アルベルト・スタイフェンベルフ

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アルベルト・スタイフェンベルフ
名前
ラテン文字 Albert Stuivenberg
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1970-08-05) 1970年8月5日(53歳)
出身地 ロッテルダム
身長 175cm
ユース
オランダの旗 フェイエノールト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
オランダの旗 HFCハールレム
オランダの旗 テルスター
代表歴
1986  オランダ U-17 2 (0)
監督歴
1992-2005 オランダの旗 フェイエノールト (ユース)
2004-2006 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ (ユース)
2006-2013  オランダ U-17
2013-2014  オランダ U-21
2014-2016 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド (アシスタント)
2016-2017 ベルギーの旗 ヘンク
2018-2021 ウェールズの旗 ウェールズ (アシスタント)
2019- イングランドの旗 アーセナル (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・スタイフェンベルフ(Albert Stuivenberg, 1970年8月5日 - )は、オランダロッテルダム出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。プレミアリーグアーセナルでアシスタントマネージャーを務める。

SCテルスターHFCハールレムでプロとしてプレーした後、大怪我を負い、フェイエノールトRWDモレンベークでコーチの道に進んだ。その後、アル・ジャジーラのユースチームやオランダU17代表U21代表のコーチを務めた。2014年にマンチェスター・ユナイテッドファン・ハールのアシスタントコーチに就任し、2017年にKRCヘンクで監督デビューを果たした。2018年にウェールズ代表ライアン・ギグスの下でアシスタントマネージャーに就任し、2019年12月にアーセナルに移籍した。

来歴[編集]

ロッテルダムに生まれ、地元のフェイエノールトのアカデミーで選手生活を始めたが、トップチームに入ることができず、HFCハールレムへ移籍した。その後、SCテルスターに移籍したが、1986年に十字靭帯を断裂し、3年後の1989年に若くして引退を余儀なくされた[1]

引退後、スタイフェンベルフはコーチの道に進み、オーフェルフェーンにあるCIOSスポーツアカデミーで教育を受けた。1992年、かつて所属していたフェイエノールトのユース監督に就任し、その後2001年にユース監督に就任した。2000/01シーズンは、フェイエノールトのベルギーの下部組織であるRWDモレンベークでトップチームのアシスタントコーチとして活躍した。フェイエノールトで13年間指導し、ロビン・ファン・ペルシなどを育てた後、2004年にアラブ首長国連邦のアブダビにあるアル・ジャジーラに移籍し、ユース部門の指揮を執ることになった[2]

中東での2年間の活動の後、オランダに戻りU17代表の監督に就任した。2011年と2012年のUEFA U-17欧州選手権でチームを優勝に導き、U21代表監督に昇格した[3]。また、オランダサッカー協会(KNVB)のスカウトやKNVBアカデミーでプロのコーチの教育も行っている[2]

マンチェスター・ユナイテッド[編集]

2014年7月、スタイフェンベルフは新監督のファン・ハールによってマンチェスター・ユナイテッドのアシスタントコーチに任命され、アシスタントマネージャーのライアン・ギグスと共に働いた[4]。 2016年FAカップ優勝の2日後である5月23日にファン・ハールが解任されたことが発表され、それに伴いスタイフェンベルも契約解除となったことが発表された。

KRCヘンク・ウェールズ代表[編集]

2017年1月ヘンクで初めてプロチームの監督に就任した。ジュピラー・プロ・リーグでの満足のいく順位でなかったために解任されたペーター・マースの後任として、2016/17シーズンのUEFAヨーロッパリーグで準々決勝まで導いたものの[5]2017年12月10日に解任された[6]。 2018年にはウェールズ代表のアシスタントマネージャーに就任し、マンチェスターユナイテッド時代に同僚だったライアン・ギグスの下で働くことになった[7]

アーセナル[編集]

2019年12月24日アーセナルミケル・アルテタのアシスタントコーチを務めることが発表された[8]2021年7月26日、スタイフェンベルはそれまでウェールズ代表コーチとアーセナルのコーチを兼任していたが、クラブでの仕事に集中するためウェールズ代表のコーチとしてのポジションを離れた[9]2022年1月1日マンチェスター・シティとの試合3日前にミケル・アルテタが新型コロナウイルス陽性と判定され、監督代行として指揮を執った。試合は退場者を出すなどして1-2で敗れたものの、第3節でマンチェスター・シティに5失点を喫した試合とは打って変わって先制点を挙げるなど監督としての手腕も見せた[10][11]

監督成績[編集]

クラブ 所属 成績 備考
試合数 勝率(%)
KRCヘンク プロ・リーグ 48 23 15 10 47.9


脚注[編集]

  1. ^ UEFA.com (2014年7月7日). “Stuivenberg success proves worth to United” (英語). UEFA.com. 2022年12月23日閲覧。
  2. ^ a b UEFA.com (2012年3月1日). “Netherlands” (英語). UEFA.com. 2022年12月23日閲覧。
  3. ^ “Stuivenberg joins Van Gaal's backroom team at Man Utd” (英語). Reuters. (2014年7月6日). https://www.reuters.com/article/us-soccer-england-united-idUSKBN0FB0YI20140706 2022年12月23日閲覧。 
  4. ^ Manchester United manager Louis van Gaal adds Albert Stuivenberg to coaching set-up”. www.telegraph.co.uk. 2022年12月23日閲覧。
  5. ^ Coleman, Tom (2019年6月5日). “Wales No2 Albert Stuivenberg latest name linked with Swans job” (英語). WalesOnline. 2022年12月23日閲覧。
  6. ^ KRC Genk en Albert Stuivenberg gaan uit elkaar | Nieuws | KRC Genk - Landskampioen 1999 - 2002 - 2011”. web.archive.org (2017年12月11日). 2022年12月23日閲覧。
  7. ^ Mitchelmore, Ian (2018年3月15日). “Meet Wales' backroom team & the big Manchester United connections” (英語). WalesOnline. 2022年12月23日閲覧。
  8. ^ Coaching team named” (英語). Coaching team named. 2022年12月23日閲覧。
  9. ^ FAW / Albert Stuivenberg to leave Cymru post” (英語). www.faw.cymru. 2022年12月23日閲覧。
  10. ^ Stuivenberg on the result, decisions and Mikel” (英語). Stuivenberg on the result, decisions and Mikel. 2022年12月23日閲覧。
  11. ^ ‘I will need a big room’: Arteta frustrated at having to watch Arsenal from afar” (英語). the Guardian (2021年12月31日). 2022年12月23日閲覧。

外部リンク[編集]