清水範久

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清水 範久
名前
愛称 ジロー
カタカナ シミズ ノリヒサ
ラテン文字 SHIMIZU Norihisa
基本情報
国籍 日本
生年月日 1976年10月4日(32歳)
出身地 群馬県
身長 170cm
体重 65kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 横浜F・マリノス
ポジション MF/FW
背番号 18
クラブチーム1
クラブ App (G)
1995-2000
2000
2001
2002-
ジュビロ磐田
コンサドーレ札幌
ジュビロ磐田
横浜F・マリノス
47 (4)
7 (0)
16 (5)
115 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月1日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

清水 範久(しみず のりひさ、1976年10月4日 - )は、群馬県群馬郡榛名町(現・高崎市)出身で横浜F・マリノス所属のサッカー選手。ポジションはフォワード、またはミッドフィールダー

目次

[編集] 略歴

榛名町立榛名第一小学校から榛名町立榛名中学校に進学しサッカー部に入部。その後群馬県屈指の強豪・群馬県立前橋商業高等学校(ライバルの前橋育英高等学校には松田直樹がいた)に入学しレギュラーの座を獲得。持ち前のスピードがスカウトの目に留まり、1995年にジュビロ磐田に入団した。同期入団は名波浩福西崇史山西尊裕

磐田では1997年のチャンピオンシップ第1戦で決勝Vゴールを挙げるなど、次第にチームに欠かせないユーティリティープレーヤーに成長した。2000年はシーズン途中にコンサドーレ札幌期限付き移籍も経験し、J2で7試合に出場。

2001年に磐田へ復帰し、FW高原直泰ボカ・ジュニアーズ移籍後は中山雅史と2トップを組んだ。同年オフに横浜F・マリノスのオファーを受けて移籍、以後横浜FMで攻撃の活性化に寄与するプレーを続けた。

2009年も開幕から公式戦全てで先発起用されていたが、4月3日の練習中に左アキレス腱完全断裂の負傷を負った。

[編集] プレースタイル

磐田の関係者によれば、スピードスターとして知られる川口信男の次に速かった記録が残っている程の快足である。このスピードと豊富な運動量を武器にピッチを走り回りチャンスを作り出す。サイドでもセンターでも前線でもそのプレースタイルは変わらない。比較的小柄な体型にも関わらず、巧みなボールキープが可能なテクニックを持ち合わせ、利き足がどちらかわからないといわれるほど、どちらの足でも同じようにプレーして見せる器用さも持つ。流れを読む力や戦術理解にも非常に優れており、数多くの監督の下でプレーしてきたが、いずれも起用され続ける所以はここにあろう。現日本代表の監督である岡田武史も、F・マリノス監督時代に「決定力さえあれば日本代表レベル」と評するほどである。

ただし、簡単なシュートほど決められない選手で、FWとしては少々得点力に欠ける。そのため、サポーターの間では、「年間に取れる点数が決まっている」などとも言われる。一方で、「難しい」シュートを決めてしまうこともある。なお、前述のCSでのVゴールだけでなく、リーグ戦でハットトリックを経験(2001年10月17日、2ndステージ第9節・FC東京戦で記録)しているなど、決して高いとは言えない得点力の中で、いくつかの記録を残している。

2003年シーズンからはトップ下としても起用されるようにもなり、次第にFWよりもMFとしての出場機会が増えてきている。

そのプレースタイルの影響か、2003年以降は年々ケガで離脱する回数が増えてしまっているのが課題。

[編集] エピソード

  • 愛称の「ジロー」で呼ばれることが多く、本人もサインには"Jiro"と署名する。
    • この愛称は、清水次郎長に由来する(が、本当に次男でもある)。高校時代に同じ「清水」という先輩がいたために付けられたもので「磐田で"清水"はまずいだろ、とついたわけでは有りません」(本人談)。なお、朝日放送清水次郎アナウンサーとは全く関係ない。
    • 清水姓に関連し、現在の応援コールは「清水ゲットゴール」であるが、清水エスパルス戦の時に限り、コールが「ジローゲットゴール」に変わる。
    • あまりに愛称で呼ばれる事が多いため、ファンだけでなく、チーム関係者にすら本名を覚えていないらしき者が多い。前社長の左伴繁雄や、指揮官だった岡田武史まで「清水ジロー」と呼んでいることがあった。
    • 2009年より、ユニフォーム背中のネーム表記も「SHIMIZU」から「JIRO」に変更。三浦知良の「KAZU」など、本名をもじった愛称をユニフォームに入れた先例はあったが、本名に全く関係ない愛称を入れたのは、同年に「BOMBER」に変更したチームメイトの中澤佑二とともにJリーグ初である。
  • 前述の通り、簡単なシュートほど決められず、FWとしては決定力はそれほど高くない。
    • そのため、サポーター間では、「年間で○点しか取れない」「取れる点数が決まっている」とも言われている。2007年8月29日の磐田戦で逆転ゴールとなる得点を挙げ、試合後にヒーローインタビューを受けた際には自ら「1年に2点くらいしか取らない」と発言し、サポーターの笑いを誘った。
    • 2002年シーズンにおいて「公式戦2197分間連続ノーゴール」の記録を打ち立ててしまっている。これは、鈴木隆行の連続ノーゴール記録よりも400分以上長く、しかもMFとしての出場機会も多かった鈴木に対して、清水の場合は全試合FWとして出場していた上での「ノーゴール記録」である。
  • 磐田時代のチームメートで同期入団の名波浩を尊敬しているらしく、横浜FM移籍後に得点を決めて、ユニフォームのエンブレムをつかんでファンにアピールしたことをインタビュアーに問われ「名波さんの真似です」とコメントした。
  • 横浜FMに移籍した際、背番号はレギュラーナンバーの11を背負っていたが、2004年に坂田大輔と交換して磐田時代からなじみのある18に変更した。ケガが増えたため験をかついだとのこと。ちなみにその坂田とは、ポジション・プレースタイルおよび長髪の髪型がかなり似ていた時期があり、テレビ中継や、遠くなどで見ると区別が付きにくかった。
  • インタビューにて、好きな食べ物はしめ鯖とこはだ、嫌いな食べ物は茶碗蒸しであると回答。読書好きであり、お気に入りの作家は逢坂剛

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1995 磐田 - J 0 0 - 0 0 0 0
1996 磐田 - J 0 0 1 0 1 0 2 0
1997 磐田 18 J 19 1 11 2 4 1 34 4
1998 磐田 18 J 4 1 4 2 0 0 8 3
1999 磐田 18 J1 17 1 4 0 2 0 23 1
2000 磐田 18 J1 7 1 2 0 - 9 1
札幌 17 J2 7 0 0 0 1 1 8 1
2001 磐田 18 J1 16 5 6 2 2 0 24 7
2002 横浜FM 11 J1 26 2 6 0 1 1 33 3
2003 横浜FM 11 J1 21 2 6 0 3 1 30 3
2004 横浜FM 18 J1 14 1 4 1 0 0 18 2
2005 横浜FM 18 J1 12 0 4 1 1 0 17 1
2006 横浜FM 18 J1 11 2 5 0 1 0 17 2
2007 横浜FM 18 J1 12 1 6 0 2 1 20 2
2008 横浜FM 18 J1 19 0 6 0 3 0 28 0
2009 横浜FM 18 J1
通算 日本 J1 178 17 65 8 20 4 263 29
日本 J2 7 0 0 0 1 1 8 1
総通算 185 17 65 8 21 5 271 30
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 横浜FM 18 3 1
2005 横浜FM 18 3 0
通算 AFC 6 1

[編集] 経歴

[編集] 関連項目


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