笠井健太
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| 笠井 健太 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | カサイ ケンタ | |
| ラテン文字 | KASAI Kenta | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1985年12月25日(23歳) | |
| 出身地 | 静岡県菊川市 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 鹿島アントラーズ | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 27 | |
| 利き足 | 右 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
笠井 健太(かさい けんた、1985年12月25日 – )は、静岡県菊川市出身、鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ブラジルパウリスタFC時代には、日本人では3人目のリベルタドーレス杯出場を果たした。ポジションはDF(右サイドバック)。
目次 |
[編集] 来歴
3歳でサッカーを始め、小2から中1までをカナダで過ごす。静岡・菊川東中の3年時に1ヵ月間、ブラジルのサントスFC下部組織に短期留学。その後、特待生ではなく一般受験で静岡・袋井高校に進学し、県大会出場に貢献するなど活躍し2年時の冬にブラジルへ渡り、サントスFCの下部組織へサッカー留学。2004年にパウリスタFCと2年のプロ契約を結ぶ。
高校時代は無名な選手だったが、パウリスタFCでは、元Honda FCでプレー経験を持つマンシーニ監督や元日本代表FW呂比須ワグナーアシスタントコーチの下で才能を開花させた。
ポルトガル語が堪能で「ブラジル人以上にポルトガル語を流ちょうに話す日本人」と地元紙で報じられた。
2007シーズン後、ブラジル全国選手権2部のECサント・アンドレからオファーが来たが2008シーズンからJリーグ・鹿島アントラーズへ加入。三浦知良以来のブラジルからの逆輸入選手として注目されている。
2008年3月12日のAFCチャンピオンズリーグ2008グループステージ第1節にて途中出場し、鹿島アントラーズ公式戦デビュー。
[編集] プレースタイル
高校時代はFWだったが、パウリスタFCに入団後は俊足と運動量を買われセンターバックに転向。その後右サイドバックに転向し、守備力が評価された。GK以外ならどこでもできるというポリバレント。フィジカルにも定評がある。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- 1998年 - 2000年 菊川市立菊川東中学校(3年の1か月間、サントスFCの下部組織に短期留学)
- 2001年 - 2002年 静岡県立袋井高等学校(2年の冬までプレー)
- 2003年 - 2003年 サントスFCジュニオール(20歳以下の下部組織)
プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | パウリスタ | ||||||||||
| 2005 | パウリスタ | ||||||||||
| 2006 | パウリスタ | ||||||||||
| 2007 | パウリスタ | ||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008 | 鹿島 | 27 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2009 | 鹿島 | 27 | J1 | ||||||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
| 総通算 | |||||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2008 | 鹿島 | 27 | 2 | 0 |
| 通算 | AFC | 2 | 0 | |
[編集] 外部リンク
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