ミルコ・ヴチニッチ

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ミルコ・ヴチニッチ Football pictogram.svg
Mirko Vucinic 2012 MNE.jpg
名前
ラテン文字 Mirko Vučinić
セルビア語 Мирко Вучинић
基本情報
国籍 モンテネグロの旗 モンテネグロ
生年月日 1983年10月1日(30歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ニクシッチ
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
在籍チーム アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ
ポジション FW
背番号 9
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2000
2000-2006
2006-2011
2011-2014
2014-
ユーゴスラビアの旗 スティエスカ・ニクシッチ
イタリアの旗 レッチェ
イタリアの旗 ローマ
イタリアの旗 ユヴェントス
アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ
9 (4)
76 (31)
144 (52)
65 (20)
代表歴2
2005-2006
2007-
セルビア・モンテネグロの旗 セルビア・モンテネグロ
モンテネグロの旗 モンテネグロ
3 (0)
36 (15)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月19日現在。
2. 2013年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミルコ・ヴチニッチセルビア語: Мирко Вучинић, 英語: Mirko Vučinić, 1983年10月1日 - )は、ユーゴスラビア(現モンテネグロ)、ニクシッチ出身のモンテネグロ代表サッカー選手である。アル・ジャジーラ所属。ポジションはフォワード

来歴[編集]

クラブ[編集]

地元クラブでプレーしていた2000年、当時USレッチェのスポーツディレクターだったパンタレオ・コルヴィーノにスカウトされレッチェに入団。2004年ズデネク・ゼーマンがレッチェの監督に就任すると次第にレギュラーで起用されるようになり、、2004-05シーズンは29試合で19ゴールを挙げセリエA得点王争いで5位につけるなど才能を開花させる(得点王は24得点を挙げたクリスティアーノ・ルカレッリ)。しかし翌2005-06シーズンは怪我で出遅れ、31試合で9ゴールに終わる。

2006 FIFAワールドカップではセルビア・モンテネグロ代表に選出されるも、怪我のため離脱した。

2006年6月21日に750万ユーロでASローマレンタル移籍すると、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント準々決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でゴールを決めるなど頭角を表し、シーズン終了後に移籍金750万ユーロでローマに移籍(ただしレッチェとの共同保有)。シーズン当初は左のウインガーとしてプレーしていたが、フランチェスコ・トッティが怪我で長期離脱するとワントップのセンターフォワードとして起用される。するとUEFAチャンピオンズリーグではスポルティング戦で決勝ゴールを決めるなど、ストライカーとしても活躍し見事にトッティの穴を埋めて見せた。チャンピオンズリーグ決勝トーナメント・対レアル・マドリード第2戦ではマンシーニに代わってピッチに立ち、彼を倒しにきたペペを退場に追い込むと1点目の基点となり、自身もロスタイムに決勝点を決めた。シーズンオフには新たに移籍金1200万ユーロでローマが保有権を買い取り、完全移籍となった。2008年11月4日チャンピオンズリーグチェルシー戦では2得点を記録し勝利に貢献。しかしアーセナルとの決勝トーナメント1回戦のPK戦ではPKを外してしまい、チームも敗退してしまった。2010年3月20日ウディネーゼ戦では自身初のハットトリックを記録した。4月18日SSラツィオとのローマダービーではPKと直接フリーキックで2得点を挙げ、チームの逆転勝利に貢献した。

2010-11シーズンはクラウディオ・ラニエリの解任以前は3トップの一角として、ヴィンチェンツォ・モンテッラの就任後はゼロトップ時代のように左サイドでプレー。2010年9月25日インテル戦では終了直前にダイビングヘッドで決勝点を挙げた。しかし、2011年4月16日パレルモ戦と4月19日のインテル戦と2戦続けて絶好機でシュートを外して敗戦の戦犯となり[1][2]、最終的には10得点を挙げたもののサポーターからは大きなブーイングを受け、チームも6位に終わった[3]

2011年8月1日ユヴェントスFCに移籍。移籍金は1500万ユーロ。当初の背番号は14番。ユヴェントスではアレッサンドロ・マトリと2トップを形成し、マトリに次ぐ9得点を挙げて9年ぶりのスクデット獲得に寄与した。背番号を9番に変えた2012-13シーズンも連覇の立役者として貢献するも、2013-14シーズンは自身の負傷とカルロス・テベスフェルナンド・ジョレンテといったFWにポジションを奪われたことで移籍を志願。2014年1月にフレディ・グアリンとのトレードでインテル・ミラノ移籍がほぼ決定だったが、インテルファンの反発を恐れたインテル会長エリック・トヒルが移籍を中断を命令したため成立しなかった[4]。その後、アーセナル移籍の噂が浮上したものの結局残留。

2014年7月4日、アル・ジャジーラ・クラブに移籍決定。

代表[編集]

セルビア・モンテネグロ分裂の際に、著名な選手の多くはセルビア国籍を選択したが、ヴチニッチは故郷のモンテネグロ国籍を選択した。2007年6月4日EURO2008予選のブルガリア戦でモンテネグロ代表デビュー。代表ではキャプテンを務めている。

私生活[編集]

2013年7月1日にイタリア人女性と結婚[5]。なお、2人の間にはすでに2人の息子がいる。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

イタリアの旗 USレッチェ
  • コッパ・イタリア・プリマヴェーラ : 2002
イタリアの旗 ASローマ
イタリアの旗 ユヴェントス

個人[編集]

  • モンテネグロ年間最優秀選手 : 2006, 2007, 2008, 2010, 2011, 2012

関連人物[編集]

出典[編集]

外部リンク[編集]