市場原理主義
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市場原理主義(英:Market fundamentalism)とは、全てを市場に委ねれば公平さと繁栄が約束され、市場へのいかなる干渉も社会的幸福の減少につながるとする思想的立場。自由市場を万能とする経済哲学に対する軽蔑語として使われることもある。
1998年にジョージ・ソロスが著書の中で19世紀におけるレッセフェールの概念のより良い表現として市場原理主義を紹介したことから知られるようになった。
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[編集] 新自由主義との関連
新自由主義(neo-liberalism)は、市場原理主義の思想を、政府の経済・社会政策、ならびに個人の人間類型などに適用したものである。特に歴代の米国共和党政権や、英国のサッチャー首相の時代、市場原理主義の思想が重視された。この言葉は世界各国で、国営事業、公営事業の民営化、小さな政府の推進などを正当化する思想として用いられてきた。日本では小泉政権の経済政策が最も市場原理主義の思想を体現した新自由主義的性格を帯びていると言われる。
また、同時にこの小泉政権下で日本は遂にバブル崩壊後の失われた10年から脱出し、GDPが(数字の上では)成長を続けたとされているが[1]、名目GDPは1997年と同水準であり、当然のことながら多くの人々にはこの好景気の実感はなく、景気回復の恩恵が一部の高所得者や大企業に集中しているとして、格差の拡大が論じられるようになった。
その後、行き過ぎた市場原理主義が一因となって2008年に世界金融危機が発生、日本どころか全世界が不況に再突入して以降市場原理主義は勢いを失った。日本においては、かつて小渕内閣時代に「経済戦略会議」の議長代理を務め、新自由主義や市場原理主義を推進した中谷巌がこれと決別し、立場を一転させたことでも話題となった。また、第2次小泉改造内閣で厚生労働大臣を務めた尾辻秀久などの与党議員からも批判的な声が上がっている。
[編集] 新古典派経済学との関連
市場原理主義は新古典派経済学が理論化の便宜のためおいた前提や、その前提から導き出された命題を規範化し、現実の経済・社会ならびにそれを構成する個人をこの前提や命題の通りに作りかえることによって、新古典派経済学がエレガントな数理モデルで描き出している均衡の理想世界が実際の地上に君臨し、人々があまねく富裕を享受できる至福が訪れるとする思想的立場である。[2]
新古典派経済学それ自体は、数学を多用して科学的に公正中立な概観を見せてはいるが、経済・社会の現実を必ずしも正しく抽象しているわけではない。ここから、それを忠実に受け継ぐことを主張する市場原理主義は、科学的装いのもとに富裕者の利益を図る役割を果たすことがしばしばである。今日、市場原理主義的な政策による格差社会化が議論を呼んでいる。その背景には、新古典派経済学で、労働を不効用(苦痛)、賃金をこの不効用に対する補償ととらえているため、高所得者はこの不効用をより強く耐え忍ぶ者と理解されている問題がある。社会的公正をめざし所得再分配を図ろうと累進課税や高所得者の社会保険料増額によって高所得者の実質所得を切り下げる政策は、富裕者の勤労意欲をそぎ、社会的に非効率となるから、政府は行うべきでない、と市場原理主義者は唱える。
[編集] 代表的な市場原理主義支持者
政治家
学者・知識人
財界人
その他
[編集] 脚注
- ^ 内閣府の国民経済計算 1996年以降 http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/qe074-2/gdemenuja.html
- ^ 参考となる論述: http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Report/pdf/2001_02_05_0701.pdf
- ^ 竹中本人は、2009年2月4日放送の『久米宏のテレビってヤツは!?』(毎日放送制作・TBS系列)など、いくつかの番組内で「私は市場原理主義を唱えたことなど一度も無い」と反論している。

