サン・ジョルジョ銀行

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サン・ジョルジョ宮殿ファサード

サン・ジョルジョ銀行イタリア語Banco di San Giorgio[1], 英語Bank of Saint George)はジェノヴァ共和国にあった金融機関1407年に設立されており、世界最古でないとしてもヨーロッパ最古の認可された銀行である。本店はジェノヴァ初代ドージェシモーネ・ボッカネグライタリア語版の叔父グリエルモ・ボッカネグライタリア語版の指示で13世紀に建てられたサン・ジョルジョ宮殿イタリア語版にあった。

組織[編集]

サン・ジョルジョ宮殿南側

グリマルディ家イタリア語版を含むジェノヴァの著名な家族のいくつかが、この銀行の設立と統治に関わった。

サン・ジョルジョ銀行はその資金と直接投資を管理した4人のコンスルによって治められた。[2]共和国の有力な寡頭統治者たちはふつう銀行の政治においても重要だったので、銀行の影響がどこで終わり、共和国のそれがどこで始まるのか確定するのはしばしば困難である。[3]

事業[編集]

15世紀中頃のクリミア半島。ジェノヴァ領は赤く示されている。

ジェノヴァの海外領土のほとんどは直接または間接にサン・ジョルジョ銀行によって治められていた。15世紀を通して、共和国はその領土の大部分を段階的に銀行の支配から取り戻したとはいえ、1453年コルシカガツァリアイタリア語版クリミア黒海周辺にあったジェノヴァ植民地)及びいくつかの領地の統治を銀行の幹部たちに委ねた。[4]タマン半島ギソルフィ家英語版の支配下にとどまったが、一方でその君主の一族は銀行の監督下にあった。

15世紀から16世紀にわたり、銀行はヨーロッパ中で多くの支配者たちに多額の資金を貸し出し、広範囲に及ぶ影響力を得た。クリストフォロ・コロンボに資金援助したように、フェルナンド2世イサベル1世カトリック両王はそこに口座を持った。カルロス1世は彼の治世の大部分の期間、銀行に多額の借り入れを行った。ニッコロ・マキャヴェッリは、銀行のジェノヴァへの支配権は「ヴェネツィア人よりも記憶に値する共和国」の創造を可能にすると主張した。[5]

17世紀には銀行は海洋貿易に深く関わるようになり、オランダ東インド会社イギリス東インド会社のような企業と競争することとなった。

ナポレオンのイタリア遠征後、彼は独立銀行の抑制を図ったため、1805年に銀行は閉鎖を余儀なくされた[6]

参照[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Ufficio di San Giorgio または Casa di San Giorgio とも。
  2. ^ Gevurtz __.
  3. ^ Kirk 50-51.
  4. ^ Kirk 48.
  5. ^ Istoria Fiorentine, 420.
  6. ^ Vincent Boland, "Banking: The first chapter", FT Magazine, 18 April 2009