トマーシュ・ロシツキー

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トマーシュ・ロシツキー
名前
本名 Tomáš ROSICKÝ
愛称 リトル・モーツァルト
カタカナ トマーシュ・ロシツキー
基本情報
国籍 チェコ チェコ
生年月日 1980年10月4日(28歳)
出身地 プラハ
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 アーセナル
ポジション MF
背番号 7
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1998-2001
2001-2006
2006-
スパルタ・プラハ
ボルシア・ドルトムント
アーセナル
41 (8)
149 (19)
44 (9)
代表歴2
1995-1996
1996
1997-1998
1998-1999
1999
2000-
チェコ U-15
チェコ U-16
チェコ U-17
チェコ U-18
チェコ U-21
チェコ
10 (0)
12 (5)
16 (6)
9 (3)
2 (0)
68 (19)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年5月25日現在。
2. 2008年5月12日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

トマーシュ・ロシツキーTomáš Rosický1980年10月4日 - )はチェコプラハ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMF

目次

[編集] クラブ経歴

兄とともにスパルタ・プラハに加入し、ユース時代から「サッカー界のモーツァルト」と呼ばれた天才肌の選手。1999年4月14日に行われたカップ戦のブルノ戦でトップチームデビューを果たすと、5月16日に行われたヤブロネツ戦でリーグデビューを飾り、その後の2試合もスターティングメンバーとして試合に出場した。翌シーズンからは多くの出場機会を与えられ、9月11日に行われ、7-0で勝利したブジェヨヴィツェ戦で2ゴールを挙げ、初ゴールを記録した。スパルタ・プラハでレギュラーとして活躍し、チャンピオンズリーグでも印象深い活躍を見せ、インテルラツィオ(ともにイタリアセリエA)、バイエルン・ミュンヘンドイツブンデスリーガ1部)、アーセナルFAプレミアリーグ)などのビッグクラブから獲得のオファーがくるなか、2000-01シーズン途中、当時ブンデスリーガ史上最高額の2500万マルク移籍金ボルシア・ドルトムントに移籍した。

ボルシア・ドルトムントでは10番を与えられ、2001年2月2日に行われた、1860ミュンヘン戦に60分から出場し、ブンデスリーガデビューを果たした。 2001-02シーズンは、2001年8月11日ヴォルフスブルク戦で初ゴールを挙げ、中心選手として、チームの優勝、マイスターシャーレ獲得に貢献し、チームはUEFAカップの決勝にも進出した。2003-04シーズンは、チームはチャンピオンズリーグの出場権を逃し、自身も2004年2月28日ヴェルダー・ブレーメン戦で腕を骨折するなど苦しんだが、出場した多くの試合でキャプテンを務めた。チームの財政難から移籍話が絶えず、ロシツキーも2005-06シーズン終了後にはドルトムントからの移籍を希望し、一時はアトレティコ・マドリードと合意間近と見られていたが、最終的にアーセナルへと移籍した。

2006年5月23日にアーセナルと契約を結んだ。移籍金の額は公表されていないが、1000万ユーロだと言われている。8月8日に行われた、チャンピオンズリーグ予備予選3回戦のディナモ・ザグレブ戦でデビューを飾り、9月13日に行われた、ハンブルガーSV戦でロングレンジからシュートを決め、初ゴールを挙げた。

2008年1月26日に行われたFAカップニューカッスル戦でハムストリングを負傷。当初は数週間で復帰する見込であると伝えられていたが、最終的に残りのシーズンを欠場することとなった。オフに手術を受け、9月に復帰する予定であるとされていたが、怪我は完治せず、11月に2度目の手術を受けた。 長いリハビリを経て、2009年5月14日に全体練習に復帰したが、アーセン・ヴェンゲル監督の判断により、2008-09シーズンは一試合も出場することなくシーズンを終えた。

[編集] 代表経歴

各年代の代表を経た後、2000年2月23日の対アイルランド戦でA代表デビュー。同年に開催されたEURO2000にも出場した。EURO2004では、10番を背負い、準決勝まで進んだチェコ代表チームにおいて5試合中4試合に出場、2006 FIFAワールドカップでは3試合に出場しグループリーグ突破はならなかったものの、アメリカ代表戦での印象的なミドルシュートを含む2得点を挙げた。ワールドカップ終了後には、ネドベドの代表引退に伴い、史上最年少でキャプテンに指名された。EURO2008もチームの中心として活躍を期待されたが、シーズン中に負った膝の怪我が完治せず、エントリーは見送られた。

[編集] プレースタイル

天性の才能からリトル・モーツァルト(小さなモーツァルト)とも呼称される、世界最高クラスのMF。愛称通りの正確なキックを武器に、中盤でタクトを振るい、ゲームを組み立てる。

決定的なパスを繰り出すだけでなく、自分自身も積極的に前へ飛び出し、機をうかがっては自らドリブルで仕掛ける。ハーフウェーライン付近から独走して決めた、ドルトムント時代のUEFAチャンピオンズリーグでの対PSVアイントホーフェン戦のゴールから見てもわかる通りスピードもある。シュートの技術も非常に高く、中長距離を問わずゴールを狙うことができる。蹴る機会はあまりないがプレースキックも正確である。

また、その華奢な体からは想像もできない程当たりに強く、フィジカルコンタクトが激しいプレミアリーグにおいても、当たり負けすることはなく、不用意にボールを奪われることも少ない。身長は178cmとあまり高くないが、ジャンプ力は高くヘディングも得意で、空中戦の技術もある。プレイメーカーでありながら、守備を厭わず、ピッチを広く動き中盤から激しいプレスをかけ、運動量も豊富である。

「走るファンタジスタ」の代表格であり、良い意味での「泥臭さ」を兼ね備えている。コレルとは公私共に仲が良く、息の合ったプレーを見せる。主にクラブでは左サイド、代表では右サイド及び中央でプレーする。

[編集] 補足

父親イリもスパルタ・プラハの元選手。同名の兄イジーもアトレティコ・マドリーに所属するなどしていた元サッカー選手。小さい頃から憧れていた選手は元ドイツ代表ローター・マテウス。ドルトムント時代は、同じくチェコ代表の長身プレイヤー・コレルと共にディーノ(恐竜)とベイビー(子供)という愛称で呼ばれた。

ナイキ製のスパイクを使用しているが、07-08シーズンのプレシーズンマッチでは、プーマ製のスパイクを使用した。

[編集] 獲得タイトル

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

所属クラブ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦[1] UEFA主催[2] 期間通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
スパルタ・プラハ 1998–99 25 3 0 - 2 0 - 0 0 - 5 0 -
1999-00 25 24 5 - 2 1 - 12 2 - 38 8 -
2000-01 25 14 3 - 2 0 - 8 1 - 24 4 -
期間通算 67 12 -
ボルシア・ドルトムント 2000–01 10 15 0 - 1 0 - 0 0 - 16 0 -
2001–02 10 30 5 - 2 0 - 15 1 - 47 6 -
2002–03 10 30 3 - 2 0 - 7 3 - 39 6 -
2003–04 10 19 2 - 4 2 - 4 0 - 27 4 -
2004–05 10 27 4 - 2 0 - 0 0 - 29 4 -
2005–06 10 28 5 - 0 0 - 0 0 - 28 5 -
期間通算 178 25 -
アーセナル 2006-07 7 26 3 3 5 2 1 6 1 0 37 6 4
2007-08 7 18 6 2 1 0 0 5 1 0 24 7 2
2008-09 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
期間通算 61 13 6
(2009年2月17日現在)
  1. ^ ドイツのカップ戦はDFBポカールDFBリーガポカールを、イングランドのカップ戦はFAカップリーグカップコミュニティーシールドを含む。
  2. ^ チャンピオンズリーグ予備予選、チャンピオンズリーグ、UEFAカップ

[編集] 外部リンク



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