宮崎安貞
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宮崎安貞(みやざき やすさだ、元和9年(1623年) - 元禄10年7月23日(1697年9月8日))は、江戸時代前期の農学者。父は安芸国広島藩士宮崎儀右衛門。通称は文大夫。
25歳のとき筑前国福岡藩に仕え200石を給されるが30歳を過ぎて職を辞した。筑前国女原村に隠居し、農耕のかたわら農業技術の改良に努めた。諸国をめぐって老農の話を聞き書きする一方、貝原益軒などとも交流し中国の農業に関する書物や本草書を研究した。
中国の「農政全書」を参考にしながら、経験と研究を元に1697年(元禄9年)「農業全書」を著している。大蔵永常・佐藤信淵とともに江戸期の三大農学者と称された。
福岡県立糸島農業高等学校は、宮崎安貞の業績を称え、1949年8月から1955年3月迄の間「福岡県立安貞高等学校」と改名された時期があった。