紙幣

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紙幣(しへい)とは、製の通貨の事である。

概要[編集]

1938年昭和13年)の富士桜50銭券(政府紙幣)

紙幣(しへい)とは、広義には、公的権力(主に国家)により通貨として強制通用することが認められている紙片である。政府の発行する政府紙幣(Print money)と銀行中央銀行など)の発行する銀行券(Bank note)があるが、狭義には前者のみを指す。特定地域だけで通用する地域紙幣(地域通貨)が発行されることもある。現在の多くの国では中央銀行の発行する銀行券が一般的であるが、シンガポールなど政府紙幣を発行している国もある。現在多くの先進国の中央銀行が完全な国家機関ではなく、民間企業の投資などで出来ていることから、中央銀行のありかたを疑問視する考え方が最近世界中で起きている。そのため代替案としての政府紙幣、地域通貨なども再び脚光を浴びはじめている。

現在の日本では、政府紙幣は存在しないが、日本銀行が開業するまでは政府紙幣が発行されたほか、大正時代昭和時代には小額銀貨の代用としての銭単位の低額の政府紙幣が発行されたこともある。法令用語としての「紙幣」はもっぱら政府紙幣を指し、銀行券は含まない[1]が、日常用語としては、日本銀行券を指して紙幣と呼ぶ。

以下、特に断りのない限り「紙幣」とは狭義の「政府紙幣」ではなく、広義の紙幣を意味するものとする。

特質[編集]

強制通用力を有する紙幣(銀行券)には次のような特質が認められる[2]

汎用性
あらゆる経済取引の決済手段として利用されるという特質。
一般受容性
誰にでも受け取られるという特質。この点、使用目的の限定されるプリペイドカード等には汎用性や一般受容性が認められない。
支払完了性
第三者(金融機関等)の介在を必要とせずに当事者間の決済を最終的に完了せしめるという特質。この点、クレジットカード等とは異なる。
匿名性
いつ、どこで、だれが、どのような目的で用いたかが秘匿されるという特質。
コスト及びリスク
預金通貨や電子マネーなどに比べて保管・輸送に大きなコストがかかり、紛失・盗難・焼失・破損のリスクが高くなる。

歴史[編集]

ストックホルム銀行券(1666年

本来貨幣は貴金属など普遍的な価値を持つ財貨そのものであり、昔から王侯がコインの鋳造権を独占して市場に流通させていた。これらの貴金属による貨幣は運搬に不便であるだけでなく、摩耗による減価の問題もあったため、次第に貴金属との交換を保証された債務証書(手形)に置き換わっていった。これが紙幣のはじまりといえる。

紙幣に先だって(紙が発明される以前に)、カルタゴにおいては革製の通貨が普及していたとされる。ただしカルタゴの滅亡とともに断絶し、また考古学的資料にも乏しい事から、詳細は不明である[3]

他、古代エジプトにおいても、倉庫への穀物の預かり証(パピルス製)が通貨の代わりとして使用されていたが、古代ローマの征服により断絶している。

世界初の紙幣は代に鉄銭の預り証として発行された交子である(中国の貨幣制度史を参照のこと)。ヨーロッパでは、民間の銀行が発行した金銀の預り証である金匠手形(Goldsmith's note)が通貨として流通していたが、国家による承認を受けたものとしては1661年スウェーデンの民間銀行・ストックホルム銀行が発行したのが、銀行券としては最初のものである(だが、7年後に同行が経営破綻したために政府が受け皿として国立のリクスバンクを創設、これが世界最初の中央銀行となった)。また、1694年にはイギリスイングランド銀行が設立され、同行の約束手形が発行された。同行の約束手形は当初手書きであったが、のちに印刷に改められたことにより、交換手形として広く流通し始めた。イングランド銀行は1844年ピール銀行条例によってイギリス唯一の発券銀行とされた。

近代になって、金本位制(または銀本位制)が確立し、本位貨幣たる金貨銀貨又は銀行に保管する金地金等と交換ができる紙幣は兌換紙幣と呼ばれ、券面にはそれらの記載があった。例えば、アメリカでは、ブルーシールの兌換銀券とイエローシールの兌換金券があった。日本の兌換紙幣は最初は兌換銀券であったが、1897年明治30年)に金本位制が採用されてからは、兌換金券となった。紙幣が広く流通するためには兌換が保証されていることが重要であって、銀行など紙幣発行機関の信用がその存立基盤を形成していた。すなわち特定の銀行に正貨(つまり金銀)の準備がないという流言が広まれば、途端に信用不安を引き起こし、取り付け騒ぎが起こって銀行券が紙切れになる危険が生じたわけである。

しかし、1929年世界恐慌以降、財政金融政策が困難になるなどの理由から各国で金本位制を廃止し、管理通貨制度へ移行、多くの国の紙幣は兌換紙幣から正貨との交換が出来ない不換紙幣となった。普遍的な財貨である金銀との交換価値が失われた紙幣は、時に政府による濫発や中央銀行による国債大量引き受けなどでハイパーインフレを引き起こしたが、中央銀行による不断の通貨安定政策により一定の信頼を得て、中心的な法貨として国民生活に広く流通している。

日本における紙幣史[編集]

日本での紙幣の始まりは、記録上は『建武記』に記されている、後醍醐天皇1334年建武元年)に内裏造営資金確保のために発行されたとされる楮幣(ちょへい)であるが、現物は残っておらず、実際に発行されたかも疑問視されている。現存する最古の紙幣は、1623年元和9年)に伊勢国山田の商人が発行した山田羽書である。

江戸時代には、各藩が財政難の打開策として「藩札」を発行した。最初の藩札は諸説あるが、越前国福井藩が幕許を得て1661年寛文元年)に発行したものとされている。この他、こうした古札類には藩以外にさまざまな発行元があったことが知られている。武家発行の札では、藩と同様に知行地を有していた旗本が発行したもの(旗本札)や、幕府(兵庫開港札など)、御三卿一橋家)、奉行所代官所、藩家老が発行したものなどがある。更に大和国を中心に宮家公家寺社が発行したもの(宮家公家札寺社札)、各地の町や村が発行したもの(町村札)、特に宿場町が発行したもの(宿駅札)、鉱山の経営者が人夫の間で流通させたもの(鉱山札)、商家豪農などの個人が発行したもの(私人札)などが知られている。なお、これらは兌換性が前提の規格化された一覧払約束手形ともいうものである。また、(少なくとも日本全国において)強制流通力を有さない点などにおいて、藩を地方政府とみなさないという視点に立てば厳密な意味での貨幣(紙幣)といいがたいものがある。

明治時代に入ると、大蔵省大蔵大臣の名において発行する日本政府紙幣(日本帝国政府紙幣、大日本帝国政府紙幣もあり)が発行された。また、戦争において占領地でつかわれた軍用手票(軍票)などがある。西南戦争において西郷軍が発行した「西郷札」も軍票に含まれるであろう。

1873年(明治6年)には国立銀行条例により第一国立銀行(のちの第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)が設立され、その後も153の国立銀行が次々と開業してそれぞれ銀行券を発行した。当初は兌換銀行券であったがのちに不換となり、やがて1882年(明治15年)の日本銀行設立と同時に銀行券の発行が日銀独占のものとなり(日本銀行券)、インフレの根源であった政府紙幣と国立銀行券は次第に市場から回収された。1897年(明治30年)には貨幣法により金本位制が採用されたが、1932年(昭和7年)の金輸出禁止以後、金兌換も停止され管理通貨制度に移行した。

第二次世界大戦後、金融緊急措置令により6種類の紙幣が発行された。これをA券とよび、以後、B券、C券、D券が発行された。

2000年平成12年)7月19日には数十年ぶりの新額面であり、また当時の最新偽造防止技術を導入した二千円券がD券として発行された。この偽造防止技術には後記のE券にも受継がれている

2004年(平成16年)11月1日には20年ぶりに新しいデザインの一万円券五千円券千円券が日本銀行券E券として発行された。

政府紙幣と銀行券[編集]

額面200リーブルのアッシニア(1790年4月)

政府紙幣と銀行券はどちらも強制通用力がある法貨であるという点で混同されることが多いが、本質的に異なる性質を持つものである。前者は政府が財政赤字を補填する目的で発行されるのが一般的であり、裏付けは政府の信用のみであってその発行額は政府の負債にならないのに対し、後者は中央銀行による金融市場取引において発行され、裏付けは対価である中央銀行保有の金融資産に対する信頼であり、その発行は中央銀行の負債勘定に計上される。銀行券とは銀行によって発行された、期日のない約束手形のようなものと見ることも出来る。

政府紙幣は歴史上、フランスのアッシニア、アメリカのグリーンバックス、明治政府の太政官札など様々のものがあり、正貨準備を要しないなど不換紙幣であることが多かった。政府が恣意的に発行できる政府紙幣は供給が過剰になりがちであり、過去に幾度も貨幣価値下落=インフレを引き起こしてきた。近現代の資本主義社会においては、紙幣の発行権は中央銀行に集中せられ、政府から高い独立性を保って物価の安定(通貨価値の安定)を目的とした様々な通貨政策を行うようになっている。

一方で銀行券は本来、銀行が準備した正貨(本位貨幣、金本位制では金貨や金地金)を根拠として発行された一覧払の約束手形であり、銀行が手形を割り引いたり(→手形割引)、債券を購入する代金として支払われ、償還期間を経て銀行に環流した。当初は民間の銀行がそれぞれ各自に銀行券を発行していたが、銀行間の信用格差による経済不安などがあり、次第に一行または数行に集約されるようになってきた。それが「中央銀行」(発券銀行)である。1930年代以降は金兌換が停止された「管理通貨制度」へと移行していくが、その過程では政府の赤字国債を中央銀行が直接引き受けることによって、裏付けのない銀行券が大量に発行され、悪性インフレを引き起こすなどの弊害も見られた。赤字国債の直接引き受けは事実上、政府紙幣と変わりなく、日本では戦争直後のインフレを反省して財政法第5条によって禁止されている。

銀行券の発行量については19世紀の昔から、正貨保有量によって厳しく規制すべきと言う「通貨主義」と正貨にかかわらず自由に発券できるべきとする「銀行主義」の対立があった。本邦では1942年公布の旧日本銀行法で、日銀券の発行限度額は大蔵大臣により決定せられ、必要に応じて限外発行が認められることとなっており、金地金、国債、手形などによる同額の発行保証を保有することとなっていたが、1998年の改正日銀法によってそれらの規制も撤廃され、日銀券の発行総量は日本銀行の裁量に委ねられることとなった。一方で2001年量的緩和に伴い、日銀の国債保有残高は日銀券発行残高を超えてはならないとする「日銀券ルール」も明文化され、マネタリーベースの増大に歯止めをかけていたが、2013年4月、「量的・質的金融緩和」の導入に伴い、そのルールも一時停止が決定した[4]

偽造防止技術[編集]

紙幣には偽造を防止するための、さまざまな技術が用いられている。

透かし
日本を含めほとんどの国の紙幣は紙(植物繊維:主に三椏綿マニラ麻など)製で、繊維の厚みを加減し透かしを入れている。また、オーストラリアなど一部の国にはプラスチック製(ポリマー紙幣)の銀行券も存在し、これらの銀行券では透明の窓を作ったり、ハイテクな透かしも存在する。
現在の日本の紙幣に使用される透かし技法は、「黒透かし」および「白透かし」といわれる技法である。「すき入紙製造取締法」により、文様に関わらず黒透かしの技法を使った紙を製造する場合、又は、白透かしで紙幣や政府発行の証書などに使われている模様のある紙を製造する場合は、政府の許可を要し、それに反すると罰せられる。
ホログラム
日本では日本銀行券E券に初めて採用された。金属箔にレーザー光線を使って模様を描いたもので、見る角度によって見える像や色が変化する。現在各国の紙幣に採用され、ユーロUKポンドスイスフラン等には複雑な模様が採用されている。スイスの紙幣のホログラムは、額面の数字がアニメーションする凝った造りのもので、特に「キネグラム」と呼ばれている。
紫外線発光インク
紫外線や近紫外線を当てると蛍光を発するインクによる印刷。日本ではD券のミニ改刷(茶色記番号のもの)から採用されていて、表面の印章の部分などに採用されている。また、デンマークノルウェーの紙幣では、紙幣のデザインに関連する様々なモチーフがあらわれる。
潜像模様
見る角度により文字が浮かび上がる印刷。
深刻凹版印刷
通常の凹版印刷では再現できない、深刻凹版を使用しインキの凸感を印刷。
中間色インク
日本の1万円紙幣では10種類の中間色インクを使用し、またユーロ紙幣やスイスフラン紙幣では青緑や水色系の色を多用している。これらは、sRGB色空間では表現できない色域の色で、コピーやスキャナーで複製できない色合いのインクを使用している。
パールインク
角度を変えると真珠光沢で緑やピンク、銀白色に浮かび上がる、雲母を含んだインク。日本では2000円券にピンク色のものが初めて採用され、以後E券には全ての紙幣に採用されている。
マイクロ印刷
通常の印刷では再現が困難な微細文字を印刷。コピーやスキャンでの再現防止。
漉入れパターン
紙幣の製紙段階で漉入れパターンを実施。日本のE券やユーロ紙幣に見られる。
磁気印刷
磁粉体をインクに配合し印刷。磁気の有無での真偽判定を行う。
隠し文字
紙幣に微細な隠し文字を印刷。
ユーリオン
画像処理ソフトウェアや複写機が検出できるよう埋め込まれた特殊な模様。スキャナやコピー機でのスキャニングを防止するために日本の技術で開発された。ユーロ紙幣、デンマーク・クローネ紙幣、カナダ・ドル紙幣には全額面の紙幣に採用され、日本では2000円券に初めて採用され、E券では全ての券種に採用された。
安全線
金属や樹脂等の細いフィルムを用紙に漉き込んだもの。フィルム自体にマイクロ文字やホログラム機能を持たせたものも多い。日本では商品券にしか採用されていないが、アメリカやカナダ、それにヨーロッパの紙幣にも多く見られる。
合わせ模様
紙幣の表と裏に特定の文字や図案の部分を別個に印刷し、透かしてみれば、正しい図案に見えるというもの。ユーロ紙幣の額面表記などに使われているがこれも日本では採用されていない。
ピンホール
紙幣の一部分に額面や文字、模様などをレーザー光線によりピンホールを空けたもの。透かしてみれば、穴の空いていることが確認できる。2002年以降に発行されたスイスフランの全紙幣に採用されている。これも日本では採用されていない。
電子透かし
スキャニングを防止するために特殊な信号を表面に印刷した物。2004年以降に改版されたスイスフラン紙幣などに採用されているようだが、実態は不明。
その他
紙幣に特殊な成分を含ませる。100米ドル紙幣が有名で、専用の識別用フェルトペンで線を引くと、この成分が反応し、引いた線は黒から金色に変わる(偽造なら黒線のまま)。

紙幣にまつわるエピソード[編集]

紙幣印刷事業者[編集]

世界的に見て、紙幣の製造・印刷は専門の事業者に依頼するのが通例で、日本のように用紙の製造から印刷まで官営で行う国はむしろ例外に属する。本来共産圏では生産手段はすべて国有であるが、中国では、紙幣の製造印刷は中国人民銀行傘下の専門事業者中国紙幣印刷・造幣公司に委託している。アメリカ合衆国も印刷こそ連邦政府官営であるが、用紙の調達は1民間企業であるマサチューセッツ州ダルトン市のクレーン社に委託している。

著名な紙幣印刷事業者としては、イギリスのデ・ラ・ルー社、アメリカ合衆国のアメリカン・バンクノート社(American Bank Note Cooperation)などがある。

紙幣の取り扱い[編集]

金融機関などでは、紙幣がかさばらないように、帯封で束ねて札束にして整える。犯罪者に現金を要求された場合は、最初の1枚だけ本物で後は新聞紙を重ねて札束に見せかける偽装を行うこともある。

今日では資金洗浄というと全く別の意味で使われるが、第一次世界大戦前のアメリカ合衆国では紙幣の製造コストが高くついたため、あえて新札を発行せず、古くなった紙幣を市中から回収し、水洗いして再び市中に流す紙幣洗浄を行っていたことがある[5]。しかし洗浄後紙質の手触りが大幅に変わったため、市民から贋札ではないかと持ち込まれる例が多かった。その後第一次大戦が勃発し紙幣に用いる紙の質が低下し水洗に耐えられなくなったので中止に至る。

高額紙幣[編集]

アメリカ合衆国では かつて500ドルマッキンリー肖像)、1,000ドル(クリーブランド肖像)、5,000ドル(マディソン肖像)、10,000ドル(チェース肖像)、100,000(10万)ドル(ウィルソン肖像)の高額紙幣が発行されていた。このうち100,000ドル紙幣は金証券であり流通用紙幣ではなく、専ら連邦準備銀行と連邦政府との間の決済にのみ用いられ、一般市民が合法的に所持できる機会はなかった。一方500ドルから10,000ドルまでの紙幣は連邦準備紙幣(Federal Reserve Note)としても発行され、これらは法的には有効な紙幣(legal tender note)であるが、発行は1945年(タイプはシリーズ1934)が最後で、1969年には流通停止になっている。10,000ドル紙幣のうち100枚は、ラスベガスの老舗カジノ「ホースシュー・クラブ」に集められ店頭で展示されていたが、2000年頃の同店の経営悪化により散逸した[6]

現在事実上流通している紙幣ではシンガポールの10,000ドル(日本円で640,000円相当=2012年10月11日現在)が実質的な価値として世界最高額の紙幣といわれている。また、流通する可能性のある紙幣としては、スウェーデンにも10,000クローナ(発行当時日本円で約650,000円相当)の高額紙幣があった。さらに、現在広く流通しているという意味では、500ユーロ紙幣(日本円で51,000円相当)やスイスの1,000フラン紙幣(日本円で83,000円相当)が高額紙幣の代表として挙げられる。これらの紙幣はシンガポールの10,000ドル紙幣のように、事実上一般人が手にすることのない紙幣と異なり、旅行者も普通に手に出来るものである。

インフレ高額紙幣[編集]

世界史上、インフレ高額紙幣が初見されるのは第一次世界大戦敗戦後のヴァイマル共和政下のドイツである。この頃乱発されたマルク紙幣はひとくくりにパピエルマルクと通称され、その最高額面は100兆マルク紙幣である。

1946年ハンガリーで印刷された10垓ペンゲー紙幣(1021、紙幣には10億兆)が、発行はされていないが、印刷された紙幣では歴史上最高額面紙幣である。発行された紙幣としては1垓ペンゲー紙幣(1020、紙幣には1億兆)が最高である。

2009年現在有効な最高額面の紙幣は、アフリカ南部のジンバブエ共和国が2009年1月中旬から2月初頭にかけて発行を行っていた10ジンバブエ・ドル紙幣である。2009年2月1日時点での実質的な貨幣価値は、日本円で約220円程度である。経済が崩壊状態となり、年間インフレ率が2億3100万%(897%という試算もある)という世界最悪のインフレが続いている同国では、2008年5月から桁数が億ドル単位の超高額面紙幣の発行が開始され、2008年7月には当時としては同国史上最高額面の紙幣となる1000億ドル紙幣が登場した。その後、1000億ドル紙幣の発行開始からわずか2週間後の2008年8月にデノミネーションが実施され、桁数を10桁切り下げた新紙幣(旧100億ドル=新1ドル)の流通が始まったため、旧1000億ドル紙幣も2008年12月をもって失効した。しかし、デノミネーションが実施された後もハイパーインフレは全く収まらず、新紙幣でも10兆ドル紙幣や500億ドル紙幣などといった超高額面紙幣の発行が繰り返されたため、10兆ドル紙幣の発行開始から約2週間後の2009年2月2日に再びデノミネーションが実施され、桁数を12桁切り下げた新紙幣(旧1兆ドル=新1ドル)の発行が開始された。なお、10兆ドル紙幣の発行開始と同時に100兆ドル紙幣や50兆ドル紙幣なども印刷され、政府系新聞などで見本が公表されていたが、デノミネーションの再実施が行われたため、これらの紙幣が一般に流通することはなかった。

ジンバブエ以外では、トルコ共和国中央銀行が2001年に発行した2,000万トルコリラ(1,521円相当=2005年1月3日現在)が現在有効な高額面紙幣の例として挙げられる。しかしトルコでは、2005年1月1日に100万分の1デノミネーションが実施され、トルコリラは6桁切り下げられた。新しい通貨を新トルコリラといい旧トルコリラと区別される。それに伴い時期を同じくして新トルコリラ紙幣(銀行券)が発行された。旧トルコリラ紙幣は2015年末まで有効かつ新紙幣に引き換え可能であるが、市中での流通は停止されている(2016年1月1日に失効)。なお、その後新トルコリラは再びトルコリラに名称を復している。

紙幣に描かれる人物肖像[編集]

1989年から2001年まで使われた10ドイツマルク紙幣にはガウスの肖像画がガウス分布の図、式とともに描かれていた。
1989年ベルリンの壁崩壊まで東ドイツで使われた100ドイツマルク紙幣にはマルクスの肖像画が描かれていた。

紙幣の表面には人物肖像が描かれることが多い。これは、人間が特に人間の顔に関しては、他の図像と異なりごく僅かな差異を識別できる性質を利用したもので、偽札防止技術の一つである。年齢別にみると若者より壮年から老年にかけての人物肖像が多いのも同じ理由からで、単純に皺が多い方が肖像が複雑になり偽造しにくくなるためである。また、女性の肖像が少ないのもそのためで、髭などがあるほうが肖像が複雑になるためである。

紙幣に描かれる人物肖像は、君主制国家では在世中の王侯君主、共和制国家では英雄偉人と評価されるかつての国家元首、政治家、軍人、探検家、または文化人と評価される作家、芸術家、思想家、教育者、技術者、研究者などの著名人が通例になっており、共和制国家の事例では多くは故人である。立憲君主制国家でも君主以外の存命人物が紙幣の肖像になることは少ない。日本は君主国であるが、天皇の肖像を採用しないことになっており、共和制国家同様の人選となっている。

紙幣肖像に誰を採用するかは発行当事国により意図的に決められるため、フランスのナポレオン・ボナパルトや旧東ドイツカール・マルクスのように発行当事国にとっては評価にたる人物であっても、他国では評価が一変し憎悪されている人物が選ばれることがある。

また、紙幣肖像人物の珍例として、地域通貨ではあるがかつてスイスの一地域で犯罪者、それも贋札犯の肖像の入った紙幣が発行され、流通していたことがある。この贋札犯、公的には犯罪者だが、現地では通貨不足のおり信用できる紙幣を発行して地域経済を安定させた、という評価をされていたためである。

紙幣肖像は必ずしも記録写真や肖像画から忠実に版をおこすわけではない。ユーロ移行前のオランダで流通していたギルダー紙幣に描かれていた肖像はモダンアート風にかなりデフォルメされており、あたかもマンガのようであった。また、日本の二千円紙幣・フランスの50フラン紙幣には、肖像を描かれた紫式部アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが作家である関係で、作品に登場する架空人物も描かれている(源氏物語星の王子さま)。

さらに、無名庶民の肖像が採用される場合もあり、一例を挙げればかつて共産圏では、象徴的な意味から小額紙幣に労働者の肖像が採用される例が多くあった。現在でも朝鮮民主主義人民共和国の50ウォン以下の紙幣はそのようになっている。2010年現在、北朝鮮の100ウォン以上では人物肖像は採用されておらず、最高額面の5000ウォン紙幣に金日成が採用されている。中華人民共和国にもかつてはそうした紙幣があったが、2010年現在同国の人民元紙幣に採用される人物肖像は全て毛沢東に統一されている。またアフリカ諸国やオセアニアの島嶼国家にも無名庶民の肖像を記した紙幣がある。

経済大国の通貨で無名人物の肖像が採用されることはまずないが、その例外として旧西ドイツで1960年代初頭 - 1989年まで発行されていた第3次ドイツマルク紙幣がある。同紙幣は、かつてのファシズム体制の個人崇拝につながるとして、意図的に著名人の肖像の採用を避けていた。この時期のドイツマルク紙幣に描かれた人物肖像はデューラーなどの作品からの採用が主で、例外なく無名の庶民で多くはモデルの名前すらわかっていない。ゆえに、ほとんどの西ドイツ国民は紙幣に描かれた人物がどこの誰であるかまったく知らなかった。5 DM 紙幣に描かれた肖像はデューラー作品からの採用であるが、版元となった作品は「若いヴェネツィア人」と題されており、明らかにドイツ人ではなくその点でも異例である。なお 10 DM, 20 DM 紙幣の肖像もデューラー作品からの採用である。20 DM, 100 DM, 1,000 DM 紙幣に描かれた肖像はモデルの名が判明しているが、どれもそれほど著名な人物とはいえない。50 DM, 500 DM 紙幣の肖像については、モデルはおろか作者が誰かすらわかっていない。しかしこの紙幣はあまり評判がよくなかったらしく、1990年からの第4次ドイツマルク紙幣ではドイツの著名人物肖像が採用されている。また、日本統治下の朝鮮半島で採用されていた朝鮮銀行券のうち1915年に発行された一円・五円・十円券の肖像は、白ヒゲの老人像であったが、モデルは日本人とも朝鮮人とも判明しておらず、「日朝双方で都合良く解釈していたのでは」といわれている(多田井喜生「朝鮮銀行」PHP新書、P76)。

存命人物の肖像が採用される例は、君主制国家の在世王侯君主以外ではまずないが、独裁国家では存命中の独裁者が紙幣に自らの肖像を載せている例がよくある。

アメリカのドル紙幣も上記の例に漏れず、肖像には故人となった合衆国の歴代の大統領が多く用いられている。そのため、スラングで(主にヒップホップライムとして)『デッドプレジデント(死んだ大統領)』と呼ばれることもある。一般的には額面が高額になるほど、そこに描かれる肖像もその名声が評価されている人物が選ばれるが、アメリカのドル紙幣では多くの人の目に触れるという理由から、あえて建国の父ジョージ・ワシントンの肖像を最低額の1ドル紙幣に採用している。この1ドル紙幣は、ほぼ毎年その発行枚数が世界一を記録している。これは同国にチップの習慣など、小額紙幣の需要があるからである。

過去も含め、現在世界でもっとも多くの国家の紙幣に記されている肖像は、現イギリス女王のエリザベス2世である。彼女は即位以降、ほぼ全ての年代の肖像が揃っているという点でも異例である。エリザベス2世以外で複数の国家の紙幣にその肖像が載った人物としては、旧共産圏国家のマルクスエンゲルスレーニンアメリカ大陸国家におけるコロンブスなどが挙げられる。自国以外で紙幣の肖像になった例として、日本の財界人・銀行家の渋沢栄一は、日本の紙幣の肖像には採用されていないが、経営していた第一銀行の第一銀行券が大韓帝国の紙幣として使用されていた際に、第一銀行券の肖像になっている(日本人としてごくまれな生前に紙幣の肖像になった人物でもある)。

女性の肖像が日本銀行券の表に初めて登場したのは、樋口一葉像の5,000円紙幣だが、日本の紙幣に登場した女性肖像の最初の例は、1881年(明治14年)から1883年(明治16年)にかけて発行された改造紙幣(大日本帝国政府紙幣)に採用された神功皇后である。なおこの肖像は神功皇后の肖像が残っていないため当時お雇い外国人で来日していた画家エドアルド・キヨッソーネにより創作されたものであり、印刷工場で働いていた女中をモデルにしたといわれている。

日本で1984年まで発行されていたC一万円札五千円札はともに聖徳太子の肖像で、使われている肖像画も同じ絵であった。ただし肖像が印刷されている場所は異なっている。複数種の紙幣に同じ人物が載っている例自体はさほど珍しくないが、C千円紙幣は伊藤博文、C五百円紙幣岩倉具視で、複数の紙幣のうち二種類だけが同じ人物の肖像だった。

王室が深く崇敬されているタイ王国では、刑務所に収監されている囚人に現金を渡すことは不敬とされ罪に問われる。理由は、同国のバーツ紙幣や硬貨に国王の肖像が記されているからで、囚人に渡すことは、間接的とはいえ国王(の肖像)を牢屋へ入れることになるからである。北朝鮮でも、扱いによっては不敬とされるため金日成の5000ウォン紙幣はほとんど一般に流通していない。

その他[編集]

アメリカのドル紙幣は、裏面の色からグリーン・バックス(緑背紙幣:greenbacks)と呼ばれているが、かつて発行されていた金証券(兌換金券)は裏が黄色で金貨の絵が描かれていたことから、イエロー・バックスと呼ばれていた。

ユーロ通貨はコインは各国で様々なデザインの物が流通しているが、紙幣は同じデザインである。しかし紙幣に付いている記号番号の先頭のアルファベット文字で発行国がわかるようになっている。どの通貨もふつう発券銀行は中央銀行1行のみであり、他に通貨発行権を持つ銀行があっても、ユーロ紙幣のようにデザインはふつう統一されている。イギリスのスコットランド銀行とイングランド銀行のように、一国内で異なるデザインの紙幣を発行している例も稀にはあるが、この場合も流通地域を変えているためそう大きな問題にはならない。しかしイギリス領だった香港には歴史的経緯からまったく同じ地域に発券銀行が4行も存在し、しかもどこもが互いにまったく異なる独自のデザインの紙幣を発行し、そのどれもが香港ドルの真券として市中を流通していた。さらに各行毎にその贋札も多く出回ったので、結果として香港では贋札鑑別技術が著しく発達した。中華人民共和国に返還され、特別行政区となった2009年現在、4行だった発券銀行は3行に減ったがこの辺の事情は変わっていない。

1927年(昭和2年)に発行された日本の二百円札は、裏が印刷されておらず表にも肖像がなかった。金融恐慌収拾のために急遽製造が決定したことによる。

収集[編集]

紙幣の収集は貨幣収集の一環として行われることが多い。ただ、日本の特有の事情であるが

  • 諸外国に多数見られる記念紙幣が発行されていない。
  • 明治から昭和10年代までインフレを経験していないので、その期間に種類枚数ともごく僅かに発行された紙幣も長期間使用され、収集家が期待する新品同様の美品が非常に少ない(世界全体で数枚など)。

といった不人気要素があり、さらにはこれらは諸外国と共通するのだが、

  • コインほど種類が多くない。
  • しかも額面が高額な物が多く、短期間で流通停止になれば貨幣価値が無くなって、地金価値もないのでただの紙切れになってしまう。

などの理由で、日本ではコイン蒐集家ほど多くの蒐集家のいないのが現状である。

ただし、諸外国では多数発行される記念紙幣を中心として蒐集家は多く、特にインフレ紙幣は法定通貨としての期限が切れ、ただの紙切れになると美品が実に格安の価格で入手できるため逆にハードルが低いと人気で、アメリカ合衆国では専門誌も発行されるほどである[5]

日本では、紙幣の収集は主に、A-A券や、番号のぞろ目並び目にはプレミアムが付く場合があるので、こういった番号の珍しい紙幣を集める人が多い。また、外国紙幣の場合は切手と同様に図案で集めるトピカル収集を行う人が多いが、もっと専門的になると大蔵大臣や発券局長のサイン別に集めるというようなことも行われている。

また、版のずれや裁断不良といった印刷ミスが生じた「エラー品」は、本来は品質検査ではねられるべきものであるだけに、これが市場に流通した場合は珍重される傾向にある。

いずれにせよ紙幣は、金貨や銀貨といった貴金属硬貨の収集とは異なり、切手同様紙である点が、初心者にはリスクが多く敬遠される所以である。従って、おのずと貨幣価値の保証されている現行紙幣の珍番号収集に向かう傾向がある。

参考文献[編集]

  1. ^ 例えば、刑法第16章通貨偽造の罪において、偽造等の客体は必ず「貨幣、紙幣又は銀行券」と表記され、「紙幣」と「銀行券」を峻別する。但し、規則レベルまでになると、日常用語に一致するものが見られる(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行規則第8条等)。
  2. ^ 日本銀行金融研究所編 『新しい日本銀行 増補版』 有斐閣、2004年、36-39頁
  3. ^ ローマの歴史(I. モンタネッリ著 中公文庫 ISBN 4122026016
  4. ^ 日銀、「質的・量的金融緩和」を導入 銀行券ルールは一時適用停止 日本経済新聞 2013年4月4日
  5. ^ a b 冨田昌宏 (1996). 紙幣の博物誌.  ISBN 4-480-05675-0
  6. ^ [1] [2][3]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]