カラカスFC

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カラカスFC
原語表記 Caracas Fútbol Club
愛称 Los Rojos del Avila[1]
クラブカラー 赤と白と黒
創設年 1967年
所属リーグ リーガ・ベネゾラーナ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン カラカス
ホームスタジアム エスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCV
収容人数 20,000
代表者 ベネズエラの旗 フィリップ・バレンティネル
監督 ベネズエラの旗 エドゥアルド・サラーゴ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

カラカスFCスペイン語: Caracas Fútbol Club)は、ベネズエラの首都カラカスを本拠地とするサッカークラブチーム。リーガ・ベネゾラーナでは史上最多の11度の優勝回数を誇る[2]

歴史[編集]

1967年、ホセ・ベラスカーサやホルヘ・クベドゥなどのグループがヤマハFC(Yamaha FC)という名前で現在のカラカスFCとなるクラブを創立した。アマチュアチームとしてミランダ州のサッカー協会に登録し、当初は自由時間の有効活用する程度のクラブであったが、アマチュアリーグで成功を収め、1984年にはカラカス=ヤマハFCに名称を変更すると、セグンダ・ディビシオン(2部)への参加を認められた。

プロとしての初年度にリーグ戦を制し、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格の権利を得た。トップリーグ1年目は降格をなんとか回避し、1986年シーズンは降格の不安もなく、まずまずのシーズンを過ごした。RCTVがクラブの所有権を得てヤマハとの共同所有となり、現行のカラカスFCに改名した。

マヌエル・プラセンシア監督とルイス・メンドーサ監督の指揮下で1987年シーズンは過去最高の成績を残した。前後期終了後には上位8クラブによるセリエ・スダメリカーナに出場し、そこで上位2クラブに残ればコパ・リベルタドーレス予選出場権を獲得できたが、最終節でライバルのデポルティーボ・タチラに敗れ、惜しくも国際大会出場権を逃した。リーガ・ベネゾラーナは1988年にリーグ戦方式の改革が行われ、それまでの春秋制からヨーロッパの主要リーグと同じ秋春制に移行した。1988-89シーズンは順調な滑り出しを見せ、コパ・デ・ベネスエラでも勝ち上がったが、シーズン後半戦には出場停止者や負傷者が続出し、ほとんどチーム崩壊の状態に陥った。しかし、クラブの所有者であるギジェルモ・バレンティネルを中心としたCocodrilos Sports Organizationがクラブを救った。

1989-90シーズンはリーグ戦で4位となった。2年後の1991-92シーズンはプラセンシア監督の下でクラブ史上初のリーグ優勝を果たした。1993-94シーズンはペドロ・フェブレス監督の下で2度目のリーグ優勝を遂げ、不成功に終わった1994-95シーズンを経て、プラセンシア監督が復帰した1995-96シーズンには再びリーグ王者に返り咲いた。歴史的にコパ・デ・ベネスエラは不安定で魅力に乏しい大会であったが、1994年と1995年には同大会で2連覇を飾った。また、1995年にはコパ・リベルタドーレスで初めて決勝トーナメントに進出した。その後は4年連続で無冠に終わったが、カルロス・モレノ監督の下で5度目のリーグタイトルを獲得した。

1999年のコパ・メルコノルテでは準決勝に到達し、国際大会での最高成績を記録した。2000年には37歳のノエル・サンビセンテ監督が就任し、彼の下で2002-03シーズン、2003-04シーズン、2005-06シーズン、2006-07シーズン、2008-09シーズンと5度のリーグ優勝を果たした。2007年のコパ・リベルタドーレスではグループリーグを2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でブラジルのサントスFCに敗れた。2009年の同大会では過去最高のベスト8となった。2010年にはサンビセンテが退任してセフェリーノ・ベンコーモ監督が就任し、優勝決定戦(2試合制)でライバルのデポルティーボ・タチラを破って11度目のリーグ優勝を飾った。

ユニフォーム[編集]

クラブカラ―は赤と白と黒である。ホームユニフォームは、黒色のラインが入った赤色のシャツ、黒色のパンツ、黒色のソックスである。アウェーユニフォームは、赤色のラインが入った白色のシャツ、赤色のラインが入った白色のパンツ、白色のソックスである。サードユニフォームは、赤色のラインが入った黒色のシャツ、赤色のラインが入った黒色のパンツ、黒色のソックスである。

スタジアム[編集]

エスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCV(2008-09シーズン)

2006-07シーズン以来、通常のホームゲームはココドリロス・スポーツパークで開催する。ココドリロスは最大で3,500人を収容できるが、将来的には6,000人収容に、さらに遠い未来には15,000人収容に拡張する計画がある。フィールドには人工芝が張られている。多くの観客を期待できる国内リーグ戦や国際試合などは、エスタディオ・ブリヒド・イリアルテで開催する。ブリヒド・イリアルテは同じくカラカスに本拠地を置くデポルティーボ・イタリアも使用している。公式には12,000人収容と発表されているが、ライバルのデポルティーボ・タチラ戦やサンパウロFC戦などで20,000人の観客を集めたことがある。近年は30,000人収容のエスタディオ・オリンピコ・デ・ラUCVでも試合を開催する。コパ・リベルタドーレスの試合は優先してオリンピコ・デ・ラUCVを使用し、重要な国内リーグ戦も同様である。ココドリロスの拡張・再設計工事の関係で、2007-08シーズン以来、オリンピコ・デ・ラUCVは暫定的なホームグラウンドとして使用されている。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

1991-92, 1993-94, 1994-95, 1996-97, 2000-01, 2002-03, 2003-04, 2005-06, 2006-07, 2008-09, 2009-10
  • セグンダ・ディビシオン:1回
1984
  • コパ・デ・ベネスエラ:6回
1988, 1994, 1995, 2000, 2009, 2013

成績[編集]

リーグ戦[編集]

リーガ・ベネゾラーナは1シーズンが2ステージに分かれており、各ステージの最上位クラブがプレーオフを行って年間優勝クラブを決定する。同一クラブが2ステージそれぞれで最上位となった場合は、プレーオフを行わずにそのクラブが優勝となる。

優勝 準優勝
シーズン ステージ 国内リーグ 国際大会 備考
2002-03 アペルトゥーラ 1位
クラウスーラ 4位 プレーオフに勝利してリーグ優勝
2003-04 アペルトゥーラ 1位
クラウスーラ 1位 コパ・リベルタドーレスGS敗退 プレーオフを行わずにリーグ優勝
2004-05 アペルトゥーラ 2位
クラウスーラ 2位 コパ・リベルタドーレスGS敗退
2005-06 アペルトゥーラ 5位
クラウスーラ 1位 コパ・リベルタドーレスGS敗退 プレーオフに勝利してリーグ優勝
2006-07 アペルトゥーラ 1位
クラウスーラ 2位 コパ・リベルタドーレスベスト16 プレーオフに勝利してリーグ優勝
2007-08 アペルトゥーラ 1位
クラウスーラ 2位 コパ・リベルタドーレスGS敗退 プレーオフに敗れてリーグ準優勝
2008-09 アペルトゥーラ 3位
クラウスーラ 1位 コパ・リベルタドーレスベスト8 プレーオフに勝利してリーグ優勝
2009-10 アペルトゥーラ 3位
クラウスーラ 1位 コパ・リベルタドーレスGS敗退 プレーオフに勝利してリーグ優勝
2010-11 アペルトゥーラ 3位 コパ・スダメリカーナ2回戦敗退
クラウスーラ 2位 コパ・リベルタドーレスGS敗退
2011-12 アペルトゥーラ 2位
クラウスーラ 4位 コパ・リベルタドーレス1回戦敗退
2012-13 アペルトゥーラ 2位
クラウスーラ 5位 コパ・リベルタドーレスGS敗退
2013-14 アペルトゥーラ 2位
クラウスーラ

カップ戦[編集]

1993: グループステージ敗退
1995: ベスト16
1996: グループステージ敗退
1998: 予選敗退
2001: 予選敗退
2002: 予選敗退
2004: グループステージ敗退
2005: グループステージ敗退
2006: グループステージ敗退
2007: ベスト16
2008: グループステージ敗退
2009: ベスト8
2010: グループステージ敗退
2011: グループステージ敗退
2012: 1回戦敗退
2013: グループステージ敗退
2010: 2回戦敗退
1998: グループリーグ敗退
1999: ベスト4
1993: ベスト8

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ カラカス近郊のアビラ山が赤く見えることに由来する
  2. ^ Homewood, Brian (2009年6月1日). “S.America roundup-Five-goal Caracas win Venezuela title”. Reuters. 2009年8月31日閲覧。

外部リンク[編集]