コンチネンタル (映画)

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コンチネンタル
The Gay Divorcee
ジンジャー・ロジャース(左)とフレッド・アステア
監督 マーク・サンドリッチ
脚本 ジョージ・マリオン・ジュニア 英語版
ドロシー・ヨースト英語版
原作 ドワイト・テイラー英語版
The Gay Divorce
製作 パンドロ・S・バーマン英語版
出演者 フレッド・アステア
ジンジャー・ロジャース
アリス・ブラディ
音楽 コン・コンラッド英語版
マックス・スタイナー
主題歌 A Needle In a Haystack
撮影 デヴィッド・アベル英語版
編集 ウィリアム・ハミルトン英語版
製作会社 RKO
配給 RKO
公開 アメリカ合衆国の旗 1934年10月12日
大日本帝国の旗 1935年4月
上映時間 107分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $520,000
興行収入 アメリカ合衆国の旗カナダの旗 $1,077,000
世界の旗 $697,000[1]
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コンチネンタル』(英語: The Gay Divorcee)は、1934年に公開されたアメリカ合衆国ミュージカル映画

概要[編集]

RKOスタジオ製作。フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのコンビによる初主演作品である。『コンチネンタル』はこの年創設されたアカデミー賞主題歌部門で受賞し(『夜も昼も』は映画オリジナルではないという理由でノミネートされなかった)、そのほか作品、室内装置、録音、作曲の4部門にノミネートされた。

本作は公開後スタジオの予想を上回るヒット作となり、アステアとロジャースは「マネー・メイキング・スターズ」(金の稼げるスター)と謳われた。以後『ロバータ』(1935年)、『トップ・ハット』(1935年)、『艦隊を追って』(1936年)、『有頂天時代』(1936年)、『踊らん哉』(1937年)、『気儘時代』(1938年)、『カッスル夫妻』(1939年)と7年の間に9作がこのコンビで製作された。

なお、『コンチネンタル』という邦題には内容と関連性に乏しく、第二次世界大戦後再公開の際に邦題には「離婚協奏曲」の副題が加えられている。

ストーリー[編集]

キャスト[編集]

製作[編集]

前作『空中レビュー時代』(1933年/RKO)で初共演し、「キャリオカ」のナンバーによってアステアとロジャースは人気を博していたが、製作主任パンドロ・S・バーマンはこの二人の主演映画を企画し、映画入りする前のアステアが1932年に主演したブロードウェイミュージカルThe Gay Divorce(陽気な離婚)』の権利を3万5000ドルで獲得した。同作はニューヨークで248回の上演記録を持ち、音楽をコール・ポーターが担当。後に彼の代表作となる『Night and Day(夜も昼も)』が初演されたのもこの舞台であった。

アステアは『空中レビュー時代』の撮影後『陽気な離婚』のロンドン公演のために渡英中バーマンからの連絡を受けて次作への出演を快諾するが、『陽気な離婚』のストーリーが映画向きではないこと、ジンジャー・ロジャースとの再共演によって観客から飽きられるのではないかという危機感を持ったこと(アステアは舞台人・映画人としての生涯を通じて、自分のパフォーマンスがあらゆる点においてワン・パターンとなり、観客から飽きられることに対して恐怖感を持っていた)などから契約交渉は難航した。最終的に当時としては異例のことながら、出演料のほかに興行収益1%の歩合収入と、ミュージカル・シークエンスの製作についてはすべてを一任するという条件で、バーマンはアステアに出演を契約させた。

映画化にあたっては『夜も昼も』以外の舞台版歌曲はすべて削られ、ハリー・レヴェルとマーク・ゴードンによる『Don't Let It Bother You』と『Let's K-nock K-nees』、コン・コンラッドとハーブ・マジソンとによる『A Needle In a Haystack』と『The Continental』の4曲が書きおろされた。最大の見せ場は舞台版以来の『夜も昼も』と『コンチネンタル』のプロダクション・ナンバーで、前者ではアステアとロジャースの名人芸が披露され、後者では17分にわたって数十人のエキストラダンサーを用いた群舞が見られた。

参考文献[編集]

  1. ^ Economic Effects of Vertical Disintegration: The American Motion Picture Industry, 1945 to 1955” (PDF) (英語). LSE Research Online. 2016年6月2日閲覧。

外部リンク[編集]