レオ・ガメス

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レオ・ガメス
基本情報
本名 Silvio Rafael Gamez
通称 Torito
階級 バンタム級
身長 152.5cm[文献 1]
リーチ 161cm
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
誕生日 1963年8月8日(50歳)
出身地 ベネズエラ
プロボクシング戦績
総試合数 48
勝ち 35
KO勝ち 26
敗け 12
引き分け 1
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レオ・ガメスLeo Gamez、男性、1963年8月8日 - )は、ベネズエラ出身の元プロボクサー。史上初めて最軽量級からの4階級制覇と同一団体(=WBAのみ)の世界4階級制覇を達成した。

本名はシルヴィオ・ラファエル・ガメス。スペイン語で「ライオン」を意味するリングネームの"レオ"は母親の姓から取った。

スタイル[編集]

ズングリした体格と長いリーチ、軽量級離れした破格の強打を武器に世界中で戦い続けた。試合の際に体の半分ほどもある大きなトランクスを履いてくるのが特徴。

また、サウスポースタイルの対戦相手を苦手としており(セレス小林ソーンピチャイ・クラティンデーンジムにKO負け、ピチット・チョーシリワットとの防衛戦でもダウンを連続して奪われる苦戦だった)、最後まで克服できなかったようである。

来歴[編集]

1985年2月14日、プロデビュー。

1987年4月30日、13戦目でベネズエラライトフライ級王座獲得。8月22日には初防衛に成功。

1988年1月10日、世界初挑戦。WBA世界ミニマム級初代王座を金奉準韓国の旗 韓国)と争い、12回判定勝ち。17戦目にして無敗のまま世界王者となった。4月24日の初防衛戦で日本のリングに初登場。東京後楽園ホール横沢健二日本の旗 日本/三迫)と対戦し、3回TKO勝ち[文献 1]。王座防衛に成功するが、この試合以降、1年半試合から遠ざかり、王座も返上する。

1990年4月29日、2階級制覇を目指し世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王座を14度防衛中の柳明佑韓国の旗 韓国)に挑む。再三にわたり王者を苦しめたが、12回判定負けで偉業達成ならず。また、デビュー以来の連勝も20でストップした。11月10日、柳に再挑戦するが、ここでも12回判定負けを喫した。

1991年10月5日、フライ級での世界挑戦。WBA世界同級王者金容江韓国の旗 韓国)に挑むが、ここでも12回判定負けを喫した。

1993年10月21日、日本で2度目の試合(後楽園ホール)。柳の引退・王座返上で空位となったWBA世界ライトフライ級王座を八尋史朗日本の旗 日本/帝拳)と争い、9回TKO勝ち。2階級制覇を達成する[文献 2]。その後、1つの引き分けを含み3度の防衛に成功。

1995年2月4日、4度目の防衛戦で元WBA世界ミニマム級王者崔煕庸韓国の旗 韓国)と対戦し、12回判定負け。王座から陥落。

1995年5月20日、再起戦でWBAラテンアメリカフライ級王座決定戦に出場。同国人の元WBA世界フライ級王者アキレス・グスマンを12回判定に降し、王座獲得。9月18日には初防衛に成功。

1996年3月23日、WBAラテンアメリカ王座在位のまま世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プルンチットタイの旗 タイ)に挑むが、12回判定負けで王座奪取ならず。

1996年10月7日、WBAラテンアメリカ王座2度目の防衛戦でグスマンと再戦し、12回判定負けを喫し、王座から陥落。その後、2年間リングから遠ざかる。

1998年10月3日、2年ぶりの復帰戦でWBAラテンアメリカ王座再挑戦。同国人のヒルベルト・ゴンザレスを8回KOに降し、王座復帰を果たした。

1999年3月13日、通算12度目の世界戦。WBA世界フライ級王者ウーゴ・ソトアルゼンチンの旗 アルゼンチン)に挑み、3回TKO勝ち。ストロー級王座獲得から11年を経て、3階級制覇を達成。

1999年5月29日、WBA世界フライ級王座在位のままWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦に出場。ホスエ・カマチョプエルトリコの旗 プエルトリコ)を8回TKOに降し、これで4階級制覇達成。なお、この王座はすぐに返上。

1999年9月3日、WBA世界フライ級王座初防衛戦。ソーンピチャイ・クラティンデーンジムタイの旗 タイ)に8回KOで敗れ、王座陥落。この試合がプロデビュー以来、初のKO負けとなった。その後、1年余りのブランク。

2000年10月9日、3度目の日本での試合。名古屋愛知県体育館でWBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹日本の旗 日本/)に挑み、7回KO勝ち。これで正規世界王座4階級制覇を達成[文献 3]

2001年3月11日、初防衛戦(4度目の日本での試合=横浜アリーナ)でセレス小林日本の旗 日本/国際)と対戦し、10回TKO負け。王座から陥落した[文献 4]

2002年11月8日、シュガー・レイ・レナードトーマス・ハーンズオスカー・デ・ラ・ホーヤ(いずれもアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国)に次ぐ4人目の5階級制覇を懸け、WBA世界バンタム級王者ジョニー・ブレダルデンマークの旗 デンマーク)に挑むも、12回判定負け。

2003年10月4日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦に出場(5度目の日本での試合=東京・両国国技館)。3年前にスーパーフライ級王座を奪取した戸高と再戦するが、12回判定負け。3年前の雪辱を許す。

2005年12月22日、プーンサワット・クラティンデーンジムタイの旗 タイ)が持つWBA世界バンタム級暫定王座に挑むも12回判定負け。この試合を最後に現役を引退した。

通算戦績[編集]

48戦35勝(26KO)12敗1分。WBA世界王座4階級制覇達成

参考文献[編集]

  • ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  1. ^ a b 27頁上段
  2. ^ 69頁下段
  3. ^ 147頁上段
  4. ^ 148頁上段

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
階級新設
初代WBA世界ミニマム級王者

1988年1月10日 - 1988年4月24日

次王者
金奉準
前王者
柳明佑
第13代WBA世界ライトフライ級王者

1993年10月21日 - 1995年2月4日

次王者
崔煕庸
前王者
マウリシオ・パストラナ暫定
第32代WBA世界フライ級王者

1999年3月13日 - 1999年9月3日

次王者
ソーンピチャイ・クラティンデーンジム
前王者
暫定王者
第11代WBA世界スーパーフライ級暫定王者

1999年5月29日 - 1999年(返上)

次王者
N/A
前王者
戸高秀樹
第13代WBA世界スーパーフライ級王者

2000年10月9日 - 2001年3月11日

次王者
セレス小林