インテリ

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インテリまたはその原語であるインテリゲンチャロシア語: интеллигенция、Intelligentsia、インチリギェーンツィヤ)とは、知識階級を指す言葉。なおそのような立場にある個人知識人ともいう。対比語の多くは大衆民衆)。

概要[編集]

知識階級とも表現されるこの社会的な階層は、主に学問を修め、多くの現象を広い見識をもって理解して、様々な問題を解決する知恵を提供したり、その知識によって発見発明された成果物を提供することによって、社会から対価を得て生活する。具体的には、政治家経営者として社会や経済を知識によって先導し、また芸術家クリエイターとして、文化的な創作活動によって、社会に新しい価値観を育んだり、学者として各々の分野を深く探求したり、または教師として教育の場で他を指導する立場を担い、その一方で報道関係者や評論家として道徳やモラルに関する警告を発して社会を律したりする者たちである。その一方で単にインテリと略されている場合は、単に高学歴であるというだけの意味にも使われるケースもある。

関連語[編集]

ロシア語語源とするインテリゲンチャでは無く、英語インテリジェンス英語: intelligence)の略語でもインテリと表現される場合がある。その場合はもちろん、知識階層としての意味は持たず、個もしくはシステムが知的であることを指す。

インテリジェントビル情報化に対応して、通信電力などのインフラを重点的に整備されたビル)の省略形としてインテリビルと呼ぶ場合も見られる。中で働いている人間が主にインテリだから、こう呼ばれる訳ではない。

ヤクザの中にもインテリヤクザと呼ばれる系統がある。これらでは商業やそれに関連する法律に明るく、経済活動を持ってヤクザ社会に利益を与える存在であるが、これは主にインテリゲンチャではなくインテリジェンスの省略形だとされる。「層」ではなく「個」であるためである。

知識階層の意味を持って利用される例としては、アルフレート・ヴェーバー造語知識社会学カール・マンハイムが積極的に論じた(自由に浮動するインテリゲンチャドイツ語版)といった言葉があり、社会学など学問の世界で術語として用いられている。

置き換え[編集]

似たようなイメージを持つ概念としては選民思想にも絡むが、日本では以下の語が用いられる事もあり、特に1990年代以降ではインテリが死語(廃語)にもなってきているため、置き換えも見られる。

ハイソ
ハイソサエティ(=上流階級)の略だが既に死語になりつつある。インテリを含む上流社会に属する人々の層を指す。日本では近年、大衆は各々の生活において「中の上」であると考えており、大衆とは無縁とされていた家系に付属する身分―門閥・閨閥の階級は否定的に扱われる事もあるため、上流社会という社会的階層の存在も否定的に扱われるケースも見られる。
セレブ
セレブリティの略で、直訳では「著名人」だが、近年の日本では裕福な階層や生活を指す意味で使われている。本来の意味はマスメディアへの露出が高く社会的注目度が格別高い人々を指す。「空き樽は音が高い」という慣用句もあるが、目立つこととインテリジェントかは関係がない。

日本国内における動向[編集]

日本では明治時代以降の、学問が広く大衆に開かれたものとなっていく過程において、労働者階級の対比語として略語のインテリが用いられるようになっていった。太平洋戦争以後は学問の大衆化が更に加速し、かつては高等教育として一般大衆には無縁と考えられていた大学大学院で、多くの人が学問を修めるようになり、次第にインテリ層の拡大が起こっている(駅弁大学を参照)。

ただ、更に時代を下がって1970年代以降に、学問が単なる就職のための踏み台として利用されるようになり、他方では知識を持っている事と選民思想が連携して、知識の無い層を否定的に扱うような風潮が出始めた辺りから、世相の上でインテリの在り様に対する否定的な見解が現れはじめた感は否めない。

1980年代に入るとこの就職のための大学という位置付けはますます加速し、同時に学問を修める過程でその理解の度合いを計測するための試験が、試験のためだけに学習する、言い換えれば学問を修めるのではなく、大学の教育課程を通過するために学習するという逆転現象が発生するに至り、学徒(学問の習熟過程にある存在)としての学生は減り、単に大学に在籍しカリキュラムを消化するだけの「大学生」の増殖によって、その学習意欲面での質の低下も懸念された。

1990年代に至っては、この「大学生」の質の低下は「小中学校で教わっている筈の基本」すら理解できていない学生の増加や、学習意欲の欠落による活字離れの問題もあり、また大学を出てなお非科学的な物を平気で信じる理科離れの問題もはらんで、「学問」という社会基盤の崩壊が危惧される事態まで発生している。

1970年代以前より、いわゆるインテリが、その学問をもって他をおとしめるようなネガティブな印象は存在したが、特に近年ではネットコミュニティ上にて発生しては物議を醸している学歴差別に見るような、修めた学歴を一つの指標として優位性の誇示を行う人間の存在が、なおもインテリの失墜を招いている。また他方では、インテリが専門分野でのみ優れた知識を有し、それ以外では常識にも欠ける者も見られた事から、オタクとの同一視も発生している。

元よりインテリは知識面での優位性を持ってその地位が確立されるのではなく、知識を用いて社会に奉仕するからこそ、社会から大切にされるという物だけに、そこを履き違えて知識だけを溜め込んだだけの存在は、度々周囲から否定的に扱われては当人らが憤慨するという現象を招いている。

他方では、知識を得る事自体が否定的に扱われ、先に挙げた活字離れ・理科離れを加速させる傾向にある。これらでは本来、学問を修めるべき学生に在ってすら学問から遠ざかるという状況も見られる。この場合では学問を真面目に修めている側が、「ガリ勉」などとして揶揄されるケースもあり、学問の習熟を妨げる事態も発生している模様である。

関連項目[編集]