トーマス・ヒッツルスペルガー
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | ヒッツ、ザ・ハンマー | |||||
| ラテン文字 | Thomas HITZLSPERGER | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1982年4月5日(31歳) | |||||
| 出身地 | ミュンヘン | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 背番号 | 16 | |||||
| 利き足 | 左 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1999-2000 2000-2005 2001-2002 2005-2010.1 2010.1-6 2010.6-2011 2011-2012 2012- |
バイエルン・ミュンヘン アストン・ヴィラ →チェスターフィールドFC(loan) VfBシュトゥットガルト SSラツィオ ウェストハム・ユナイテッド VfLヴォルフスブルク エヴァートンFC |
0 (0) 99 (8) 5 (0) 125 (20) 6 (1) 11 (2) 6 (0) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2004-2010 | 52 (6) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2011/12シーズン終了時点現在。 2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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トーマス・ヒッツルスペルガー(Thomas Hitzlsperger, 1982年4月5日 - )は、ドイツ・ミュンヘン出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。趣味は読書。
目次 |
経歴 [編集]
7人兄妹の末っ子。地元のクラブであるバイエルン・ミュンヘンのユースでプレーしていた2000年にイングランドのアストン・ヴィラFCからの誘いを受け渡英。レンタル期間を経た翌2001-02シーズンからトップチームでの出場機会を増やし始め、その後はヴィラの主力に成長2004年にはドイツ代表に招集されるなど着実に成長した。2005年からはVfBシュトゥットガルトに移籍して母国に復帰。2006-07シーズンは15年ぶりの優勝に貢献(優勝がかかった試合では決勝点を決めた)。2008-09シーズンから2009年末までチームのキャプテンを務め、ドイツ代表の将来を担う一人として評価されていた。
2010年1月31日にシュトゥットガルトとの契約を解除しイタリアのSSラツィオへ移籍した。しかしラツィオでは満足する出場機会が与えられず、確実視されていた2010 FIFAワールドカップの出場も逃す結果となった。6月5日、ウェストハム・ユナイテッドに3年契約で移籍しイングランドに舞い戻ったが、チームは終始低迷し最下位で降格。自身も故障が重なって11試合の出場に留まり、シーズン終了後に契約を解消した。
2011年8月18日にVfLヴォルフスブルクに移籍するが、春先に足首と膝の外側半月板断裂の負傷を負い、シーズン終了後に彼の要求に応じた相互の同意によって解約された。その後、2012年10月19日にエヴァートンFCと2013年1月までの契約を交わす。
その他 [編集]
- ドイツの新聞’ディ・ツァイト’のレギュラーコラムニストであり、外国人差別・人種差別・反ユダヤ主義・極右主義を反対する協会をサポートしたり、南アフリカ共和国のHIV陽性の子供達を面倒みるプロジェクト’ウブントゥ・アフリカ’などに携わっているのが高く評価されて、2011年にドイツサッカー連盟の’ユリウス・ヒルシュ’賞を受賞した。
所属クラブ [編集]
バイエルン・ミュンヘン 1999-2000
アストン・ヴィラFC 2000-2005
- →
チェスターフィールドFC 2001-2002 (loan)
VfBシュトゥットガルト 2005-2010.1
SSラツィオ 2010.1-6
ウェストハム・ユナイテッドFC 2010.6-2011
VfLヴォルフスブルク 2011-2012
エヴァートンFC 2012
外部リンク [編集]
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