マクシミリアン・アントン・フォン・トゥルン・ウント・タクシス

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トゥルン・ウント・タクシス侯世子マクシミリアン・アントン

マクシミリアン・アントン・ラモラル・フォン・トゥルン・ウント・タクシスドイツ語Maximilian Anton Lamoral von Thurn und Taxis, 1831年9月28日 レーゲンスブルク - 1867年6月26日 レーゲンスブルク)は、トゥルン・ウント・タクシス侯マクシミリアン・カールとその最初の妻のデルンベルク男爵夫人ヴィルヘルミーネの長男。

1858年8月24日、ポッセンホーフェン城バイエルン公マックス・ヨーゼフの長女ヘレーネと結婚した。ヴィッテルスバッハ家家長であるバイエルン王ルートヴィヒ2世は、マクシミリアン・アントンの一族は1806年のドイツ諸侯の陪臣化に伴って領邦君主の身分を失っているため、王族として認められないとしてこの結婚を許そうとしなかった。しかしヘレーネの妹のオーストリア皇后エリーザベトとその夫のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のとりなしにより、この結婚は実現に至った。

マクシミリアン・アントンは父に先立って1867年に亡くなったため、トゥルン・ウント・タクシス侯爵家の世継ぎはマクシミリアン・アントンの長男マクシミリアン・マリアとなった。

子女[編集]

妻ヘレーネとの間に二男二女をもうけた。