パウロ・ソウザ
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| 名前 | ||||
| 本名 | パウロ・マヌエル・カルバーリョ・ソウザ | |||
| ラテン文字 | Paulo Manuel Carvalho Sousa | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1970年8月30日(41歳) | |||
| 出身地 | ヴィゼウ | |||
| 身長 | 177cm | |||
| 体重 | 76kg | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | MF (DH) | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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パウロ・ソウザ(Paulo Manuel Carvalho Sousa, 1970年8月30日 - )はポルトガル・ヴィゼウ出身の元同国代表のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 少年期
少年時代にレベセンセスというクラブでサッカーを始める。当初はフォワードとして起用され、1試合で15得点をあげるという離れ業を演じた事もあった。また、当時は本格的にサッカー選手を目指していた訳ではなく、学校の教師を夢見ていたという。
[編集] ポルトガル時代
1989年に、ポルトガルの名門SLベンフィカでプロデビュー。そこで更なる経験をつみ、国内でその名を知らぬ者はいない程になった。ベンフィカではパウロ・フットレやルイ・コスタ、ジョアン・ピントらと共に1度のスーペル・リーガ制覇と1度のタッサ・デ・ポルトガル制覇に貢献した。また1993年にスポルティングCPへ移籍し1シーズン在籍している。
代表レベルでも1989年にはユース代表としてFIFAワールドユース制覇。1991年にはポルトガル代表に選出され1月16日のスペイン戦で代表デビューを飾った。
[編集] ユヴェントス時代
1994年にイタリアの名門、ASローマ、ユヴェントスからのオファー[1]が届いたが、ユヴェントスを選択。1994-95シーズンからはユヴェントスでプレーする事となった。このシーズンのユーヴェは新監督マルチェロ・リッピ下で攻撃的布陣を敷いていたが、その中でソウザは生命線であるボランチのポジションを務め、中盤の中央にポジションを取り長短のパスを駆使して巧みなゲームメイクを見せ9シーズンぶりのスクテッド獲得に貢献。翌シーズンはUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝にも貢献した。しかし、1996-97シーズン直前にフロントとの確執が表面化し、ドイツのボルシア・ドルトムントへ放出された。
[編集] その後
ドルトムントでも中心選手となり1997年5月のUEFAチャンピオンズ・リーグ決勝進出に貢献、決勝戦の相手は古巣ユヴェントスであったが3-1で勝利。異なるクラブで2年連続チャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた2人目の選手となったが、これについては「私のフットボール人生で最高の瞬間だった」とコメントしている。
その後、1997-98シーズン途中にインテル・ミラノに移籍するが、慢性的な故障もあって実力を発揮出来ず、パルマACへのレンタル移籍を挟んで、ギリシャ、パナシナイコスに移籍。PAO(パナシナイコスの愛称)の2年連続チャンピオンズ・リーグ1次リーグ突破の原動力となるも、高年俸及び年齢を理由に2001-02シーズン途中で解雇される。その後、リーガ・エスパニョーラ所属RCDエスパニョールへ移籍する等、晩年は不遇をかこつ様になった。
[編集] 現役引退
2002年05月13日、2002 FIFAワールドカップのポルトガル代表として選出された。“ゴールデン・ジェネレーション”最後の挑戦は、1勝2敗、総得点6、総失点4のグループ・リーグ敗退に終わった。ソウザは、大会前の怪我の影響もあって、1試合も出場する事なく終わった。
2002年07月02日午後12時、ジャモールの国立競技場で「私は、プロ・フットボール選手としての引退を正式に発表します」と現役引退を表明した。引退の原因としては度重なる負傷との戦いに疲れたこと、最近の代表チームで思うような活躍が出来なかったことなどを挙げている。
[編集] 引退後
ポルトガルで開催されたEURO2004でアドヴァイザリースタッフとして参加、ポルトガルU-16代表の監督を務めた。さらにポルトガル代表監督であったルイス・フェリペ・スコラーリの下、アシスタントコーチを務めた。2008年の11月にイングランド2部のクイーンズ・パーク・レンジャーズFCの監督に就任した。2009年夏にスウォンジ・シティAFC監督に就任し、2010年7月からはレスター・シティFC監督に就任。だが開幕から調子は上がらず、10月1日にわずか3ヶ月で解任された。
[編集] 選手歴
SLベンフィカ 1989-1993
スポルティングCP 1993-1994
ユヴェントスFC 1994-1996
ボルシア・ドルトムント 1996-1998
インテル・ミラノ 1998-2000
パナシナイコス 2000-2001
RCDエスパニョール・バルセローナ 2001-2002
[編集] 指導者歴
クイーンズ・パーク・レンジャーズ 2008.11-2009
スウォンジ・シティAFC 2009-2010
レスター・シティFC 2010.7.7-2010.10.1
[編集] 獲得タイトル
- SLベンフィカ--ポルトガル・スーペルリーガ優勝(90/91) ポルトガル・カップ優勝(92/93)
- ユヴェントスFC--セリエA優勝(94/95) イタリア・カップ優勝(94/95) UEFAチャンピオンズリーグ優勝(95/96) 年間最優秀外国人選手(94/95) イタリア・スーパーカップ(95)
- ボルシア・ドルトムント--UEFAチャンピオンズリーグ優勝(96/97) インターコンチネンタルカップ優勝(97年) ドイツスーパーカップ(97)
- ポルトガルU-21--1989年FIFAワールドユース優勝(サウジアラビア大会)
[編集] 代表歴
- ポルトガル代表 51試合得点0(キャプテン1試合)
- ヨーロッパ選手権2回(Euro96イングランド ベスト8 4試合出場。Euro2000ベルギー・オランダ ベスト4 2試合出場)
- ワールド・カップ1回出場(Korea/Japan2002 グループリーグ敗退 出場0)
[編集] 脚注
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