ゼロ金利政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ゼロ金利政策(ゼロきんりせいさく)とは、金融政策の一つ。政策目標金利をほぼゼロにすること。

経緯[編集]

1998年日本ではバブル崩壊後最悪の経済状況となる中で、大規模な財政政策が取られた。金融政策においても緩和が求められることになり、1999年2月、日本銀行は短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15%に誘導することを決定した。この時、当時の速水優日本銀行総裁が「ゼロでも良い」と発言したことからゼロ金利政策と呼ばれるようになった。

2000年のITバブル景気を機に一時解除されるが、2001年のITバブル崩壊を機に事実上復活。2006年に景気回復を理由に再び解除となるが、2008年12月の世界金融危機と米国のゼロ金利導入を機に2008年12月19日に日銀が無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.1%に設定することを決定。いったんは解除したゼロ金利政策を再び実施する方向へと舵を切りなおした。

スイスは2003年3月にターゲットレンジの下限をゼロと置いて事実上のゼロ金利政策を導入して2004年9月まで続けた。2008年12月に政策金利を再びゼロ金利政策を導入した。

アメリカは2008年12月に連邦準備制度理事会 (FRB) がFF金利の誘導目標を年0 - 0.25%に設定し、事実上のゼロ金利政策を取った。

経済への影響[編集]

施行時[編集]

ゼロ金利政策を採用することは、中央銀行がこれ以上の政策金利の引き下げによる金融緩和ができなくなることを意味する。このためさらに金融緩和する場合は貨幣量を目標とした量的緩和や将来の金融緩和を約束する政策などを採用することになる(→量的緩和インフレターゲット)。

ゼロ金利政策により、期待インフレ率を名目長期金利よりも大きく上昇させることが出来れば、実質金利が低下することとなる。実質金利の低下は設備投資や住宅投資などを容易にし、総需要増大効果をもたらす。

また、将来価値に対する割引率が低下するため資産の理論価格が上昇することや、借入コストの低下により流動性が資産市場に流入することなどにより、資産市場が活況を呈する方向へと進む。さらに、そのことが資産効果を通じて消費の拡大を促す。

その他、世界経済が堅調に推移すれば諸外国通貨との金利スプレッドが広がるため自国通貨安になりやすい。このため輸出が増えやすく、輸入が減りやすくなり、純輸出の拡大による総需要増大効果も期待できる。

一方で、いわゆるゾンビ企業仮説として(ゾンビ#別の意味でのゾンビ)、このような金利を引き下げる政策によって重債務企業の存続が容易になるため、経済資源の再配分が低調になり、生産性の低い企業が残存すると主張する者もいる。ただし、このゾンビ企業仮説に関しては、ゾンビ企業とされた企業がその後多数復活した事実から、ゾンビ企業を清算することの是非が問われるとの研究や[1]、そもそも生産性低下の原因はゾンビ企業存続ではなく内部効果の減少や高生産性企業の退出であったとの研究[2]など、否定的な見方がある。

解除時[編集]

解除後は、上記の政策効果の逆転が起きる。

金利を目標にした金融政策が実効性を取り戻すため、レバレッジ効果をかけた過剰投資や企業ベースでのインフレ期待発生を抑制できる。

金利負担の上昇により財政支出や設備投資への抑止効果が働き、総需要増大が抑制される。金利支払や金利収入の増加は国民経済全体では相殺されるため内需景気への影響はない。また海外投資に向けられた資金の一部が還流されることや債券価格の下落によって株式投資が活発化し株価にとってはプラスの効果を導く。ゾンビ企業仮説に従えば、債務負担の増大により重債務企業が存続できなくなり、経済資源が解放される。

物価が上昇に向かっていないにもかかわらず解除した場合は経済資源の余剰が発生し不景気となる。

諸外国通貨との金利スプレッド縮小への期待から自国通貨安が減速ないし自国通貨高への反転が起きやすくなる。なお、これにより経常収支の黒字・資本収支の赤字が縮小する。

各国の事例[編集]

日本[編集]

2000年の一時解除

1999年末には、アメリカのITバブルの波及で日本にも急速な景況改善が見えてきた。翌春にはITバブルは崩壊したが、しばらく日本経済の小康状態が続いたことなどから、2000年8月11日金融政策決定会合でゼロ金利政策は解除が決定された。解除案の採決では9人の政策委員の内賛成7、反対2という結果だった(反対したのは元東亜燃料工業社長の中原伸之東大教授の植田和男[3])。

しかし、その後世界的な同時不況が訪れ、2000年末に景気後退が始まった。このため、早くも翌2001年2月末には政策金利である無担保コールレートは0.25%から0.15%に引き下げられ、3月には量的緩和が開始されて無担保コールレートは実質的にゼロに低下し、再びゼロ金利政策が始まった。

2000年8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を良いデフレとして問題ではないとする立場をとった。経済学者岩田規久男は「ゼロ金利の解除は、日銀はデフレ脱却にコミットしていないと受け取られ、人々のデフレ予想の定着を後押しした」と指摘している[4]

2001年以降の金融緩和の中で長期金利は低下を続け、2003年には0.43%にまで落ち込んだ。この0.43%という長期金利は世界史上最も低い利率とされる。

2006年の解除

米国経済がITバブル崩壊から立ち直ると日本の景気も回復に向かい、2002年初めからの長期にわたる景気回復局面を迎えた。2005年になると消費者物価の下落は緩やかとなり、2006年に入ると前年比で上昇するようになった。このため日銀は3月9日の金融政策決定会合で量的金融緩和政策を解除し、無担保コールレートを概ねゼロ%で推移するよう促すという、純粋なゼロ金利政策に移行した。その後も景気回復が続き物価下落の圧力も低下したことから、7月14日の政策委員会・金融政策決定会合でゼロ金利政策の解除が全会一致で決定され、短期金利が実質的にゼロという状況は2001年3月以来、5年4か月ぶりに解除された。しかし、2006年8月のCPI基準改定により2005年を基準年とすると2006年1月・4月がマイナスだったことが明らかとなり、金利引き上げが時期尚早だったという批判もでた。

参考文献[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「いわゆる『ゾンビ企業』はいかにして健全化したのか?」中村純一[1]
  2. ^ RIETI政策シンポジウム「全要素生産性向上の源泉と日本の潜在成長率-国際比較の視点から-」第1報告(宮川努・深尾京司)[2]
  3. ^ 禍根残したゼロ金利解除、緊迫の駆け引き明らかに 日銀議事録 - (日本経済新聞電子版)2011年1月27日
  4. ^ 岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、251頁。

関連項目[編集]