dry Andes)。アンデス山脈内には降雨があるため、そこから流れ下る川の流域のみがオアシスとなっている(en:Puna grasslanden:Central Andean wet punaen:Central Andean punaen:Central Andean dry puna)。一方、東麓には大西洋からの偏東風がぶつかるため1年中多雨であり、世界最大の熱帯雨林であるアマゾン熱帯雨林が広がっている。チリ中部やアルゼンチン中部となる南緯30度くらいより南のホーン岬(南緯56度)までになると、西麓には偏西風が山脈にぶつかる冬に降雨があるため地中海性気候となり(en:Wet Andes)、一方東麓(パタゴニア)では乾燥気候が広がるようになる。

歴史[編集]

Cono de Arita, Salta. (Argentina).jpg

上記冷涼地域に紀元前1000年頃からチャビン文化が成立し、紀元前後からはナスカティワナクモチェなどのアンデス文明が生まれた。紀元700年頃にはペルー中央高地にワリ文化が成立し、アルティプラノにて継続していたティワナク文化との並立期を迎えた。9世紀後半頃にはモチェ文化の遺民によってチムー王国がペルーの北部海岸に成立し、シカン文化などを併合して海岸部を支配する帝国となった。1100年頃にティワナクが衰退するとチチカカ湖周辺は諸民族の抗争の舞台となったが、そのうちインカ帝国が勢力を拡大し、1476年ごろには最後の敵対する大勢力であったチムー王国を併合し、1500年頃にはインカがエクアドルからチリ北部までのアンデスを制覇した。しかし、1532年のスペイン人の侵入によって、アンデスの先住民独自の文明と政治組織は滅びた。「アンデス」という名称は、このインカを興した民族であるケチュア族の言葉で東を指す「アンティ」によるものとされる。

1533年フランシスコ・ピサロがクスコに入城し、インカ帝国がほぼ滅亡すると、アンデス全域はスペインの植民地統治のもとにおかれた。リマに本拠を置いたペルー副王領がアンデスのみならず南アメリカのスペイン領全土を統括したが、その統治は過酷なもので、アンデスのインディオ人口はこの時期に激減している。しかしそれでもインディオはかなりの人数が生き残り、アンデスのほとんどはインディオが多数を占める世界であり続けた。一方、アンデスの各地にはスペインが植民都市を建設し、多くの白人が流入した。なかでもボリビアのポトシは16世紀以降世界最大の銀鉱山として知られ、ここからの莫大な銀の産出はスペイン黄金時代を現出させることとなった。これらの白人とインディオの間の混血はメスティソと呼ばれ、やがてアンデスの人口の多くを占めるようになっていく。

18世紀末になると、本国からの白人が優位を占める体制に、植民地人たちが不満を強めていき、1780年にはクスコ周辺でトゥパク・アマルー2世の乱がおきるなど、スペインの支配体制が揺らぎ始める。スペイン本国においてもナポレオン戦争によって従来の体制が大きく揺らぐ中、シモン・ボリーバルホセ・デ・サン=マルティンの手によってアンデス諸国は次々と独立を達成していった。

独立はしたものの、アンデス諸国の情勢は不安定なものだった。各国を大きく統合しようとしたシモン・ボリーバルやホセ・デ・サン=マルティンが相次いで失脚すると、各地のカウディーリョたちは各地に割拠し、やがて現在の7か国にまとまった。しかし各国の勢力範囲は固まっておらず、国境線は何度も引き直された。1836年にはボリビアのアンドレス・デ・サンタ・クルスがペルーを征服し、ペルーを北ペルー共和国南ペルー共和国に分けたうえでペルー・ボリビア連合を建国したものの、この統合に危機感を覚えた周辺各国の介入によって1839年にこの連合は崩壊し、以後アンデスの国家数は7で固定された。

19世紀のラテンアメリカ諸国を巻き込んだ保守派と自由主義派の対立はアンデス諸国においても激しかったが、アンデス諸国においては保守派はアンデス山岳部に基盤を置くことが多かった。とくにエクアドルにおいては、首都キトを中心とするアンデス山岳地方(シエラ)と太平洋岸のグアヤキル港を中心とする海岸部(コスタ)との対立が20世紀前半にいたるまでエクアドル国内政治の主要な争点となっていた。エクアドルは山岳部の人口が稠密であり、19世紀半ばの山岳部と海岸部の人口比は8対2にも及んでいたため山岳部を握る保守派が優勢となっていたが、やがて山岳部の農地の疲弊と海岸部の開発の進展によって海岸部が経済力をつけ、海岸部に基盤を置く自由主義派の政治が行われるようになっていった。

1879年にはペルー・ボリビアとチリの間で太平洋戦争が勃発し、勝利したチリはボリビア領のアントファガスタやペルー領のアリカイキケを占領し、アンデス西部山麓の広大な領土を獲得した。一方、この戦争に敗れたペルーはグアノの大産地を失って経済危機に陥り、ボリビアは西部山脈以東に押し込められて内陸国となった。この戦争以降、アンデス部分においては大幅な国境変更はなくなった。

政治[編集]

アンデス山脈の走る7か国のうち、大西洋を志向し国内におけるアンデス地区の比重が非常に低いアルゼンチンを除く6か国(ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ)はアンデス諸国またはアンデス6か国と呼ばれる[2]。このうちベネズエラを除く5か国は1969年アンデス共同体を結成し、1973年にはベネズエラも加盟したものの、1976年にチリが脱退、2006年にはベネズエラも脱退した。一方で残った4か国は徐々に協力体制を深め、1993年にはベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ボリビア間で域内関税が撤廃され、2006年にはペルーもこれに参加してアンデス自由貿易圏が完成した[3]。また、加盟国間の移動に関しては2003年より身分証明書の提示のみでパスポートがなくとも各国間を移動できるようになる[4]など、一定の統合が進んでいる。

山名のリスト[編集]

イリマニ (ボリビア)
アルパマーヨ (ペルー)
チンボラソ (エクアドル)

南から北へ順番に、主要な山のみ(標高は資料によって異なる)

Wet Andes[編集]

パタゴニア・アンデス

Dry Andes[編集]

チリ/アルゼンチン・アンデス

Tropical Andes[編集]

ボリビア・アンデス レアル山群
ボリビア・アンデス その他
ペルー・アンデス ブランカ山群
ペルー・アンデス ワイワッシュ山群
ペルー・アンデス その他
エクアドル・アンデス
コロンビア/ベネズエラ・アンデス

脚注[編集]

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  1. ^ 「ラテンアメリカを知る事典」p55 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 
  2. ^ 「地球を旅する地理の本 7 中南アメリカ」p65 大月書店 1993年11月29日第1刷発行
  3. ^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/latinamerica/keizai/andes/andina_gaiyo.html 外務省「アンデス共同体 概要」2015年1月28日閲覧
  4. ^ 二村久則編集『コロンビアを知るための60章』エリアスタディーズ90  135ページ 明石書店 2011年6月30日初版第1刷 

関連項目[編集]

地名[編集]

関連国[編集]

歴史・文化[編集]

言語[編集]

音楽[編集]

食文化[編集]

動物[編集]