ティミー・シモンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ティミー・シモンス Football pictogram.svg
Timmy Simons Club Brugge.jpg
クラブ・ブルッヘでのシモンス
名前
ラテン文字 Timmy SIMONS
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 1976年12月11日(38歳)
出身地 フランデレン地域の旗フランデレン地域
フラームス=ブラバント州の旗フラームス=ブラバント州
ディースト
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ
ポジション DH / CB
背番号 3
利き足 右足
ユース
1982-1988 ベルギーの旗 リルラール・スポルト
1988-1995 ベルギーの旗 KTHディースト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 ベルギーの旗 KTHディースト 81 (2)
1998-2000 ベルギーの旗 ロンメル 61 (5)
2000-2005 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 152 (22)
2005-2010 オランダの旗 PSV 158 (14)
2010-2013 ドイツの旗 ニュルンベルク 102 (6)
2013- ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 38 (7)
代表歴2
2001- ベルギーの旗 ベルギー 93 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月24日現在。
2. 2013年11月27日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ティミー・シモンスTimmy Simons, 1976年12月11日 - )は、ベルギーフラームス=ブラバント州ディースト(en)出身のサッカー選手ベルギー代表ジュピラーリーグクラブ・ブルッヘ所属。ポジションは主に守備的ミッドフィルダー

経歴[編集]

クラブ[編集]

ベルギー[編集]

下部組織で育ったKTHディースト英語版でキャリアを開始した後、1部ロンメルSK英語版でセンターバックとして定位置を掴み[1]、2シーズン後の2000年にクラブ・ブルッヘと契約した。

クラブ・ブルッヘでは、トロント・ソリードen)監督によって守備的ミッドフィルダーへ転向[1]させられながらも、ここでも同様にすぐさま定位置を確保し、最終的に長年クラブを支えてきたヘルト・ヴェルハイエンen)から主将を引き継いでおり、ペナルティキッカーを務める等、シーズンを経る度に不可欠な選手へと成長した。退団するまでの間で2度のリーグ優勝と2度のカップ優勝、また、2002年にはベルギー・ゴールデン・シュー[2]、2003年には年間最優秀選手賞を受賞した[3]

PSV[編集]

2004-05シーズン終了後にオランダ1部フェイエノールトからオファーがあり、同胞バルト・ホールの助言もあって契約するかと思われていたものの、ルート・フリット監督があまり関心を示していなかった[4]ことや双方が望む移籍金額の開きにより交渉成立とはならず[5]、最終的に2005年6月29日に同じオランダ1部のPSVアイントホーフェンと4年契約を締結した[6]。PSVでも1季目から主力として、またPKキッカーとしてリーグ優勝に貢献し、次の2006-07シーズンには、チーム内で唯一リーグ戦全34試合に先発出場をする[7]等、不可欠な存在となると、2007-08シーズン前の合宿中にロナルド・クーマン監督から現役引退をするフィリップ・コクーの後継として主将に任命され[7]、2007年9月27日には契約を2011年夏まで延長した[8]。同2007-08シーズンも変わらずにチームを献身的に支えるプレーは、ファンからも愛され、2007年10月8日のヴィレムII戦の際には自身を称えるバナーが掲げられる[9]等、充実の一途を辿っており、最終的にGKのエウレリョ・ゴメスに並ぶ33試合に出場し、1度のPKを含む4得点でチームの4連覇達成に貢献した。

PSVに加入してから4季間での欠場はリーグ戦で僅か3試合のみだったものの、2009-10シーズンに就任したフレット・ルッテン新監督は守備的MFの位置に新加入のオルランド・エンヘラールを据えたことで9試合の欠場、そして定位置を奪われて退団へと繋がった[10][11]

ニュルンベルク[編集]

1.FCニュルンベルクでのシモンス

2010年7月16日にドイツ1部1.FCニュルンベルクと2年契約を締結[12]。翌日のイプスウィッチ・タウンFCとの練習試合を以ってPSVと正式に別れを告げた[13]シモンスは、34歳という年齢ながらも1試合平均走行距離でリーグ全体8位を記録する豊富な運動量[14]のみならず、21日のボルシア・メンヒェングラートバッハとの開幕戦でリーグ戦初出場を飾って以降、リーグ戦全34試合にフル出場をしてチームの6位躍進に貢献した[15]2011-12シーズンの冬の移籍市場では、古巣クラブ・ブルッヘから接触があったものの、2012年1月10日に契約を2014年6月まで延長している[16]。同2011-12シーズン、次の2012-13シーズンは全試合フル出場とはいかないまでも、リーグ戦全試合に出場する不可欠な選手であり、チームは2季連続10位だった。

クラブ・ブルッヘ復帰[編集]

2013年6月12日にクラブ・ブルッヘと延長オプション付きで2年契約を締結し、8年ぶりに古巣に復帰を果たす[17]。復帰第1戦となったシャルルロワSCとの開幕戦では、エデルソン・トルメナen)へのファールで21分に退場している[18]

代表歴[編集]

ベルギー代表としては2002 FIFAワールドカップに出場。代表出場34試合目となった2004年のセルビア戦で初主将を務め[19]、その後のレネ・ヴァンデレイケンen)時代とフランキー・ベルコーテレン監督時代には定期的な主将だった[20]が、2009年9月9日のアルメニア戦を最後にトーマス・フェルメーレンへ主将の座が渡り、後任のディック・アドフォカート監督時代には招集されずにいた[21]。アドフォカート監督の後任のジョルジュ・レーケンス監督の下では、経験豊富さを買われ、2010年8月にフィンランド戦へ向けて招集されて[20]以後は重用されており、UEFA EURO 2012予選では10試合全てで先発出場をしていたが、マルク・ヴィルモッツ監督が就任するとアクセル・ヴィツェルをレギュラーに据えることに決定したため[22]、控えにまわることが多くなり、最終的に2014 FIFAワールドカップのメンバーから落選した。シモンスの不在は大きく驚かせ、Twitter上では議論となっていた[23]が、ヴィルモッツ監督は「ティミーとは2002年W配で共にプレーしてきた仲であり、感情的に非常に難しい選択だったが、その位置にはヴィツェルやマルアン・フェライニがおり、スティーヴン・ドフールもいる。彼らは若いが成熟している」と説明した[24][25]

タイトル[編集]

クラブ

ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ

オランダの旗 PSVアイントホーフェン

個人

脚注[編集]

外部リンク[編集]