コロンビア革命軍

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コロンビア革命軍 (西:Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia、FARC) は、南米コロンビア最大の反政府武装組織である。

1964年5月27日結成。中南米最大の左翼ゲリラ組織。自由党系の武装農民運動から出発し、1966年、伝説的な指導者マヌエル・マルランダが最高司令官に就任。コロンビアの寡頭体制の打倒、土地改革、富の再分配を掲げ、マルクス・レーニン主義社会主義革命政権樹立を目指す。農民主体のゲリラであるにも関わらず、幹部にはインテリも含まれ、組織のホームページを運用(現在は政府の圧力で閉鎖中)し情報収集活動も行なっていることからハイテク・ゲリラと呼ばれることもある。

1980年代初頭までは勢力1千人規模だったが、80年代に麻薬密売組織と協力関係を結び、コカイン原料のコカ栽培地やコカイン精製工場、コカイン密輸ルートを保護することで多額の軍資金を獲得。政府軍より高性能の兵器を備えることで急速に勢力を拡大させた。その規模は1995年にコロンビア政府が麻薬組織を壊滅させてからFARCがコカイン取引に直接関与することで急成長し、95年当時6千人規模だったのが10年間で3倍の1万8千人に膨れ上がった。一時は日本の3倍強の面積を持つコロンビアの3分の1(日本とほぼ同じ)を実効支配下に置き、支配地域でのコカ栽培への課税、住民からの徴税、要人誘拐による身代金やコカイン取引で毎年推定8億ドルもの活動資金を得ていた。

1984年に政府との和平交渉に応じ、翌年愛国同盟 (UP) という合法政党を創設。実際に国会に議員を送り込んだが、議員や関係者は3千人も暗殺され、1994年には政党資格を消失し国政から離脱した。

誘拐は日本人も何度も標的になっており、1991年8月には東芝の技術者2人が誘拐(同年12月解放)。1998年2001年には元山梨県議が2度誘拐され、いずれも無事解放されたが、2001年2月に誘拐された矢崎総業の現地法人副社長は約2年9ヵ月後の2003年11月に遺体で発見された。

1998年に就任したアンドレス・パストラーナ大統領は反政府左翼ゲリラとの対話による和平実現を公約に掲げ、1999年1月からFARCと和平交渉を再開し、政府は交渉のためコロンビア南部の広大な地域から国軍と警察部隊を撤退させ非武装地帯を設けたが、交渉は不調に終わった。FARCは首都ボゴタ南部のサン・ビセンテ・デル・カグアンに事実上の「首都」を置き、一時はキューバのように武力で政権を奪取するのではないかという話も現実味を帯びるほど勢力は強大で活動は活発だったが、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件以降は国際社会がテロに対して非常に厳しい姿勢を示すようになり、コロンビア政府も米国に同調する形でFARCに対し強硬な態度に出るようになった。2002年2月20日、南部のネイバからボゴタへ向かう国内線プロペラ機がFARC構成員にハイジャックされ、和平交渉担当の上院議員が拉致される事件が発生すると、これを契機に政府は最終的に交渉を打ち切り、国軍を展開させて事実上FARCの支配下にあった非武装地帯を奪回した。

2002年8月に就任したアルバロ・ウリベ大統領は1983年に実父をFARCに殺害されており、FARCに対し厳しい対決路線を打ち出した。ウリベ政権下での徹底的な掃討作戦でFARCは勢力を減退させ、ベネズエラ国境地帯とコロンビア南西部のジャングル地帯に追い込まれた。相次ぐ幹部の逮捕や殺害、兵士の脱走、大量投降で現在の兵力は1万人を切るなど弱体化が進んでいる。

2007年8月からベネズエラのウゴ・チャベス大統領を仲介役にして人質解放交渉が始まり、同年末から2008年2月にかけて750人の誘拐した人質のうち6人を解放したが、交渉に当たっていたNo.2のラウル・レジェス3月1日早朝にエクアドル領内で他の23名とともにコロンビア空軍の空爆を受けて殺害された。その際コロンビア当局が押収したパソコンの記録などから、FARCが核物質のウラン50キロを入手していた可能性が強まった。また7日には最高幹部の1人であるイバン・リオスが部下の護衛に殺害された。これで最高幹部7人のうち2人を短期間に失ったことになり、FARCにとっては大きな打撃となった。

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