貝原益軒

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貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日寛永7年11月14日) - 1714年10月5日正徳4年8月27日))は江戸時代本草学者、儒学者。筑前国(現在の福岡県福岡藩士、貝原寛斎の五男として生れる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。

成長し福岡藩に仕えたが、二代藩主黒田忠之の怒りに触れ7年間の浪人生活を送ることとなる。三代藩主光之に許される。藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵山崎闇斎松永尺五らと交友を深める。帰藩後、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。 藩命により「黒田家譜」を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り「筑前国続風土記」を編纂する。

幼少のころから読書家で、非常に博識であった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体で書かれより多くの人に判るように書かれている。

70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に六十部二百七十余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』。思想書の『大擬録』。紀行文には『和州巡覧記』がある。

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