ユヴェントスFC

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ユヴェントスFC
原語表記 Juventus Football Club s.p.a
愛称 La Vecchia Signora
Bianconeri
Zebre
クラブカラー スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ 白と黒
創設年 1897年
所属リーグ セリエA
ホームタウン トリノ
ホームスタジアム ユヴェントス・スタジアム
収容人数 41,000
代表者 Flag of Italy.svg アンドレア・アニェッリ
監督 Flag of Italy.svg アントニオ・コンテ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ユヴェントス・フットボール・クラブ(Juventus Football Club s.p.a) は、イタリアトリノを本拠地とするサッカークラブチーム。ユベントスとも。

目次

[編集] 概要

ユヴェントスはラテン語で「若者」や「青春」を意味するユウェントゥス (juventus/iuventus) に由来する。ユーヴェ (Juve) と略称される場合もある。愛称はエンブレムやユニフォームからビアンコネーロイタリア語で「白と黒」、複数形でビアンコネーリや、シニョーラ「老貴婦人(イタリアの貴婦人)」などがある。サポーターのことをユヴェンティーノという。

白と黒の縦縞がクラブカラーだが、これはノッツ・カウンティの同じユニフォームが由来となっている。それまでは、ピンクのユニフォームを使用していた。

エンブレムの真ん中にいるのは馬ではなく牛。これはホームのトリノ市の紋章にも描かれていて、トリノの語源がタウリーニ(牛の人々)であることが由来である。

スクデット獲得回数27回など、イタリアのみならず世界を代表するクラブ。1996年から1998年には3年連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出。過去7度決勝に進むもうち5度は準優勝に終わっている。欧州の主要リーグでは、国内リーグの優勝回数が最も多いクラブがUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数も最多である場合が多いが、セリエAプレミアリーグに関しては例外である。

ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。ただし全国的に人気があることが嫌われてか、地元トリノではトリノFCの方が人気がある。

2005-06シーズン時点までは、1929年のセリエA開幕以来一度もセリエBイタリア2部リーグ)に降格したことがない2チームのうちの1つであった。現在も降格経験がないインテルとの対戦はイタリアダービーと呼ばれ国内外の注目を集め、ミラノダービーローマダービーと並び、イタリアを代表するビッグマッチの一つである。

いわゆる「カルチョ・スキャンダル」によるペナルティを受け、2006年にクラブ史上初めてセリエBへ降格した。

[編集] 歴史

[編集] 創設期 - セリエA以前

1898年の選手
1903年の選手

クラブは1897年11月1日にマッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによってスポルト・クラブ・ユヴェントス(Sport Club Juventus)として創設された。1900年よりイタリア選手権(後のセリエAに相当する全国大会)に参加。この時期までユヴェントスが使用していたピンクと黒のユニフォームは色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在の白と黒(ビアンコネッロ)に代わった。この配色は、当時クラブに所属したイングランド人選手ジョン・サヴェージから代替ユニフォームを頼まれた母国の友人がノッツ・カウンティのファンであったことに由来する。

1905年にイタリア選手権で初優勝した。1906年にはクラブの紛争によってスイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、FBCトリノ(現トリノFC)を創設した。

1923年、地元の自動車会社フィアット社オーナーのエドアルド・アニェッリがクラブが買い取り、会長に就任。これが現在まで続くアニェッリ家とフィアットによるユヴェントスへの関与の端緒となる。1925–26シーズンには21年ぶりにイタリア選手権に優勝した。

[編集] セリエA発足 - 欧州制覇

1929年にセリエAが発足。間もない1930年代前半には5シーズン連続の優勝を飾り、クラブの歴史上最初の黄金時代を築いた。1934年のFIFAワールドカップ・イタリア大会に優勝したイタリア代表には、アルゼンチン出身のFWライムンド・オルシやMFルイス・モンティ、代表主将を務めたGKジャンピエロ・コンビら、実に9人ものユヴェントス選手を含んだ。

1947年にジャンニ・アニェッリが会長に就任、クラブは株式会社化された。1940年代はライバルであるACトリノ(現トリノFC)の好調の影に隠れる格好になった。

1957–58シーズン、初めてのダブルを達成したのみならず、通算10回目のリーグ優勝によってステッラ(星)を胸に付けることを認められる最初のクラブになった。このシーズンから1960–61シーズンまでの4シーズンの間にスクデット3回、カップ2回を獲得。長らくクラブの最多得点記録者だったジャンピエロ・ボニペルティジョン・チャールズオマール・シヴォリのFW三人組は「魔法のトリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。

1960年代以降、欧州のカップ戦でたびたび上位に入ったが、優勝にまでは至らなかった。

ジョヴァンニ・トラパットーニ
スタディオ・オリンピコ・ディ・トリノ

1976年に監督に就任したジョバンニ・トラパットーニは、1986年まで続く長期政権下に多くの栄誉をもたらした。まず、初年度の1976–77シーズンにクラブ初の欧州タイトルとなるUEFAカップで優勝。セリエAでもコンスタントに優勝し、1981–82シーズンに通算20回目のリーグ優勝を達成。1983–84シーズンにUEFAカップウィナーズカップで初優勝。

1984–85シーズンのUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)において、3度目の決勝進出で初勝利し、念願の欧州チャンピオンに輝いた。試合前にはイングランドのフーリガンの蛮行に端を発する惨劇で多くの死傷者が出た(詳細はヘイゼルの悲劇を参照)。同年末にはトヨタカップでアルゼンチンのアルヘンティノス・ジュニアーズをPK戦で破り、世界一のタイトルも手に入れた。

この時代には、セリエAで3シーズン連続得点王となったミシェル・プラティニを始め、後にユヴェントスの最多試合出場記録を作るガエターノ・シレアFIFAワールドカップ・スペイン大会得点王のFWパオロ・ロッシらがいた。

1980年代後半から1990年代前半にかけて、セリエAではしばらく優勝から遠ざかったが、その間にも欧州では2度UEFAカップを優勝した。

[編集] 2度目の欧州制覇

1994年にマルチェロ・リッピが監督に就任すると、初年度の1994–95シーズンに9年ぶりにスクデットを獲得。1995–96シーズンには、後に絶対的なバンディエラとなるアレッサンドロ・デル・ピエロがエースとして活躍、UEFAチャンピオンズリーグで2度目の欧州チャンピオンに輝き、同年末のトヨタカップにも勝利した。特にUEFAチャンピオンズリーグでは、1995–96シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するという離れ業を成し遂げている。

[編集] 低迷期

1998–99シーズンはセリエA3連覇は堅いと予想されていた。しかし、蓋を開けてみると、予想に反して期待を裏切ったシーズンだった。開幕戦こそペルージャに勝利したものの、デル・ピエロがシーズンを棒に振るほどの大怪我を負って以降は、無得点試合が何試合も続くほどの慢性的な得点欠乏症に苦しみ、中位に低迷した。マルチェロ・リッピが監督を退任した後、カルロ・アンチェロッティが監督に就任したが、セリエA優勝には届かなかった。

[編集] 2001年以降

約3年間のブランクを経て、再びマルチェロ・リッピが監督に就任すると、2001-02、2002-03シーズンのセリエA連覇を果たす。また、2002-03シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝に駒を進めたが、PK戦の末、惜しくもACミランに敗れる。次のシーズン、セリエAで3位に終わったことの責任を取り、マルチェロ・リッピ監督が辞任。フロントは新監督にファビオ・カペッロを指名した。カペッロ監督の下、ユヴェントスは2004-05、2005-06シーズンを連覇する。

[編集] セリエA昇格 - 現在

カルチョ・スキャンダルでの厳しい処分による影響や相次ぐ主力放出により、苦戦が予想された2006–07シーズンは、アレッサンドロ・デル・ピエロダヴィド・トレゼゲジャンルイジ・ブッフォンパベル・ネドヴェドなどが残留し、ディディエ・デシャン監督の下、セリエB優勝を決めて1年でのセリエA復帰を果たした。

下馬評ではUEFAチャンピオンズリーグへの復帰は難しいだろうと考えられていた2007-08シーズンは予想を覆す勢いで勝利を挙げ3位でシーズンを終え、2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予備戦3回戦からの復帰が確定。デル・ピエロとトレゼゲの2トップはリーグ戦合計で41ゴールを挙げ、デル・ピエロは21ゴールで得点王のタイトルを獲得した。

しかし、2008-09シーズンは無冠が決定し、シーズン途中でクラウディオ・ラニエリは解任され、かつてユヴェントスのDFとして活躍したチロ・フェラーラがシーズン終了まで指揮を執ることとなった。

2008-09シーズンが無冠で終わったことから、2009年夏の移籍市場では活発に動き、市場開幕前にレアル・マドリードよりフリートランスファーで、かつて所属したファビオ・カンナヴァーロを、また、ヴェルダー・ブレーメンより2450万ユーロでジエゴを、更に移籍金2050万ユーロ(約27億円)に加え、イタリア代表経験のあるMFマルコ・マルキオンニと引き換えにフィオレンティーナからブラジル代表のフェリペ・メロを獲得した。

2009-10シーズンは昨季途中から引き続きフェラーラの指揮の下、開幕当初は勝ち星を重ねることができたものの、徐々に成績を落としていき、チャンピオンズリーグはグループリーグで敗退、21節を終えた時点で首位と勝ち点16差を付けられるなどチームは低迷する。コッパ・イタリアも敗退が決まるとクラブはフェラーラを解任。後任としてアルベルト・ザッケローニの監督就任が発表された。36節カターニア戦で引き分け、来季のチャンピオンズリーグ出場権が消滅してしまった。このシーズン結局7位に終わる。

2009-10シーズンの不振を踏まえ、アレッシオ・セッコSD(スポーツディレクター)らフロント陣の改革が行われ、会長にアンドレア・アニェッリが就任し、GD(ゼネラルディレクター)にジュゼッペ・マロッタを招聘。監督にはルイジ・デル・ネーリが就任。

2011年、セリエAのチームとしては珍しいチアガールチーム(メンバー写真)が結成され、フロムワンの雑誌「CALCIO2002」(2011年3月号)に紹介された。チアガールの面々はホームスタジアムでの入場セレモニーやスタンドの応援だけにとどまらず、トリノの街角で選手と同じユニフォームとチームカラーの黒と白の大きいポンポンを振りかざしてのゲリラ的パフォーマンスを繰り広げるなどして盛り上げている。セリエAのクラブではチアガールはこれまで登場したことがないことから、注目された。

2010-11シーズン中盤以降の失速により、最終的に前年度と同じ7位というヨーロッパの舞台に立つ事すら許されない結果となった。これを受けて抜本的な改革を実行。デル・ネーリを解任し、クラブOBでACシエナをセリエA昇格へ導いたアントニオ・コンテを監督に招聘。

2011-12シーズンに向けてユヴェントスのオーナー陣は増資を決定し、1億2000万ユーロの補強資金が用意された。このうち3700万ユーロは昨季レンタルで獲得したファビオ・クアリャレッラSSCナポリ)を3年契約、アレッサンドロ・マトリカリアリ・カルチョ)を4年契約、シモーネ・ペペマルコ・モッタ(ともにウディネーゼ・カルチョ)を4年契約で、完全移籍で獲得するのに使われた。また積極的な移籍市場への介入を行い、スイス代表のレト・ツィークラー、ACミランでの契約延長に合意しなかったイタリア代表MFアンドレア・ピルロをフリーで獲得した。フェリペ・メロモハメド・シッソコといったこれまでの主力を売却する一方で、ステファン・リヒトシュタイナーアルトゥーロ・ビダルミルコ・ヴチニッチといった実力者を獲得した。

2011年9月、イタリアでは初めてのクラブ占有のスタジアム、ユヴェントス・スタジアムが完成した。

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

1905; 1925-1926; 1930-31; 1931-32; 1932-33; 1933-34; 1934-35; 1949-50; 1951-52; 1957-58 Star*.svg
1959-60; 1960-61; 1966-67; 1971-72; 1972-73; 1974-75; 1976-77; 1977-78; 1980-81; 1981-82 Star*.svg Star*.svg
1983-84; 1985-86; 1994-95; 1996–97; 1997-98; 2001-02; 2002-03
1937-38; 1941-42; 1958-59; 1959-60; 1964-65; 1978-79; 1982-83; 1989-90; 1994-95
1995; 1997; 2002; 2003

[編集] 国際タイトル

1985; 1996
1984-85; 1995-96
1983-84
1976-77; 1989-90; 1992-93
1984; 1996
1999

[編集] 過去の成績

シーズン カテゴリ 順位 勝点 試合 コッパ UEFACL UEFAEL 監督
2010-2011 セリエA 7位 58 38 15 13 10 57 47 ベスト8 グループリーグ ルイジ・デル・ネーリ
2009-2010 7位 55 38 16 7 15 55 56 ベスト8 グループリーグ ベスト16 チロ・フェラーラ
アルベルト・ザッケローニ
2008-2009 2位 74 38 21 11 6 69 37 ベスト4 ベスト16 クラウディオ・ラニエリ
チロ・フェラーラ
2007-2008 3位 72 38 20 12 6 72 37 ベスト8 クラウディオ・ラニエリ
2006-2007 セリエB 優勝 85 42 28 10 4 83 30 ベスト32 ディディエ・デシャン
2005-2006 セリエA 20位[1] 0 38 27 10 1 71 24 ベスト8 ベスト8 ファビオ・カペッロ
2004-2005 [2] 86 38 26 8 4 67 27 ベスト16 ベスト8
2003-2004 3位 69 34 21 6 7 67 42 準優勝 ベスト16 マルチェロ・リッピ
2002-2003 優勝 72 34 21 9 4 64 29 ベスト8 準優勝
2001-2002 優勝 71 34 20 11 3 64 23 準優勝 2次リーグ
2000-2001 2位 73 34 21 11 3 61 27 ベスト16 1次リーグ カルロ・アンチェロッティ
1999-2000 2位 71 34 21 8 5 46 20 ベスト8 ベスト16
1998-1999 6位 54 34 15 9 10 42 36 ベスト8 ベスト4
1997-1998 優勝 74 34 21 11 2 67 28 ベスト4 準優勝 マルチェロ・リッピ
1996-1997 優勝 65 34 17 14 3 51 24 ベスト8 準優勝
1995-1996 2位 65 34 19 8 7 58 35 ベスト16 優勝
1994-1995 優勝 73 34 23 4 7 59 32 優勝 準優勝
1993-1994 2位 47 34 17 13 4 58 25 ベスト32 ベスト8 ジョバンニ・トラパットーニ
1992-1993 4位 39 34 15 9 10 59 47 ベスト4 優勝
1991-1992 2位 48 34 18 12 4 45 22 準優勝
1990-1991 7位 37 34 13 11 10 45 32 ベスト8 ルイジ・マイフレディ
1989-1990 3位 44 34 15 14 5 56 36 優勝 優勝 ディノ・ゾフ
1988-1989 4位 43 34 15 13 6 51 36 2回戦 ベスト8
1987-1988 3位 31 30 11 9 10 35 30 ベスト4 ベスト32 リノ・マルケージ
1986-1987 2位 39 30 14 11 5 42 27 ベスト8 ベスト16
1985-1986 優勝 45 30 18 9 3 43 17 ベスト16 ベスト8 ジョバンニ・トラパットーニ
1984-1985 5位 36 30 11 14 5 48 33 優勝
1983-1984 優勝 43 30 17 9 4 57 29 ベスト16

[編集] フォーメーション

<4-3-2-1> 2011-12シーズン 基本スターティングメンバー

Soccer.Field Transparant.png

ブッフォン
# 1(C)
リヒトシュタイナー
# 26
バルツァッリ
# 15
ボヌッチ
# 19
キエッリーニ
# 3
ピルロ
# 21
マルキジオ
# 8
ビダル
# 22
ペペ
# 7
ヴチニッチ
# 14
マトリ
# 32

[編集] 現所属メンバー

No. Pos. 選手名
1 イタリアの旗 GK ジャンルイジ・ブッフォン副キャプテン
3 イタリアの旗 DF ジョルジョ・キエッリーニ  (第3キャプテン
4 ウルグアイの旗 DF マルティン・カセレス
6 イタリアの旗 DF ファビオ・グロッソ
7 イタリアの旗 MF シモーネ・ペペ
8 イタリアの旗 MF クラウディオ・マルキジオ  (第4キャプテン
10 イタリアの旗 FW アレッサンドロ・デル・ピエロキャプテンCaptain sports.svg
11 イタリアの旗 DF パオロ・デ・チェリエ
13 オーストリアの旗 GK アレクサンダー・マニンガー
14 モンテネグロの旗 FW ミルコ・ヴチニッチ ★(※2011-12国内移籍)
15 イタリアの旗 DF アンドレア・バルツァッリ
17 オランダの旗 FW エルイェロ・エリア
18 イタリアの旗 FW ファビオ・クアリャレッラ
No. Pos. 選手名
19 イタリアの旗 DF レオナルド・ボヌッチ
20 イタリアの旗 MF シモーネ・パドイン
21 イタリアの旗 MF アンドレア・ピルロ
22 チリの旗 MF アルトゥーロ・ビダル
23 イタリアの旗 FW マルコ・ボリエッロ
24 イタリアの旗 FW エマヌエレ・ジャッケリーニ
26 スイスの旗 DF ステファン・リヒトシュタイナー
27 セルビアの旗 MF ミロシュ・クラシッチ
28 パラグアイの旗 MF マルセロ・エスティガリビア (Flag of Italy.svg)
30 イタリアの旗 GK マルコ・ストラーリ
32 イタリアの旗 FW アレッサンドロ・マトリ
34 イタリアの旗 MF ルカ・マッローネ

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

[編集] 歴代記録

[編集] 出場試合数

名前 出場試合数 期間
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) 632 1993-
2 ガエターノ・シレア 552 1974-1988
3 ジュゼッペ・フリーノ 528 1965-1966、1969-1984
4 ロベルト・ベッテガ 481 1966-1969、1970-1983
5 ディノ・ゾフ 476 1972-1983

[編集] 得点

名前 得点数 期間
1 アレッサンドロ・デル・ピエロ(#) 273 1993-
2 ジャンピエロ・ボニペルティ 179 1946-1961
3 ロベルト・ベッテガ 178 1966-1969、1970-1983
4 ダヴィド・トレゼゲ(#) 171 2000-2009
5 オマール・シヴォリ 167 1957-1965

(#)は現役選手であることを示す。

[編集] 歴代監督

氏名 国籍 期間
エリベルト・エレーラ パラグアイの旗 パラグアイ 1964-1969
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1969-1970
Ercole Rabitti イタリアの旗 イタリア 1970
アルマンド・ピッキ 1970-1971
チェストミール・ヴィツパーレク チェコの旗 チェコ 1971-1974
カルロ・パローラ イタリアの旗 イタリア 1974-1976
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1976-1986
リノ・マルケージ 1986-1988
ディノ・ゾフ 1988-1990
ルイジ・マイフレディ 1990-1991
ジョヴァンニ・トラパットーニ 1991-1994
マルチェロ・リッピ 1994-1999
カルロ・アンチェロッティ 1999-2001
マルチェロ・リッピ 2001-2004
ファビオ・カペッロ 2004-2006
ディディエ・デシャン フランスの旗 フランス 2006-2007
ジャンカルロ・コッラディーニ イタリアの旗 イタリア 2007
クラウディオ・ラニエリ 2007-2009
チロ・フェラーラ 2009-2010
アルベルト・ザッケローニ 2010
ルイジ・デル・ネーリ 2010-2011
アントニオ・コンテ 2011-

[編集] 歴代所属選手

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪された。
  2. ^ カルチョ・スキャンダルによって優勝を剥奪された。

[編集] 外部リンク

公式




欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー

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Juventus ユヴェントス •
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