東武鬼怒川線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東武鬼怒川線
軌間 1067 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式 (直流)
KHSTa
浅草駅
STR
伊勢崎線
HST
東武動物公園駅
STR
日光線
STRq KRZo STRq STRlg
JR東日光線
BHF STR
0.0 下今市駅
eABZrg exKBHFr HST
-
1.4
新今市駅 -1929
STRrg
STRrf + ÜWol
STRrf + ÜWol
STRrf
ÜWc3 STR
今市駅
ÜWol
ÜWc3 + ÜWc1
ÜWc3 + ÜWc1
ÜWc3
ÜWo+r STRlf
ÜWc1 ÜWo+r STRlf STRq
日光線
WBRÜCKE
大谷川
BHF
0.8
0.0
大谷向駅
BHF
4.8 大桑駅
eBHF
6.6 中岩駅 -1922
exSTRq eABZlg
矢板線
BHF
7.1 新高徳駅
eBHF
8.6 鬼怒大瀞駅 -1954
BHF
9.9 小佐越駅
BHF
11.6 鬼怒立岩信号所
BHF
12.4 鬼怒川温泉駅 1964-
eBHF
13.6 鬼怒川温泉駅 -1964
BHF
14.5 鬼怒川公園駅
BHF + exGRENZE legende
BHF + exGRENZE legende
BHF
16.2 新藤原駅
STR
野岩鉄道会津鬼怒川線
HST
会津高原尾瀬口駅
STR
会津鉄道会津線
HST
会津田島駅

鬼怒川線(きぬがわせん)は、栃木県日光市下今市駅と同市の新藤原駅を結ぶ、東武鉄道が運営する鉄道路線である。2006年3月20日市町村合併により、全線が日光市内となった。

目次

[編集] 路線データ

[編集] 運行概況

基本的には、東武日光線を経由して伊勢崎線浅草駅発着の特急スペーシア「きぬ」快速・区間快速東日本旅客鉄道(JR東日本)の新宿駅からJR東北本線宇都宮線)と東武日光線を経由して特急「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」、日光線新栃木駅下今市駅発着の普通が運行されている。そのうち、特急「スペーシアきぬ」「(スペーシア)きぬがわ」についてはともに停車駅が限定されているが、快速・区間快速・普通はいずれも各駅に停車する。基本的にはこの3種別は1時間に1本程度運行されており、この3種別の一部は鬼怒川温泉駅新藤原駅での折り返しだけでなく、野岩鉄道会津鬼怒川線会津高原尾瀬口駅会津鉄道会津線会津田島駅まで直通するものもある。会津鉄道からは野岩鉄道線を経由して「AIZUマウントエクスプレス」「AIZU尾瀬エクスプレス」が計3往復直通運転している。これも鬼怒川温泉 - 新藤原間の各駅に停車する。このほか、新藤原駅始発で東武日光駅まで直通する列車が1日1本運行されている。

線形軽便鉄道を改軌した路線ということもあり、急曲線が連続する。

[編集] 使用車両

[編集] 現在の車両

[編集] 過去の車両

  • 東武鉄道
  • 下野電気鉄道
    • デハ10形 - 1925年に雨宮製作所で新製された木造4軸ボギー電動車。
    • デハニ101形 - 1931年の鬼怒川線改軌・昇圧の際に新製された荷物室合造電動車。
    • この他、ワルシャートギャウ製タンク形蒸気機関車や英国デッカー社製電気機関車等も保有していた。

[編集] 歴史

鬼怒川線は、東武鉄道に買収される前は下野電気鉄道株式会社、さらにその前は下野軌道株式会社と名乗る会社が運営していた。1915年(大正4年)に藤原軌道株式会社として栃木県下都賀郡今市町(現・日光市)から塩谷郡藤原村(同)に至る2フィート6インチ (762mm) 軌間の蒸気軌道の特許を受けることから出発し、同年10月30日に創立総会を開き、会社名を下野軌道株式会社と改め、高野留吉が初代社長に就任、本社を今市町(同)に置き、資本金10万円で設立された。

鉄道運輸事業は貨物輸送が主力で、1917年(大正6年)1月2日に大谷川北岸(大谷向今市) - 鬼怒川南岸(中岩)までの3マイル6分 (4.9km) が開通した。開業当初の動力は蒸気機関車を利用して貨車と客車との混合編成で1日6往復し、旅客は約90人、貨物は55tを輸送した。1917年(大正6年)5月には沿線鉱山の急激な発展に対応するため設備と資本金を50万円に増資し、同年11月に中岩 - 大原まで2.5マイル (4km) が開通し事業も上向きかけていたが、第一次世界大戦の影響で石炭と油脂類の物価が急騰し営業費が増大し、加えて1918年(大正7年)6月には貨物輸送の大半を占めていた西沢・木戸ヶ沢両精錬所が事業を中止するに至り1日の貨物量が100tから40tまで激減し、売上減少の大打撃を被った。しかし、1919年(大正8年)3月に大原 - 下滝間、同年10月に大谷向今市 - 新今市間が開通し、大谷川を渡って省線今市駅前から接続することになり、1920年(大正9年)1月1日には下滝 - 藤原間が開通し、開業から3年で新今市 - 藤原間10マイル9分 (16.2km) が開通した。

1918年(大正7年)9月には、高徳より分岐して東北本線矢板駅に至る軌道特許を得ていたが、1919年(大正8年)に地方鉄道法が施行されて、地方鉄道敷設免許を得て軌道敷設特許を返上した。1920年(大正9年)5月に藤原線(現・鬼怒川線)を軌道線から電気鉄道線に改良し、地方鉄道敷設申請を提出して免許を受け、改良工事の名目で資本金100万円に増資、1921年(大正10年)6月6日に会社名を下野電気鉄道と改めた。1922年(大正11年)3月9日に新今市 - 藤原間全線電化を行い、電車線は600Vの電気鉄道として歩み出した。副業として電灯・電力の供給事業に進出した。電化当初は電車は運転されず電気機関車に牽引されて旅客運輸営業に就いた。1923年(大正12年)5月31日に不況の長期化、とりわけ鉱山の影響が大きく旅客貨物運輸営業の収支が減少し、資本金を80万円に減資した。1924年(大正13年)3月1日後に東武矢板線となる高徳 - 矢板間の一部(高徳 - 天頂間)6マイル4分 (9.7km) が開通したが、営業収支が上がらず、依然として不振に喘いでいた。

1925年(大正14年)には、新事業として乗用自動車事業に進出した。同年12月には免許がおりた。1926年(大正15年)3月11日に乗用自動車事業が営業開始、電動客車1両を導入し、電機牽引列車と併用したが沿線の自動車路線との競争が激しくなり収益が上がらず、高野留吉が取締役を退き代わって植竹竜三郎が取締役社長に就き、同年12月に宇都宮政市が植竹竜三郎に代わって就任した。1927年(昭和2年)4月には資本金を160万円に増資し、本社を東京市本所区(現・東京都墨田区)の東武本社内に移した。徐々に東武鉄道の傍系鉄道会社として経営陣も刷新していったようである。

1929年(昭和4年)、東武の日光線が下今市まで延伸されたの機に下野電気鉄道線との連絡を図り、小倉町臨時停留所を設置、さらに10月には日光線下今市駅構内に乗り入れてここを起点と改めて下今市 - 新今市間を廃止した。下野電気鉄道と東武鉄道との乗り入れを考慮するため軌間を東武鉄道と同じ軌間に変更することになり、先立って下今市 - 天頂間を改軌し、天頂 - 矢板間を3フィート6インチ (1067mm) で建設し、同年10月22日に下今市 - 矢板間の直通運転を開始し、12月20日に鉄道省線との旅客貨物の連絡運輸を開始した。改軌当初は充当させる車両が少なく直通先の東武鉄道から蒸気機関車や客車を借り入れた。電車もともに充当させる車両が少なく日光電気軌道から車両を借り入れた。非電化区間の旅客輸送には汽車会社製のガソリン気動車2両を購入し充当した。1931年(昭和6年)、電車線が600Vでは将来直通の弊害となるため1500Vに昇圧し、電車も川崎車両から購入し就役させた。1932年(昭和7年)5月には鬼怒川川治温泉が世間から認知を受けていくうちに乗合自動車業者との競争が激化し下野電気鉄道線の減収が激しくなったようである。かくして同社は創業以来営業収益が芳しくなく加えて1920年(大正9年)頃からの不況よって沿線の鉱山も深刻な不況になり、ようやく鬼怒川・川治温泉が賑わう頃となっても自動車路線との競争の激化で収支が見込めないためほとんど株主に利益配当ができず、大正年間以来大半が政府補助金の交付を受けていた。創業以来困難な経済状況で経営してきた下野電気鉄道は、交通統合により1943年(昭和18年)5月1日東武鉄道に買収され解散に至った。即日東武鬼怒川線として運営されている。

[編集] 年表

  • 1917年(大正6年)1月2日 下野軌道が大谷向今市(現・大谷向) - 中岩(後に廃止)間(6.0km)の営業を開始。軌間762mm。鬼怒川温泉付近にあった下滝発電所(現・東京電力鬼怒川発電所)への資材運搬のためであった。
  • 1917年(大正6年)11月1日 中岩 - 大原(現・鬼怒立岩信号所)間 (4.1km) が開通。
  • 1919年(大正8年)3月17日 大原(現・鬼怒立岩信号所) - 下滝(現・鬼怒川温泉)間 (1.3km) が開通。
  • 1919年(大正8年)10月1日 大谷向今市 - 新今市(現・JR今市駅前)間 (1.4km) が開通。
  • 1919年(大正8年)12月28日 下滝(現・鬼怒川温泉) - 藤原(現・新藤原)間 (3.7km) が開通。大谷向今市駅を大谷向駅に改称。
  • 1921年(大正10年)6月6日 下野軌道が下野電気鉄道に改称。
  • 1922年(大正11年)3月19日 新今市 - 新藤原間を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。同区間を電化。大原駅を下原駅に、下滝駅を移設し大滝駅に、藤原駅を移設し新藤原駅に改称。
  • 1924年(大正13年)11月11日 小佐越前駅(現・小佐越駅)開業。
  • 1927年(昭和2年)2月19日 大滝駅を鬼怒川温泉駅に改称。
  • 1927年(昭和2年)11月 新今市 - 大桑間の大谷向駅廃止。
  • 1929年(昭和4年)7月7日 新今市 - 大桑間に小倉町駅開業。東武日光線乗り換え駅。
  • 1929年(昭和4年)10月22日 新今市 - ※大谷川右岸間を廃止。下今市 - 大谷川右岸間が開通。軌間は1067mm。大谷川右岸 - 新高徳間も1067mmに改軌。東武日光線と連絡開始。小倉町駅は廃止。高徳駅を新高徳駅に改称。※大谷川右岸は新線・旧線との切り替え地点であるが駅ではない。
  • 1930年(昭和5年)5月9日 新高徳 - 新藤原間を1067mmに改軌。
  • 1930年(昭和5年)7月6日 鬼怒大瀞駅開業。小佐越前駅を小佐越駅に改称。
  • 1931年(昭和6年)3月1日 下今市 - 大桑間に大谷向駅開業。
  • 1933年(昭和8年)1月1日 下原駅を鬼怒立岩駅に改称。
  • 1939年(昭和14年) 鬼怒川公園駅開業。
  • 1943年(昭和18年)5月1日 東武鉄道が下野電気鉄道を買収。鬼怒川線となる。
  • 1944年(昭和19年)10月25日 鬼怒大瀞駅、鬼怒川公園駅休止。
  • 1950年(昭和25年)9月1日 鬼怒川公園駅営業再開。
  • 1954年(昭和29年)11月16日 鬼怒大瀞駅廃止。
  • 1964年(昭和39年)10月8日 鬼怒立岩駅が廃止され信号所に格下げ。鬼怒立岩信号所 - 鬼怒川温泉間0.8km複線化。
  • 1986年(昭和61年)10月9日 野岩鉄道会津鬼怒川線が開業して直通運転を開始。
  • 1990年(平成2年)10月12日 会津鉄道会津線会津高原駅(現・会津高原尾瀬口駅) - 会津田島駅間が電化して、会津鬼怒川線を介しての直通運転開始。
  • 2005年(平成17年)3月1日 「AIZUマウントエクスプレス」運転開始。
  • 2006年(平成18年)3月18日 JR新宿直通の特急「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」運転開始。

下野電気鉄道は東武鉄道の電車に似た3両の自社発注の電車を保有していた。しかし、モーターの出力が小さかったため、全車が小泉線に転属した。

[編集] 駅一覧

駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ AIZU
マウント/尾瀬
エクスプレス
接続路線
東武日光線直通運転
下今市駅 - 0.0   東武鉄道:日光線
大谷向駅 0.8 0.8    
大桑駅 4.0 4.8    
新高徳駅 2.3 7.1    
小佐越駅 2.8 9.9    
鬼怒立岩信号所 - (11.6)    
鬼怒川温泉駅 2.5 12.4  
鬼怒川公園駅 2.1 14.5  
新藤原駅 1.7 16.2 野岩鉄道会津鬼怒川線
野岩鉄道会津鬼怒川線直通運転

[編集] 廃駅

  • 新今市駅(新今市 - 大谷川右岸間旧線上の駅 1922年3月19日開業・1929年10月22日廃止)
  • 小倉町駅(新今市 - 大谷川右岸間旧線上の駅 1929年7月7日開業・1929年10月22日廃止)
  • 鬼怒大瀞駅(新高徳 - 小佐越間 1930年7月6日開業・1944年10月25日休止・1954年11月16日廃止)
  • 鬼怒立岩駅(旧・大原駅→下原駅 小佐越 - 鬼怒川温泉間 1917年11月1日開業・1964年10月8日廃止、信号所へ降格)

[編集] 乗降人員

2006年度における各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す(単位:人)。

  • 下今市駅 - 2,686
  • 大谷向駅 - 139
  • 大桑駅 - 197
  • 新高徳駅 - 501
  • 小佐越駅 - 414
  • 鬼怒川温泉駅 - 3,318
  • 鬼怒川公園駅 - 464
  • 新藤原駅 - 1,517

[編集] PASMO導入

鬼怒川線では、2007年3月18日からSuicaとの相互利用が可能なICカードPASMO」を導入しているが、自動改札機を設置していない駅については簡易ICカード改札機を設置して対応している。なお、パスネットから引き続き、直通運転を行っている野岩鉄道会津鬼怒川線会津鉄道会津線の各駅へ向かう場合は、あらかじめ乗車券を購入する必要がある。

[編集] 参考文献

  • 花井正弘「下野軌道/下野電気鉄道の機関車」、『鉄道ファン』2004年1月号 No.513、2004年、pp. 140 - 146。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

他の言語