嘉悦朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

嘉悦 朗(かえつ あきら、1955年8月5日 - )は日本実業家。元・横浜マリノス株式会社代表取締役社長、元・Jリーグ理事。

人物・経歴[編集]

熊本県出身。1974年熊本県立熊本高等学校卒業。1979年一橋大学商学部卒業、日産自動車株式会社入社。日産自動車では入社以来20年間人事部門を担当した。1988年経営アカデミー人事労務コース修了。1999年カルロス・ゴーン社長による「日産リバイバルプラン」の下で、組織及び意思決定プロセス改革を担当する経営トップ直結の第9クロス・ファンクショナル・チーム・パイロットに就任。2000年4月から人事部主管、2001年4月から組織開発部主管、2002年4月から理事として社内改革にあたった[1]

2006年4月には最年少で日産自動車株式会社執行役員に就任。V-up推進・支援チーム、効率化推進・支援チーム、秘書室担当。2006年4月執行役員V-up推進・支援チーム、効率化推進・支援チーム担当、2008年執行役員HQファシリティマネージメント部、V-up推進・支援チーム、G&Aブレークスルーサポートチーム、G&Aブレークスルージャパンプロジェクトマネージメントオフィス担当、2009年3月執行役員HQファシリティマネージメント部担当[2]

2002年から横浜マリノス社長就任を希望していたが、日産自動車での本社移転プロジェクトリーダーの仕事に一区切りついたのを受け、2009年7月に日産自動車執行役員兼務のまま、横浜マリノス株式会社代表取締役社長代行に就任。2010年2月からは横浜マリノス株式会社代表取締役社長に就き、横浜F・マリノスの再建にあたった。親会社への依存を減らし、入場料収入増加や、グッズ販売のPDCAサイクル強化、サッカースクール経営への日産V-upプログラム導入などによる収益拡大に力を入れ、2013年度には5年ぶりの黒字を達成した。2014年にはプレミアリーグマンチェスター・シティFCを有するシティ・フットボール・グループパートナーシップ協定を結び、出資を受けた[3][4][5][6]。 2015年に60歳を迎えたことで後進に道を譲る意思を固め、2015年12月31日をもって横浜マリノス株式会社代表取締役社長を退任。社長代行時代も含めて、社長在任期間6年5ヶ月は歴代最長であった[7][8]。なお、Jリーグ理事についてもマリノス社長退任と同じタイミングで退任した。

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ 「横浜マリノス 嘉悦朗社長が語る、F・マリノス再生を支える"日産流改革チーム"の作り方」ビジネス+IT2013年10月15日
  3. ^ 「横浜F・マリノス社長が激白3時間!英マンCと提携「あまりのレベル差にカルチャーショック」」『週刊ダイヤモンド』特別レポート
  4. ^ 「2013年度 決算について」横浜マリノス
  5. ^ 「日産自動車、マンチェスターCなどを保有するCFGと資本提携」respons2014年05月21日
  6. ^ 「ゴーンの懐刀が挑む、マリノス改革の全貌横浜F・マリノス、嘉悦朗社長に聞く(上)」東洋経済オンライン2013年05月16日
  7. ^ 「役員人事に関するお知らせ」横浜F・マリノス公式サイト 2015年12月25日
  8. ^ 「代表取締役社長 嘉悦朗より退任のご挨拶」横浜F・マリノス公式サイト 2015年12月25日
先代
齋藤正治
横浜マリノス社長
2009年 - 2015年
次代
長谷川亨