東武啓志線

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東武鉄道 啓志線
路線総延長 6.3 km
軌間 1067 mm
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
KHSTa
池袋
BHF
0.0 上板橋
eABZlf exSTRlg
STR3 exSTR
東上線
exBHF
2.8 練馬倉庫
exKBHFe
6.3 グラントハイツ

啓志線(けいしせん)は、グラントハイツ(現・光が丘)に建設された駐留アメリカ軍上級士官住宅居住者、関係者の人員輸送、物資輸送のため、上板橋駅 - グラントハイツ駅(旧・啓志駅)間を結ぶ東武鉄道が運営していた鉄道路線

啓志線の名称は、グラントハイツ建設工事総責任者のケーシー中尉の名前からきている。旅客列車廃止後も貨物輸送は続けられていたが、1959年(昭和34年)7月22日に廃止された[1]

路線データ[編集]

  • 管轄:東武鉄道
  • 区間(営業キロ):上板橋 - グラントハイツ(旧・啓志) 6.3km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:3駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化

運転[編集]

1943年(昭和18年)、上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫に所在。現在の陸上自衛隊練馬駐屯地)間が完成。終戦後、GHQにより啓志(成増陸軍飛行場跡。後のグラントハイツ)までの延伸と運行が命じられた。建設は、国鉄新橋工事区が施工し東武鉄道が運行を受託した。1947年(昭和22年)から1948年(昭和23年)にかけて、池袋駅から約30分間隔でグラントハイツ駅(旧・啓志駅)まで、ノンストップの駐留アメリカ軍専用列車を運転した。旅客列車の車両には、国鉄から10両のキハ41000形ガソリンカーを借り受け運転した。アメリカ軍の当初の方針は、ガソリンカーを東京駅まで直通運転させる計画であったが、諸般の事情により実現はしなかった。

貨物列車は、池袋駅 - 北池袋駅間の西山信号所(廃止)から東上本線に乗り入れ、グラントハイツまで向かった。

啓志線は、駐留アメリカ軍専用の鉄道であり、当初、東武鉄道はこの区間の鉄道免許を持っていなかった。廃止と同時に免許を申請、取得するが、実際にはその後の運行は行われなかった。

歴史[編集]

  • 1943年(昭和18年) 上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内間が開業(当時は啓志線の名はついていない)
  • 1946年(昭和21年)3月25日 啓志線が全線開通。陸軍第一造兵廠構内を練馬倉庫に改称
  • 1947年(昭和22年)
    • 6月 啓志をグラントハイツに改称
    • 12月6日 啓志線の旅客営業開始
  • 1948年(昭和23年)2月26日 啓志線の旅客営業廃止
  • 1957年(昭和32年)8月1日 啓志線全線閉鎖
  • 1959年(昭和34年)7月22日 啓志線廃止(練馬倉庫、グラントハイツ両駅も同日廃止)[1]

路線廃止と同時に東武鉄道が啓志線を買収。旅客営業線として活用する計画があったが、グラントハイツ跡地の利用方法が定まらず、昭和40年代以降線路は徐々に撤去されていった。

駅一覧[編集]

上板橋駅 - 練馬倉庫駅(旧・陸軍第一造兵廠構内) - グラントハイツ駅(旧・啓志駅)

グラントハイツ駅には、連合軍輸送を指揮監督する現場機関として、RTO (Railway Transportation Office) が置かれた[2]。連合軍輸送は、定時運行を最優先するものであり、列車の運行には細心の注意が払われた。

接続路線[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 啓志線の廃止年月には諸説あるが、「東武鉄道百年史」では路線・駅廃止日とも、1959年(昭和34年)7月22日と記載されている。
  2. ^ 東武鉄道では他に、館林駅西小泉駅朝霞駅の各駅にRTOが置かれた。

参考文献[編集]

  • 東武鉄道年史編纂事務局(編) 『東武鉄道六十五年史』 東武鉄道、東京、1964年
  • 東武鉄道社史編纂室(編) 『東武鉄道百年史』 東武鉄道、東京、1998年

外部リンク[編集]