パトリック・ベルゲル

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パトリック・ベルゲル Football pictogram.svg
Berger, Patrik.jpg
名前
愛称 バーガーキング
ラテン文字 Patrik Berger
基本情報
国籍 チェコの旗 チェコ
生年月日 1973年11月10日(40歳)
出身地 プラハ
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF
利き足 左足
代表歴
1993
1994–2001
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
チェコの旗 チェコ
2 (0)[1]
42 (18)[1]
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

パトリック・ベルゲル(Patrik Berger, 1973年11月10日- )は、チェコプラハ出身の元サッカー選手。元同国代表。現役時代のポジションはMF

略歴[編集]

スラヴィア・プラハ〜ドルトムント[編集]

ベルゲルは、チェコスロバキアの首都プラハで生まれた。1989年にACスパルタ・プラハのユースチームでサッカーを学ぶと、2年後の1991年に同じ都市を本拠地とするライバルのスラヴィア・プラハとプロ契約を結んだ。また1993年にはチェコスロバキア代表に選出されたが、同国の分離(ビロード離婚)後はチェコ国籍を選択した。

89試合出場24得点の記録を残し、1995年にドイツ・ブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ500,000ポンドの移籍金で加入した。オットマー・ヒッツフェルト監督の下で出場機会を掴むと1995-96シーズンのリーグタイトルとDFLスーパーカップ制覇に貢献するなど、リーグ戦25試合出場4得点を記録した。

しかし、ヒッツフェルト監督は本来の攻撃的MFではなく、守備的MFのポジションが適任であると考え、そのポジションで起用する意向を持っていた。

チェコ代表として1996年の欧州選手権準優勝に貢献すると、イングランドのリヴァプールの関心を引き、同年8月に3.25,000ポンドで同クラブに移籍した。

リヴァプール[編集]

1996年9月7日のデビュー戦でサウサンプトンFCに勝利すると、好調なパフォーマンスを見せサポーターから賞賛された。UEFAカップウィナーズカップ1回戦のMyPa戦における活躍の後、プレミアリーグ月間最優秀選手賞を受賞した。

加入当初の好調なプレーにも関わらず、ロイ・エヴァンス監督との確執もあって控えに回る事が多くなり、移籍先を探す様になった。しかし1998年にジェラール・ウリエが新たに監督に就任すると一転して残留する事になった。

ウリエ監督の下では再び出場機会を掴んだ。2000-01シーズンには怪我の治療の為、多くの試合に出場は出来なかったがUEFAカップFAカップ制覇に貢献、FAカップでは9得点を挙げ、決勝のアーセナルFC戦ではマイケル・オーウェンの得点をアシストする活躍を見せた。

しかし度重なる怪我の為、再び出場機会を失うと、2002-03シーズンを最後にクラブを去り、ポーツマスFCへ移籍する事になった。在籍期間中に196試合出場35得点を記録した。

ポーツマス〜スパルタ・プラハ[編集]

2003-04シーズンのポーツマスFCでのデビュー戦では2得点を挙げ2-1でアストン・ヴィラFCを下し勝利に貢献した。しかし2004年2月に、膝の手術を受ける事を余儀なくされた。そして2005年6月にポーツマスを退団し、アストン・ヴィラに2年契約で入団した。

ベルゲルは選手キャリアの多くを怪我に悩まされた。2006年11月にマーティン・オニール監督の構想から外れると2006年にストーク・シティFCにレンタル移籍、その後2007年5月28日にアストンヴィラとの契約を1年延長する事に合意した。そして2007-08シーズンを最後にクラブを去る事になった。アストン・ヴィラでは3シーズン在籍し、リーグ戦29試合に出場した。退団後はユース時代に所属していたスパルタ・プラハと2年契約を交わした。2010年1月6日、現役引退を表明した。

チェコ代表[編集]

1996年にイングランドで開催された欧州選手権準優勝に貢献。決勝のドイツ戦では先制点を決める活躍を見せた。また2000年にオランダベルギーで共同開催された欧州選手権にも出場したが、所属クラブでの怪我もあって出場機会は少なかった。また、現役を通じてFIFAワールドカップへ出場する事は叶わなかった。2001年に代表から退くまで44試合出場18得点を記録した。

エピソード[編集]

所属クラブ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Patrik Berger - STATISTIKY REPREZENTANTŮ”. FOTBAL.CZ. 2013年11月23日閲覧。