東武大師線

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東武鉄道 大師線
大師前駅停車中の電車
大師前駅停車中の電車
路線総延長 1.0 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V(直流
複線区間 なし(全線単線)
停車場・施設・接続路線
ABZq+l BHFq
0.0 西新井駅 伊勢崎線
hSTRa
hKBHFe
1.0 大師前駅
大師前駅から西新井駅へ向かう列車(2011年5月)
西新井駅大師線改札口(大師前駅改札口に代わる)

大師線(だいしせん)は、東京都足立区西新井駅大師前駅を結ぶ東武鉄道鉄道路線である。未成に終わった西板線計画の一部である。

概要[編集]

全線単線である。この路線は、西板線伊勢崎線西新井駅 - 東上本線上板橋駅間 11.6km)計画のうち、用地確保が完了した用地を使用し、西新井大師(総持寺)参詣者の輸送を目的として1931年に開業した。1968年の環七通り拡幅の際に線路用地の一部を提供したため、営業キロが100m短縮され1kmとなり、1991年には西新井駅近辺を除き高架化されたために東武鉄道では唯一、踏切が全線において存在しない路線となった。

途中駅は無い。大師前駅には自動改札機自動券売機自動精算機は設置されておらず(入口にその旨が掲示されている)、同駅の乗車券発売や改札などの機能は、西新井駅構内の乗り換え通路上に大師前駅からの乗車券が購入できる券売機や連絡専用の自動改札機を設置して対応している。よって、大師前駅からは、定期券乗車客や企画切符乗車客以外は有効な乗車券を持たずに乗ることになる。 他に同様の形態をとる駅としては、名鉄築港線東名古屋港駅山陽本線和田岬線)の和田岬駅が挙げられる。

路線データ[編集]

  • 路線距離:1.0km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:2駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 保安装置:東武形ATS

歴史[編集]

  • 1924年(大正13年)5月5日 鉄道免許状下付(南足立郡西新井村-北豊島郡上板橋村間 動力蒸気)[1]
  • 1931年(昭和6年)12月20日 西板線として西新井 - 大師前間1.1kmが開業(旅客運輸)[2]
  • 1932年(昭和7年)7月22日 起業廃止許可(南足立郡江北村(鹿浜)-北豊島郡上板橋村間)[3]
  • 1945年(昭和20年)5月20日 全線営業休止。
  • 1947年(昭和22年)5月21日 全線営業再開。大師線と改称。
  • 1968年(昭和43年)12月1日 環七通り拡幅のため大師前駅移転。0.1km短縮。
  • 1991年(平成3年)7月26日 高架化。これに伴い尾竹橋通りや七曲街道の東武バスセントラル足立営業事務所西新井営業所付近を含む同線全踏切が除去。
  • 2003年(平成15年)3月19日 ワンマン運転開始。

運行形態[編集]

2003年からはワンマン化され、通常は2両編成の8000系(ワンマン対応車)1本が西新井駅と大師前駅の間を終日往復している。

2004年から亀戸線もワンマン化されたことに伴い車両運用が亀戸線と共通となった。これに伴い亀戸線での朝ラッシュ時の運用を終えた車両が亀戸駅に9時台に留置され、昼過ぎ頃に亀戸駅から曳舟駅を経て伊勢崎線を回送してやって来て、13時14分西新井駅発大師前駅行きの列車となる。また、この列車と入れ替わりで春日部支所へ入庫する13時06分大師前駅発西新井駅行きの2本のみ車両入れ替えのため2番線を使用する。通常、大師線は西新井駅においては1番線を使用するが、出入庫時に使用する本線への線路と接続の関係で車両交換の際には2番線を使用する。ちなみに1番線は本線の線路とは接続されていない。この車両交換の際もワンマン運転が実施されるが、入庫する回送電車への誤乗防止及び亀戸線から回送されてきた電車の2番線への入線時のアナウンス実施等のために補佐的な意味合いで駅員がホームにて立会を行う。また、乗務員を増員することもある。正月などの多客時には、通常は車両交換の際にのみ使用される西新井駅2番線を使用して、2本運転が実施される。

使用車両[編集]

ワンマン化以前は10000系の入線もあった。それ以前も、5050系など、2両編成の様々な車両が運用されていた。

駅一覧[編集]

駅番号 駅名 累計キロ 接続路線 線路
TS-13 西新井駅 0.0 東武鉄道:伊勢崎線(東武スカイツリーライン)
TS-51 大師前駅 1.0  

乗降人員[編集]

2010年度の各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す(単位:人)。

  • 西新井駅 - 61,166
  • 大師前駅 - 14,465

西板線計画[編集]

第二次世界大戦前には西新井駅 - 東上本線上板橋駅間を結ぶ西板線の計画があった。ほぼ現在の環七通りに沿って途中に大師前、鹿浜、神谷、板橋上宿(いずれも仮称)の各駅が計画され、このうち1922年(大正11年)11月に西新井 - 大師前 - 鹿浜間のみの工事施工申請をし用地買収や設計にとりかかった。

だが、申請と免許の間に起きた関東大震災による既存路線の被災復旧を優先したことや、当時建設中だった荒川の堤防などの護岸整備が完成しておらず架橋の設計ができないことや、荒川と隅田川(旧荒川)を跨ぐ橋梁の建設費用の問題や、予定地の町関係者からの経路変更要求への対応画策などでもたついているうちに大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化し、「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した。後に大師前 - 鹿浜間も同様の理由で起業廃止を申請、免許を取り消された。この計画中止について『東武鉄道65年史』では、「発展史唯一の遺憾事」と書かれている。

西板線の線形は、東上線の下り方(川越方面)と伊勢崎線の上り方(浅草方面)とを運行する際に折り返しがないように計画された。上板橋駅の上り方に、東上線からの分岐予定地として買収した土地は、起業廃止後常盤台住宅地として分譲されることになり、そのアクセスとして武蔵常盤駅(現ときわ台駅)が設置された。

脚注[編集]

  1. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年5月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年1月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「鉄道起業廃止許可」『官報』1932年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]