東武大師線
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大師線(だいしせん)は、西新井駅と大師前駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。幻に終わった西板線計画の一部であり、全線が東京都足立区内を走行する。西新井駅近辺を除き、単線の高架になっている。
運行本数が多いという都市部の鉄道の特徴と、小規模な地域内輸送及び2両編成の電車が走行するというローカル線の特徴を併せ持つ路線である。
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[編集] 路線データ
[編集] 概要
この路線は、東武西板線(西新井駅 - 上板橋駅)計画のうち、用地確保が完了した用地を使用し、西新井大師(総持寺)参詣者の輸送を目的として開業した。なお、環七通り拡幅の際に線路用地の一部を提供したため、営業キロが100m短くなり1kmとなった。
2003年からはワンマン化され、2両編成の8000系(ワンマン対応車)が西新井と大師前を終日往復している。ただし、正月などの多客時には、通常は車両交換の際にのみ使用される西新井駅2番線を使用して、2本運転が実施される。また、12時45分西新井駅発の電車のみ車両入れ替えのため2番線を使用する。なお、この際もワンマン運転が実施されるが、補佐的な意味合いで乗務員を増員することがある。
また、大師前駅は改築工事の際にエレベーター、エスカレーターが完備され、駅構内に様々な店舗、病院がテナントとして入り、現在は駅としての役割のほか、区民、乗客も利用できる場として活用されている。
途中駅が無い盲腸線で、大師前駅改札口が西新井駅の連絡通路上に設置されている。券売機も西新井駅に設置されているため、定期券乗車客以外はすべて切符を持たずに乗ることになる珍しい路線の一つである。 同様の形態をとる路線としてはほかに西日本旅客鉄道(JR西日本)和田岬線(山陽本線支線)や名古屋鉄道築港線があげられる。ただし、これらは工場への通勤客輸送という目的のため運行本数は格段に少なく、日中時間帯は完全に運休する。
[編集] 使用車両
- 8000系(ワンマン対応車・2両編成)
かつては10000系や5050系2両編成も大師線の運用に使われていた。
[編集] 歴史
- 1931年(昭和6年)12月20日 西板線として西新井 - 大師前間1.1kmが開業。
- 1945年(昭和20年)5月20日 全線営業休止。
- 1947年(昭和22年)5月21日 全線営業再開。大師線と改称。
- 1968年(昭和43年)12月1日 環七通り拡幅のため大師前駅移転。0.1km短縮。
- 1991年(平成3年)7月26日 高架化。
- 2003年(平成15年)3月19日 ワンマン運転開始。
[編集] 駅一覧
| 駅名 | 累計キロ | 接続路線 |
|---|---|---|
| 西新井駅 | 0.0 | 東武鉄道:伊勢崎線 |
| 大師前駅 | 1.0 |
[編集] 乗降人員
2006年度の各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す。(単位:人)
- 西新井駅 - 52,504
- 大師前駅 - 18,203
[編集] 東武西板線計画
戦前には西新井駅 - 東上本線上板橋駅間を結ぶ西板線の計画があった。ほぼ現在の環七通りに沿って計画され、途中に鹿浜、神谷、板橋上宿(いずれも仮称)の各駅が計画された。
だが、申請と免許の間に起きた関東大震災による既存路線の被災復旧を優先し、1922年(大正11年)11月に西新井 - 大師前 - 鹿浜間のみの工事施工申請をし用地買収や設計にとりかかった。しかし、当時建設中だった荒川の堤防などの護岸整備が完成しておらず架橋の設計ができないことや、荒川と隅田川(旧荒川)を跨ぐ橋梁の建設費用の問題や、予定地の町関係者からの経路変更要求への対応画策などでもたついているうちに路線予定地が急速に市街地化し、「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した。後に大師前 - 鹿浜間も同様の理由で起業廃止を申請、免許を取り消された。大正末期から昭和初期にかけてのことである。
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 池袋・竹ノ塚新線 - 東武西板線計画と同様に、東武伊勢崎線 - 東武東上線を結ぶ鉄道路線計画
- 大師線と同様に(名鉄築港線は旅客が乗降可能な)途中駅が無く、分岐駅で終端駅発着の乗車券等の発売や集改札を行っている鉄道路線
- 東京23区内の定期的に旅客列車の走る単線の鉄道路線
- 王40 - 西新井から池袋へ行く路線バス。西板線が担うはずだった足立区から豊島区方面へ行く地元の足の役割を果たしている。
[編集] 参考文献
- 『鉄道未成線を歩く・私鉄編』(森口誠之・著/JTB・発行 2001年)
- 東武鉄道65年史
- 東武鉄道100年史
[編集] 外部リンク
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