アンドレーアス・イサクソン

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アンドレーアス・イサクソン Football pictogram.svg
Issaks kh.jpg
名前
ラテン文字 Andreas Isaksson
基本情報
国籍 スウェーデンの旗 スウェーデン
生年月日 1981年10月3日(32歳)
出身地 スウェーデンの旗 トレッレボリ市Smygehamn
身長 198cm
体重 87kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 カスムパシャAS
ポジション GK
背番号 15
利き足 右足
ユース
-1999 スウェーデンの旗 オストラ・トルプGIF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999 スウェーデンの旗 トレッボリ 11 (0)
1999-2001 イタリアの旗 ユヴェントス 0 (0)
2001-2004 スウェーデンの旗 ユールゴーデン 75 (0)
2004-2006 フランスの旗 レンヌ 62 (0)
2006-2008 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 19 (0)
2008-2012 オランダの旗 PSV 124 (0)
2012- トルコの旗 カスムパシャ 34 (0)
代表歴2
1996-1997 スウェーデンの旗 スウェーデン U-16 19 (0)
1998 スウェーデンの旗 スウェーデン U-18 1 (0)
1999-2003 スウェーデンの旗 スウェーデン U-21 23 (0)
2002- スウェーデンの旗 スウェーデン 106 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年6月17日現在。
2. 2013年6月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレーアス・イサクソンAndreas Isaksson, 1981年10月3日 - )は、スウェーデントレッレボリ市英語版Smygehamn出身の同国代表サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

経歴[編集]

クラブ[編集]

スウェーデンとイタリア[編集]

トレッレボリ市英語版Smygehamnに生まれたイサクソンは、ユース時代を地元のオストラ・トルプGIF(Östra Torp GIF)で過ごし、1999年にトレッレボリFFへ移籍すると、2人のGKが怪我したことで出番が訪れ17歳の時にトップリーグデビューを果たした。その才能が注目を集め、1999年6月にイタリア1部の名門ユヴェントスFCに引き抜かれた。しかし、同時期にオランダ代表エトヴィン・ファン・デル・サールが加入したことで出番は訪れず、2001年1月16日に母国のユールゴーデンIFと契約を締結した[1]

ユールゴーデンではラミ・シャーバンを控えに追いやり正GKの座を掴み、ステファン・バルリン, ニクラス・ラスク, アブガル・バルサム, ステファン・レーン英語版らと共に中心選手として2002年シーズンのリーグ優勝に貢献。また、カップ戦決勝でライバルのAIKソルナを1-0で破り、ルアイ・チャンコ, バビス・ステファニディス, キム・シェルストレームらと優勝カップを掲げ、2冠を達成。その結果から年間最優秀GK賞に輝いた[2]。また、翌2003シーズンもリーグを制し2連覇を達成、再び年間最優秀GK賞に選出されている[2]

レンヌ[編集]

2004年7月、イングランド1部チェルシーFCへ移籍したペトル・チェフの後釜としてフランス1部スタッド・レンヌと契約。1シーズン目は全38試合に出場し、得点王に輝くアレクサンダー・フライと共に4位躍進の原動力として活躍、UEFAカップ2005-06英語版出場権を得た。2シーズン目は7位に終わったものの、前年に引き続き、そして4年連続となるスウェーデン年間最優秀GK賞を受賞した[2]

マンチェスター・シティ[編集]

2006年8月15日にイングランド1部のマンチェスター・シティFCへ移籍金200万ポンドで加入[3]ポーツマスFCへ移籍したデイヴィッド・ジェームスの後釜そして正GKとして期待された[3]が、代表戦での足の怪我、さらにクラブの練習中にベルナルド・コッラーディと衝突したことによる膝の怪我からなかなか出番が訪れず[4]、12月9日のマンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー(1-3敗北)中に怪我をしたニッキー・ウィーバー英語版と交代する形でようやく移籍後初出場を果たした[5]。その後もウィーバーにポジションを明け渡していた[6]ものの、2007年3月14日のチェルシーFC戦(0-1敗北)で移籍後2度目となる先発出場を果たすと、同試合から最終節までの残り10試合全てに出場、そのうち4試合を無失点に抑え、最終節のトッテナム・ホットスパー戦(1-2敗北)でジャーメイン・デフォーのPKを防ぐ[7]など活躍した。

2007-08シーズン前にスウェーデンとベルギーで行った試合の殆どに出場していたが、練習で親指を骨折、その後に右膝を怪我した[8]ことで同シーズン最初の2ヶ月を欠場を余儀なくされた。2007年10月31日のフットボールリーグカップボルトン・ワンダラーズFC戦で2007-08シーズン初出場を果たし無失点に抑える[9]も、若手のジョー・ハートと世界的GKピーター・シュマイケルの息子カスパー・シュマイケルの存在からなかなか出番が訪れずにいた[10]。その後、11月末から12月の5試合にローテーションの一環として起用されたものの、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が近い将来の正GKをハートに見据えた[11]こともあり、出場機会を求めて2008年1月に別のクラブを模索し、これに呼応するようにトルコ1部の強豪ガラタサライSKからローンでの移籍話が舞い込むんだが、完全移籍のみを望んだため拒否、残留が決定した[12]。しかし、シュマイケルが2部カーディフ・シティに貸し出され第2GKの地位に就くもベンチを温める日々が続いた。5月11日の最終節ミドルスブラFC戦(1-8敗北)で久しぶりに出場したが大量失点を被り[13]、この試合がマンチェスター・シティでの最後の試合となった。

PSV[編集]

2008年7月2日、トッテナム・ホットスパーFCへ移籍したエウレリョ・ゴメスの後釜としてオランダ1部の強豪PSVアイントホーフェンと4年契約を締結[14]。移籍してすぐさまディルク・マルセリス, イブラヒム・アフェレイ, ジェイソン・クリナ, ティミー・シモンスらと共に中心選手としてプレーすることに成功するも、前シーズン王者として臨んだこの2008-09シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09で勝利したのは10月23日のオリンピック・マルセイユ戦(2-0)[15]のみとグループリーグを最下位で敗退し、さらにリーグ戦では4位に終わったことでUEFAチャンピオンズリーグ 2009-10出場権獲得には至らず、チームとしては失敗に終わった。

2009年夏にフレット・ルッテン監督が就任以降も正GKとして起用され、2009-10シーズンのクラブは第25節まで無敗で首位の座に着いていたが、残り9試合で勝ち点僅か13しか獲得出来ず、最終的に王者FCトゥウェンテ, 2位のアヤックス・アムステルダムに次ぐ3位に終わった。翌2010-11シーズンもこの3クラブ間での争いになったが再び3位に終わり、またしてもUEFAチャンピオンズリーグ出場を逃した。

PSVでは、マンチェスター・シティ時代とは打って変わり背番号1を付けて正GKを務めていたが、2011-12シーズンの3月上旬に行われたトゥウェンテ戦(ホーム2-6敗北)UEFAヨーロッパリーグ 2011-12スペイン1部バレンシアCF戦(2-4敗北)と2試合合計10失点と大量失点を被ったことでポーランド代表プジェミスワフ・ティトンの起用を考慮され[16]、そのまま同選手にポジションを奪われた。以降、出番が訪れることはなく同シーズン終了に伴い契約満了したため退団が決定。PSVではリーグ戦出場124試合を記録した。

トルコ[編集]

2012年7月9日に4シーズンぶりに昇格を果たしたトルコ1部のカスムパシャAS英語版へ2015年までの3年契約で移籍した[17]

代表[編集]

2002年3月のスイス戦でラーシュ・ラーゲルベック監督とトミー・セデベリ英語版監督率いるスウェーデン代表デビュー[18]をし、同年に2002 FIFAワールドカップのメンバーに選出されるも、マグヌス・ヘドマンマグヌス・シールステット英語版に次ぐ第3GKとしての役割から出場はなかった。以降は、ヘドマンの控えとしての日々が続いていた[18]が、その後、怪我をした同選手にとって代わりUEFA EURO 2004予選終盤から正GKの座を掴むと本大会でも引き続き正GKとして出場し、オロフ・メルベリ, クリスティアン・ヴィルヘルムソン, ズラタン・イブラヒモヴィッチ, エリック・エドマンらと共にグループリーグ首位突破に貢献した。しかし、続くオランダ戦(0-0)ではPK戦(4-5)の末に惜しくも敗退した[19]

UEFA EURO 2012スウェーデン代表としてプレーするイサクソン。

続く2006 FIFAワールドカップでも正GKを務め、フレドリック・ユングベリ, マルクス・アルベック, テディ・ルチッチ, ニクラス・アレクサンデションらと共に2位でグループリーグを突破するも、ドイツとのベスト16でヘンリク・ラーションのPK失敗、そしてルーカス・ポドルスキの2得点に沈んだ[20]

UEFA EURO 2008では、初戦のギリシャ戦(2-0勝利)で前回王者相手に無失点に抑える[21]活躍を見せ、メルベリ, イブラヒモヴィッチ, フレドリック・ストール, ダニエル・アンデションらが尽力するも3位でグループリーグ敗退に終わった。また、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でも引き続き正GKを務めたが、デンマーク, ポルトガルに次ぐ3位に終わったため、本大会出場権を逃している。

UEFA EURO 2012予選では10試合中9試合に出場。チームは、予選最終節で首位オランダに勝利したことで全予選グループで最も成績が良い2位チームとなったことで、プレーオフを経ず本大会進出が決定[22]。2012年5月29日にエリック・ハムレーン英語版監督の下で本大会23人のメンバーに選出される[23]と、グループリーグ最終節のフランス戦(2-0勝利)で無失点に抑えた[24]ものの、前回大会に続き、グループリーグ敗退に終わった。

2012年10月12日のフェロー諸島戦でスウェーデン代表史上8人目となる通算出場数100試合を達成した[25]

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ
スウェーデンの旗 ユールゴーデンIF
オランダの旗 PSVアイントホーフェン
個人
  • スウェーデン年間最優秀GK賞 : 2002, 2003, 2004, 2005, 2009, 2011, 2012[2]

脚注[編集]

外部リンク[編集]