ノート:インテリ

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コメント[編集]

>元よりインテリは知識面での優位性を持ってその地位が確立されるのではなく、知識を用いて社会に奉仕するからこそ、社会から大切にされるという物だけに、そこを履き違えて知識だけを溜め込んだだけの存在は、度々周囲から否定的に扱われては当人らが憤慨するという現象を招いている。

「知識だけを溜め込んだだけの存在」を悪い事と断定しているように読めてしまうので別な書き方でお願いします。

>「空き樽は音が高い」という慣用句もあるが、目立つこととインテリジェンスがあるかどうかは関係がない

読み手に、セレブと呼ばれる人が中身の無い人物であるような印象を与えているように感じました。慣用句は無くても良いのでは? --121.117.70.162 2008年2月13日 (水) 23:43 (UTC)[返信]

>「知識だけを溜め込んだだけの存在」を悪い事と断定しているように読めてしまう
悪いというのではなく、純粋に無能というだけですね。それで、無能なので否定される・・・と。十分に論理的で妥当です。
セレブのすべてがビヤ樽や空き樽ともいってないので問題ないでしょう。空き樽セレブもいればそうでないセレブもいて、インテリであることとセレブであることは無関係という意味ですね。--59.86.20.86 2008年2月14日 (木) 08:32 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

記事名を「インテリゲンチャ」にWikipedia:改名提案いたします。一般の事典や辞書に合致しているほうが適切と考えるためです。--四葉亭四迷会話2018年2月11日 (日) 13:17 (UTC)[返信]

上記の投稿に「== 改名提案 ==」節を付けました[1]。「一般の事典や辞書に合致しているほうが適切」とのことなのですが、ちょうどつい最近『広辞苑』の第七版が発行されています。四葉亭四迷さんはこの辞書を引いてはみましたか?--雛鳥(Hinadori) 2018年2月13日 (火) 17:52 (UTC)[返信]
大きめの図書館で調べました。広辞苑第六版、広辞苑第七版、大辞泉第二版、大辞林第三版、新明解国語辞典第七版のすべてにおいて、見出し語「インテリ」を引くと「インテリゲンチアの略」または「インテリゲンチャの略」と説明されていました。--四葉亭四迷会話2018年2月17日 (土) 12:47 (UTC)[返信]
ありがとうございます。『広辞苑』第七版については私の方でも確認しましたが、231頁に「インテリ」の見出しで「インテリゲンチアの略」と示されており、次の232頁では「インテリゲンチア」の見出しにて語意の解説があり、別の表現として「インテリゲンチャ」「インテリ」が表されていました。一方、小学館の『現代国語例解辞典』第五版では103頁に「インテリ」の見出しで語意の解説と「インテリゲンチャの略」という表示があり、「インテリゲンチア」「インテリゲンチャ」という見出しはありませんでした。「インテリゲンチア」と「インテリゲンチャ」という表記ゆれがあるのに加え、「インテリ」という略称も広く一般的に使用されていると考えられるため、私はあまり改名の必要を感じません。--雛鳥(Hinadori) 2018年2月17日 (土) 23:51 (UTC)[返信]
──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── そのため、この提案には 反対 とします。--雛鳥(Hinadori) 2018年2月18日 (日) 11:47 (UTC)[返信]

反対 - WP:CRITERIAを参照すれば明確なように、より簡潔で短く一般的で、辞書という信頼できる情報源において見出しとして採用されているものを記事名とすべきです。この提案はテレビをテレビジョンに改名しようというのと同種のもので、到底受け入れられる内容ではないと思います。--Okritre会話2018年2月28日 (水) 08:36 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。(1)表記ゆれの問題を検討しないままの提案であったことは不十分でした。「『インテリゲンチャ』(または『インテリゲンチア』『インテリゲンツィア』)」に意見を改めます。(2)Wikipedia:記事名の付け方を読みました。「簡潔 - 短く、要点を突いているもの」のほかに「基本的には日本語での正式名称を使用します」との記述もあります。(3)「インテリ」は一般に広く用いられている略称ですが、ウィキペディア日本語版も百科事典の一つである以上、この場合他の多くの事典類と同様に、見出し語としては略語でなく正式な呼称を使用したほうがよいと考えます。「コンビニ」でなく「コンビニエンスストア」、「セクハラ」でなく「セクシャルハラスメント」の記事名が採用されているのと同様の扱いであるほうが好ましいという意見です。編集履歴をたどってみたところ、2005年8月29日の初稿は記事名「インテリ」で、出典皆無でした。(4)同じ理由で、「テレビ」は「テレビジョン」に改名したほうがよいと思います(この場所で提案するということではありませんが)。(5)提案から3週間近く経過して賛成をいただけておらず、今回採用されない可能性が大きいと予想しますが、記事名を決めるにあたって既存の事典類の見出し語の状況がしっかりと考慮されることを願うものです。--四葉亭四迷会話2018年3月2日 (金) 11:23 (UTC)[返信]

典拠のない記述の大幅な除去を提案します。[編集]

まず、2017年8月に独自研究が指摘されていながらまったく改善されていない「置き換え」節を除去しました。個人的には、明らかに誤った記述であると思います。もし、同一ないし、類似の記述を復帰させるべきとお考えの方がおいででしたら、典拠の明示を丁寧におこなってください。

その上で、典拠の記述もなく、中立性が疑われる記述であると指摘されながら、それについての議論が進められていない「日本国内における動向」節についても、このまま記述を残すことにはデメリットの方が大きいものと思われますので、1週間程度待っても状況が改善しないようであれば、記述を除去したいと思います。

さらに、特段の指摘はされていないものの、「概要」節の後半、「知識人の社会的グループを特徴づけるために」以降は、日本語として不自然ですし、「intelligentsia Vitaly Tepikinの理論の父」に至っては、山田にはまったく意味不明です。もちろんこれは、山田の不勉強の故かもしれませんが、少なくとも百科事典的記述として説明不足であると思います。また、「関連語」節も、「インテリヤクザ」については典拠を見出せるかと思いますが、「インテリジェント」との関連を述べるのであれば、もっぱら「インテリジェントビル」に言及するのは奇妙ですし、「インテリアと同じ語源」というのもかなり強引で、誤解を呼びかねない説明不足の記述です。また「社会学など学問の世界で術語として用いられている」のは「インテリ」なのか?「インテリゲンチャ」なのか?安易には断言できないでしょう。仮に社会学文献に「インテリ」の使用例が多くあったとしても、「インテリゲンチャ」より優先して用いられていると断じて良いのか、議論が必要かと思います。以上の節については、2週間程度待っても状況が改善しないようであれば、記述を除去したいと思います。

もちろん、このような提案を乱暴だとお考えの方もおいでになるかもしれません。議論を歓迎します。--山田晴通会話2019年6月11日 (火) 20:47 (UTC)[返信]