ゴッドファーザー PART II

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ゴッドファーザー
PART II
The Godfather Part II
監督 フランシス・フォード・コッポラ
脚本 マリオ・プーゾ
フランシス・フォード・コッポラ
製作 フランシス・フォード・コッポラ
グレイ・フレデリクソン
フレッド・ルース
出演者 アル・パチーノ
ロバート・デュヴァル
ダイアン・キートン
ロバート・デ・ニーロ
音楽 ニーノ・ロータ
カーマイン・コッポラ
撮影 ゴードン・ウィリス
編集 ピーター・ツィンナー
バリー・マルキン
リチャード・マークス
配給 パラマウント映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1974年12月12日
日本の旗 1975年4月26日
上映時間 202分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
イタリア語(シチリア語)
スペイン語
製作費 $13,000,000[1]
興行収入 $47,542,841アメリカ合衆国の旗[1]
$193,000,000世界の旗[2]
前作 ゴッドファーザー
次作 ゴッドファーザー PART III
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ゴッドファーザー PART II』(ゴッドファーザー パート ツー、原題: The Godfather Part II )は、1974年に公開されたアメリカ映画。監督はフランシス・フォード・コッポラ。脚本はコッポラとマリオ・プーゾの合作。PG12指定。

ゴッドファーザー』の続編だが、物語の時系列はやや複雑で、前作の後日談であると共に前日談に相当する。第一作でコルレオーネ・ファミリーを継承したマイケル・コルレオーネのその後を語ると同時に、若かりし頃のヴィトー・コルレオーネが力を手にして浮上していく様を丁寧に描き出す。

概要[編集]

1972年に公開された『ゴッドファーザー』の続編。原作となったマリオ・プーゾの小説の中から、前作では描けなかった父ヴィトー・コルレオーネの青年時代と、息子マイケル・コルレオーネのその後という二つの異なった時代の物語を平行させながら描いている。この形式には意味があり、二つの時代の主人公を対比的に描いて、現代の主人公であるマイケルの苦悩を高めるためである。ただし、そのことによって、特に字幕でストーリーを追う視聴者には一部混乱をきたすことがあったとされる。

映画は1973年10月1日から1974年6月19日の間に撮影された。1974年12月12日に全米で公開され、興行的に成功を収めた。批評家たちからも前作に勝るとも劣らない傑作であると絶賛された。同年度のアカデミー賞では作品賞を含む9部門(そのうち助演男優賞部門では3人が候補になった)でノミネートされ、そのうち作品賞・監督賞・助演男優賞・脚色賞作曲賞美術賞を受賞した。アカデミー作品賞を受賞した映画の続編が再び作品賞を受賞したのは、現在に至るまでアカデミー賞史上唯一の快挙である。

1993年にはアメリカ国立フィルム登録簿の保管作品に選ばれた。1998年アメリカ映画協会が選んだ映画ベスト100中第32位、2007年に更新されたリストでは同じくベスト100中第32位にランクインした。

この映画はテクニカラーで撮影された最後のアメリカ映画である[3]

ストーリー[編集]

この映画では、二つの物語が同時進行で語られる。一つ目の物語の舞台は1958年から1959年で、前作『ゴッドファーザー』に続くマイケル・コルレオーネの姿が描かれる。もう一方の物語は1901年から1941年までの、マイケルの父ヴィトー・コルレオーネの在りし日の姿を描く。幼い頃にニューヨークに渡りコルレオーネ・ファミリーを築いていくヴィトーの物語が、現在のファミリーを守るために戦うマイケルの物語と交錯する。

1901年:ヴィトーの子供時代[編集]

映画は1901年から始まる。シチリアコルレオーネ村で、ヴィトー少年の父アントニオ・アンドリーニの葬儀が行われている。彼は地元マフィアのボス、ドン・チッチオへの上納金を拒んだため殺されたのだ。葬列に銃声が響いて、一人の女性が叫び声を上げる。チッチオに復讐しようとしたヴィトーの兄パオロが、返り討ちにあったのである。

ヴィトーの母は息子を連れてドン・チッチオのところに赴き慈悲を請うが、チッチオは拒否する。母は刃物でチッチオを人質に取り、息子を逃がす。チッチオの部下はヴィトーの母を射殺し、少年を求めて村を捜索する。ヴィトーは村の住人の援助を得て脱出し、ニューヨーク行きの船に乗り込む。エリス島の入国管理官が彼に名前を尋ねるが、英語が理解できないヴィトーは答えない。係の男が彼の名札から「ヴィトー・アンドリーニ、コルレオーネ村より」と答え、彼は「ヴィトー・コルレオーネ」として登録された。

1958年:ドンとしてのマイケル[編集]

1958年のレイク・タホ。父ヴィトーの後を継ぎゴッドファーザーとなったマイケル・コルレオーネの大邸宅で、彼の息子アンソニーの初聖体式を祝うパーティーが華やかに開かれている。その間マイケルは別室で、コルレオーネ・ファミリーの様々な問題に対処している。

マイケルは新たにファミリーの拠点となったネヴァダ州の上院議員パット・ギアリーに会って、ファミリーが手に入れたカジノホテルの賭博のライセンス料金について話し合う。しかしギアリー上院議員はマイケルのことを「やましい仕事をするイタリア系マフィア」と軽蔑し、交渉は頓挫する。マイケルは聞き分けのない妹コニーにも手を焼いている。彼女は離婚したばかりだが、既にマイケルの意に沿わない男と再婚するつもりでいる。

マイケルはさらにマフィアのジョニー・オラとも話し合う。オラはユダヤギャングの大物であるハイマン・ロスの右腕で、ギャンブル産業に進出するマイケルを手助けしている。遅れてマイケルは、“フランキー・ファイブ・エンジェル”と呼ばれる組織の幹部フランク・ペンタンジェリに会う。ペンタンジェリはピーター・クレメンザの死後ニューヨークの縄張りを統治してきた人物であり、ロスを後ろ盾にしたロサト兄弟と対立していた。ロスと協力関係にあるマイケルはペンタンジェリをなだめるが、ペンタンジェリはそんなマイケルを非難する。

その夜遅く、マイケルは銃火器で武装した暗殺者に襲われる。彼の妻ケイ・アダムスが寝室のカーテンがなぜか開いていることに気づいたため、暗殺は未遂に終わる。事件の後マイケルは腹心のトム・ヘイゲンに、暗殺は誰か身近な人間が関わっていること、自分が死ぬかもしれないこと、家族を守るために全権をトムにゆだねることを告げる。

1917年:ヴィトーの最初の犯罪[編集]

1917年のニューヨーク。青年となったヴィトー・コルレオーネは友人のジェンコ・アッバンダンドと食品雑貨店で働きながら生活していた。近隣は“ブラック・ハンド”のドン・ファヌッチの支配下にあり、地元の業者はみかじめ料を納めるよう強要されていた。

イタリア系移民でありながら、同じイタリア系移民を締め上げ搾取するファヌッチは嫌われながらも恐れられていた。そしてヴィトーも、食糧雑貨店での仕事をファヌッチの甥に奪われてしまう。失職したヴィトーはこそ泥のピーター・クレメンザと出会い、一緒に最初の犯罪を行う。地元の裕福なアパートから赤い絨毯を盗み出すのである。

1958年:マイケルのロス内偵[編集]

マイケルはフロリダでハイマン・ロスに会って、フランク・ペンタンジェリを暗殺未遂事件の首謀者として粛清する旨を告げる。ブルックリンに戻ったマイケルはペンタンジェリに会い、今度は逆に事件の黒幕はロスだとわかっていると言う。マイケルはペンタンジェリに、ロスを油断させるためにロサト兄弟と和解して欲しいと持ちかける。ペンタンジェリとロサト兄弟の会談の最中、ペンタンジェリはロサト兄弟によってだまし討ちをされる。しかし乱闘中に警官が現場に現れたため、ペンタンジェリをその場に捨ててロサト兄弟は逃亡する。ペンタンジェリの用心棒であるウィリー・チチも轢き逃げされる。

トム・ヘイゲンがネヴァダの売春宿に呼び出されていくと、ギアリー上院議員が追い詰められていた。気が付いたら血だらけで死んだ売春婦と取り残されていたのである。マイケルの兄フレドは殺人現場の後始末を担当する。そしてトムは事件をもみ消す交換条件として、上院議員にファミリーとの友好を提示する。コルレオーネ・ファミリーの幹部アル・ネリが、手をタオルで拭っているのがちらりと見える。トムはギアリー上院議員に、事務所に電話してレイク・タホのマイケル・コルレオーネ邸にいるというアリバイを作らせる。「スキャンダル」をコルレオーネ・ファミリーに握られたギアリー上院議員は、もはやコルレオーネ・ファミリーに逆らうことはできなかった。

1958年末、マイケルはキューバハバナでロスに会う。この時期バティスタ政権がアメリカからの投資をさらに求める一方、フィデル・カストロ率いる共産主義者で構成される反政府ゲリラは、ソ連からの後援を受けてキューバからアメリカの影響を排除すべくキューバ革命の成就に向けて活発に活動していた。マイケルは他のビジネスマンと一緒にロスの誕生日を祝い、新しい取引についてアメリカでの合法ビジネスをどう割り振るか議論していた。その会議中にマイケルは、自らの命を投げ打ってまで革命を成功に導こうとするゲリラが勝利する可能性について言及する。

マイケルの兄フレドが、政治工作に使う200万ドルを詰めたブリーフケースを携えてハバナに到着した。遅れてギアリー上院議員と政府関係者がワシントンから到着し、マイケルはフレドにハバナの観光案内を頼む。マイケルは兄のフレドに、自分を殺そうとしたのはロスだと告げる。新年のパーティーの後にマイケルを殺害しようとするロスに対し、マイケルは既に対策を講じていると語る。ホテルの一室でマイケルはロスに、フランク・ペンタンジェリを殺そうとしたのは誰か問い詰める。ロスはラスベガスの創始者であるモー・グリーン殺害事件に言及する。ロスはモーの力量を認めており、前作で彼を殺してラスベガスを奪ったマイケルに対し含むところがあったのだ。

その夜、マイケルがアメリカの議員と政府関係者たちとナイトクラブで過ごしている間、フレドはロスの腹心ジョニー・オラと初対面のふりをする。しかし間もなくセックス・ショーが始まると、フレドはうっかり「以前オラからこういう場所を紹介された」と口を滑らせる。マイケルは自分の兄が裏切り者であると知って、自分のボディガードを派遣してロスを始末させようとする。彼はジョニー・オラを絞め殺すことはできたが、ロスは危ういところで持病のため病院に運び込まれる。マイケルの部下はロスを病院のベッドで殺そうとするが、任務を果たす直前に政府軍に撃たれる。一方その頃、大晦日から開かれている新年パーティーに出席中のマイケルは、肉親に裏切られた怒りをフレドにぶつける。新年が明けた直後にキューバ政府軍が反政府ゲリラに敗北したことを政府高官がパーティーの客に告げ、大部分の客は首都が共産主義者の手に渡ったキューバから逃げ出すことを選択する。マイケルたちもハバナから脱出しようとするが、マイケルと同行することを拒否したフレドは一人で逃走する。

アメリカに戻ると、マイケルはフレドについてトム・ヘイゲンに尋ねる。ロスは脳卒中の後キューバを脱出してマイアミで療養中だということ、ボディガードは死んだこと、フレドはおそらくニューヨークに潜伏中であることを伝える。トムはまた、ケイが流産したこともマイケルに伝える。

1919年:ヴィトーのファヌッチ殺害[編集]

ここでヴィトーの物語に戻る。フレドが肺炎に罹り、治療を受けている。それをヴィトーは悲痛な面持ちで見つめていた。そして、ピーター・クレメンザ、サル・テッシオとの会食にて、ドン・ファヌッチがヴィトーらによる犯罪とその組織に気付いており、分け前を欲しがっていることを議題に上がる。ファヌッチにみかじめ料を払うことを嫌がるヴィトーは、友人たちに全てを彼の手に任せてもらうように懇願する。ファヌッチとの交渉は上首尾に終わり、ヴィトーたちは当初の約束よりかなり小額の金額を支払うだけで済んだ。しかしヴィトーたちにとってファヌッチは、いずれ排除しなければならない障害になりつつあった。

この後、近所で大きなパレードがあり、ヴィトーはこの機会を利用してファヌッチのアパートで彼を殺害する。ファヌッチが居なくなると、ヴィトーは近所の尊敬を集め、地元の揉め事を仲裁するようになる。彼の経営するジェンコ・オリーブオイル商会は今や上り調子であった。

本編では割愛されているが、トム・ヘイゲンがここで拾われてきたエピソードがある。『ゴッドファーザー・サガ』ではそのシーンがある。

1959年:マイケル一家の瓦解[編集]

1959年のレイク・タホ。間一髪でキューバ革命から逃れたマイケルは邸宅に戻り、子供の死産や組織の危機と向き合わなければならなくなる。一方、ギアリー上院議員の在籍する上院委員会は、犯罪組織の首魁としてマイケルを告発しようとしていた。彼らはコルレオーネ・ファミリーから離反した殺し屋のウィリー・チチを尋問するが、マイケルが直接彼に命令したことはないので、彼の証言は大した役には立たない。

上院委員会に召喚されたマイケル。コルレオーネ・ファミリーの操り人形になったギアリー上院議員はイタリア系アメリカ人への偏見を否定する演説をし、手続きから逃れる言い訳をする。マイケルは委員会に、自分への告訴を裏付ける証人を喚問するよう委員会に要求する。次のシーンで、フランク・ペンタンジェリが存命していることが明らかにされる。マイケルによって殺されかけたと信じるペンタンジェリはFBIと協定を結び、マイケルに不利な証言をする気でいた。トム・ヘイゲンとマイケルはこの問題について議論し、ロスの策略に嵌まったことを認める。

マイケルは兄のフレドと個人的に面会する。フレドはマイケルに、ファミリーの重要な仕事から外され疎外感を抱いていたことを吐露する。兄の告白を聞いたマイケルは、フレドとは二度と会いたくないと静かに告げる。さらにマイケルは傍らに控える幹部のアル・ネリに、二人の母親の死後にフレドを排除することをそれとなく仄めかす。

ペンタンジェリが上院委員会で証言を行う日がやってきた。証言の直前、マイケル陣営が連れてきた見知らぬ老人を見てペンタンジェリは態度を急変させる。切り札となる証人が突如として証言を翻したため、委員会は恐慌状態に陥る。一人の委員から謎の老人について尋ねられたトムは、彼はペンタンジェリの兄ベンチェンゾであり、弟を助けるためにシチリアから来たのだと答える。マイケルを追及するさらなる証言はなく委員会は休止し、トムは謝罪を要求する。

ホテルの部屋で、マイケルは子供たちを連れ去ろうとするケイと激しく言い争う。子供が死産した悲しみは分かるが、また作ればいいと言うマイケルに対し、ケイは流産ではなく意図的な中絶だったと明かす。ケイのマイケルに対する愛は既に冷めきっており、彼女はマイケルの子供を欲していなかったのだ。ケイの告白はマイケルを憤慨させる。彼はケイの顔を殴り飛ばし、子供は渡さないと告げる。

1925年:ヴィトーのシチリアへの帰還[編集]

ヴィトーと家族はシチリアに旅行し、オリーブオイルの輸入会社の商業契約と、地元の有力者ドン・トマシーノとのビジネスを強化しようとしていた。コルレオーネ村に帰還したヴィトーは、トマシーノの紹介で年老いたドン・チッチオを訪ね、彼の承認を求める。チッチオから自分の父について尋ねられたヴィトーは、自らの素性を明かした上で彼を刺し殺す。

チッチオの邸宅から逃げ出すときに、トマシーノは足を負傷してしまう。チッチオへの復讐を果たし、ヴィトーと家族は故郷を去る。

1959年:多くの死[編集]

1959年、ヴィトーの未亡人であり子供たちの母であるカーメラ・コルレオーネが亡くなった。彼女の葬儀にコルレオーネ・ファミリーの主だった面子が出席するが、ケイは葬儀には参加していない。マイケルと確執のあったコニーも飛んで帰ってきて、フレドやトム・ヘイゲンと旧交を温める。マイケルに面会を求めるフレドだが、トムは拒絶する。マイケルは未だにフレドを許しておらず、彼と顔を合わせるのも嫌がっていたのだ。一方面会を許されたコニーは、ボートハウスでマイケルと真摯に語り合う。コニーに兄と仲直りするように説得されたマイケルはフレドと面会し、互いに抱擁を交わす。マイケルはフレドと抱き合いながらも、背中越しにアル・ネリを見つめて頷く。

組織の仕事から外されたフレドは、マイケルの息子アンソニーと親しくなる。二人が釣りに興じている間、マイケルは組織の幹部であるトム・ヘイゲンやロッコ・ランポーネと、マイケルとの抗争に敗れたハイマン・ロスの最終処理について話し合っていた。ロスは引退したビジネスマンとしてイスラエルに亡命保護を申請し、拒否されていたのである。これ以上の報復は必要ないとマイケルを諌めるトムだが、マイケルは冷酷に「敵」であるロス抹殺指令を下す。

前作の映像構造を反映して、物語は暗殺と死のモンタージュの中クライマックスを迎える。マイケルの指示を受けたトムは、暗殺の危険を避けるためにアメリカ軍基地内に抑留されたフランク・ペンタンジェリを訪ね、彼に遠まわしに自殺するよう提案する。レイク・タホのコルレオーネ邸では、アル・ネリが釣り用のボートを準備している。フレドはアンソニーに、アヴェ・マリアの祈りを捧げるという釣りの秘訣を教える。しかしボートに乗り込む直前にアンソニーは、コニーによってフレドから引き離される。結局アル・ネリとフレドの二人だけで湖に出る。

空港に到着したハイマン・ロスが、記者たちからのインタビューに答えている。彼はジャーナリストを装ったロッコ・ランポーネに射殺されるが、ランポーネも警備員に撃たれる。基地内ではフランク・ペンタンジェリがバスタブで手首を切って自殺する。フレドは釣りボートの上でアヴェ・マリアの祈りをしている最中に、アル・ネリに撃たれ、ものも言わず倒れた。後には静寂だけが残った。

1941年:ヴィトーの誕生パーティー[編集]

1941年12月7日にフラッシュバックする。コルレオーネ一家はヴィトーの誕生日のために、サプライズ・パーティーを計画していた。ソニーはカルロ・リッツィ(前作で粛清されたコニーの夫)を兄弟や妹のコニーに紹介する。その席上で日本軍による真珠湾攻撃が話題になると、マイケルは大学を休学して海兵隊に入隊したと発表して皆にショックを与える。ソニーはマイケルの決断をあざける。トム・ヘイゲンは父ヴィトーがマイケルにどれほど大きな期待をかけていたかを語る。フレドだけが弟の決意を祝福し支持するが、それに対してソニーがフレドを非難する。

その後マイケル以外全員で、偉大なドンであるヴィトーを玄関に迎えに行く。別の部屋で家族全員がヴィトーの誕生日を祝う中、マイケルはただ一人食堂に残り、静かに煙草を吸う。

1959年:ラスト・シーン[編集]

反乱分子を始末して勝利したものの、マフィアに足を踏み入れる前の家族を全て失ったマイケルが一人きり、枯葉舞う庭で椅子に座っている。その顔は孤独と虚無が滲み、まるで魂を失ったかのように虚ろだった。

キャスト[編集]

日本語吹替[編集]

役名 日本語版1 日本語版2 日本語版3 日本語版4
ドン・マイケル・コルレオーネ 野沢那智 山寺宏一 山路和弘 森川智之
トム・ヘイゲン 森川公也 菅生隆之 田原アルノ
ケイ・アダムス・コルレオーネ 鈴木弘子 堀越真己 山像かおり
ヴィトー・コルレオーネ 青野武 大塚芳忠 山野井仁
フレド・コルレオーネ 大塚国夫 牛山茂
コニー・コルレオーネ 小谷野美智子 田中敦子 渡辺美佐 斉藤恵理
ハイマン・ロス 宮内幸平 大木民夫 稲垣隆史
フランク・ペンタンジェリ 雨森雅司 藤本譲
パット・ギアリー上院議員 内田稔 阪脩 佐々木敏 水野龍司
ママ・コルレオーネ 沼波輝枝 久保田民絵 竹口安芸子 新田万紀子
ディアナ・コルレオーネ 弥永和子 金野恵子
ソニー・コルレオーネ 穂積隆信 金尾哲夫 谷口節
ジェンコ 石丸博也 石塚運昇 仲野裕
クレメンザ 星野充昭 岩崎ひろし
テッシオ 中田和宏 内田直哉 桐本琢也
ドン・ファヌッチ 大宮悌二 渡部猛 稲葉実
ドン・チッチオ 兼本新吾 藤本譲 長島雄一 宝亀克寿
ジョニー・オーラ 石井隆夫
アル・ネリ 西村知道
ロス夫人 定岡小百合
  • 日本語版1:テレビ放送版、初回放送1980年11月5日、12日(水)日本テレビ『水曜ロードショー
    • 翻訳:飯嶋永昭、演出:小林守夫
  • 日本語版2:テレビ東京「ゴッドファーザー・サガ」版
  • 日本語版3:DVD版(2001年にBOXセットとして発売)※コッポラ・リストレーション版にも日本語版4と共に収録。
  • 日本語版4:コッポラ・リストレーション版(2008年にDVDとブルーレイで発売)

主な受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

受賞
アカデミー作品賞フランシス・フォード・コッポラグレイ・フレデリクソンフレッド・ルース[4]
アカデミー監督賞:フランシス・フォード・コッポラ
アカデミー助演男優賞ロバート・デ・ニーロ[5]
アカデミー脚色賞:フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
アカデミー美術賞ディーン・タブラリスアンジェロ・グラハムジョージ・R・ネルソン
アカデミー作曲賞ニーノ・ロータカーマイン・コッポラ[6]
ノミネート
アカデミー主演男優賞アル・パチーノ
アカデミー助演男優賞:マイケル・V・ガッツォリー・ストラスバーグ
アカデミー助演女優賞タリア・シャイア
アカデミー衣装デザイン賞テオドラ・ヴァン・ランクル

英国アカデミー賞[編集]

受賞
主演男優賞アル・パチーノ[7]
ノミネート
アンソニー・アスキス賞ニーノ・ロータ
編集賞ピーター・ツィンナーバリー・マルキンリチャード・マークス
新人賞:ロバート・デ・ニーロ

ゴールデングローブ賞[編集]

ノミネート
作品賞 (ドラマ部門)
監督賞フランシス・フォード・コッポラ
主演男優賞 (ドラマ部門)アル・パチーノ
脚本賞:フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ
作曲賞ニーノ・ロータ
新人男優賞:リー・ストラスバーグ

配役[編集]

青年時代のヴィトー・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロは当時無名だったが、前作でソニー・コルレオーネ役のオーディションを受けていた。最終的に起用されなかったものの、コッポラはデ・ニーロの演技力を心に留めていた。その後マーティン・スコセッシ監督作品である『ミーン・ストリート』のデ・ニーロを見て、コッポラは彼こそヴィトーの青年期を演じるのにふさわしい俳優だと確信した[3]。その判断通り、デ・ニーロはこのヴィトーの演技を絶賛され、アカデミー助演男優賞を受賞、ほとんど英語を話さずに助演男優賞を獲得した珍しい例となった。前作で晩年のヴィトーを演じたマーロン・ブランド主演男優賞を受賞している(後に拒否)。青年期と晩年という違いこそあれ、同じ人物を演じてオスカーを得た俳優は、ブランドとデ・ニーロの二人のみである。

当初コッポラは、前作でヴィトー・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドならどんな年齢の役でも演じられると思い、青年時代のヴィトー役をブランドにオファーした。しかしブランドは前作でのパラマウント映画が出したオファーに不満があったので、出演を拒否した[3]。コッポラはせめてラストの誕生日の回想シーンだけでもブランドを起用したがったが、ブランドは撮影に現れなかった。止む無くヴィトーは映らず、代役なしで撮影することになったが、それが却って今は亡きドンの偉大さ、そして回想するマイケルの虚しさを強調させることになった。

前作でソニー・コルレオーネを演じたジェームズ・カーンは、ソニー役で誕生日のシーンに再び出演することに同意した。その条件とは、前作でカーンが支払われたのと同額のギャラを受け取るというものであった[3]

ブルーノ・カービー(クレジットではB・カービー・Jr.)は若い頃のピーター・クレメンザを演じたが、前作で年老いたクレメンザを演じたのはリチャード・S・カステラーノだった。テレビシリーズの『The Super』では、カービーはカステラーノと親子を演じている[3]。カービーは他にも「ドン・サヴァティーニ」(90年)で、マーロン・ブランド演じるヴィトー・コルレオーネを彷彿させるマフィアのドンのを演じた。

当初、クレメンザもPART IIに出演する構想であったがクレメンザ役を演じたカステラーノが彼のセリフを恋人に書かせることを要求したために出演を断念し、死んだ設定となった。

備考[編集]

映画の物語は撮影前にプーゾとコッポラが新しく考え出したものであったが、アカデミー賞では脚本賞ではなく脚色賞を獲得した。マイケルの物語は映画の為に書き下ろされたものであったが、ヴィトーの物語はプーゾの小説から採られたものだったからである[3]。初期の原稿には、トム・ヘイゲンがソニー・コルレオーネの未亡人と関係を持ち、コルレオーネ・ファミリーに摩擦を生じさせるという案もあった。この部分はすぐに廃案になったが、コッポラは同様のエピソードを、続編である『ゴッドファーザー PART III』に採用した。

タイトルについて[編集]

2002年に発売されたDVDの監督解説の中で、監督であるフランシス・フォード・コッポラは、作品のタイトルに「Part II」を使用した大作映画はこの作品が初めてだと述べている。パラマウント映画は当初、映画の名前を『ゴッドファーザー PART II』にしようというコッポラの案に反対していた。コッポラによれば、映画スタジオはそのような題の映画は観客に避けられるだろうと思って反対したと言う。既に前作の『ゴッドファーザー』を見た観客は、原作にはもうほとんど追加するものがないと感じるだろうというのがその理由である。本作品の成功により、続編にナンバーをつけるのはハリウッドの伝統となった。

後に『ゴッドファーザー』の三作目の製作が決定した時、コッポラは逆に新作に『マイケル・コルレオーネの死』という題を付けることで自身が作った先例を壊そうとしていた。しかし1980年代の興行的失敗の後で彼の影響力は落ちていたため、スタジオはこの案を拒否した。結局シリーズ三作目は、『ゴッドファーザー PART III』というタイトルで1990年に公開された。

その他[編集]

  • 『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザー PART II』との間に、フランシス・フォード・コッポラは『カンバセーション…盗聴…』も監督している。『カンバセーション…盗聴…』は『ゴッドファーザー PART II』と同年の1974年に劇場公開され、アカデミー作品賞の候補作にもなった。その結果コッポラは、同じ年に二つの監督作品で作品賞にノミネートされた二人目の監督(一人目はアルフレッド・ヒッチコック監督)となった。
  • 公聴会でウィリー・クッチ、マイケル・コルレオーネ、フランク・ペンタンジェリを尋問する委員の中に、映画プロデューサーロジャー・コーマンフィル・フェルドマンSF作家リチャード・マシスンの姿がある[3]
  • ヴィトー・コルレオーネがドン・ファヌッチと交渉するシーンは、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』で、ハン・ソロジャバ・ザ・ハットと金額交渉する場面に再現されている。このシーンは劇場版ではカットされたが、DVDには収録されている。
  • 本作では予算が潤沢であったこともあり、1918年のシーンを撮るためニューヨーク市内東6番街の1ブロックがまるごと当時の街並みに改築され撮影が行われた。
  • 終盤、マイケル達の母親カルメラ・コルレオーネが亡くなり棺桶に入っているシーンがあるが、実はこのシーンで彼女の役を演じていたのはそれまでのモーガナ・キングではない。シチリア人にとって死後以外に棺桶に入ることは縁起が悪いこととされているので、拒否したとのこと。代わりに演じたのはフランシス・フォード・コッポラ及びタリア・シャイアの母親であった。
  • 共に『ゴッドファーザー』が転機となり、イタリア系の俳優として名高いアル・パチーノとロバート・デ・ニーロは、この映画で初競演した。二人が映画で再び競演したのは、この作品より20年以上後の1995年に公開された、マイケル・マン監督作品の『ヒート』である。

脚注[編集]

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  1. ^ a b The Godfather Part II (1974)”. Box Office Mojo. 2010年1月12日閲覧。
  2. ^ The Godfather Part II 英語版Wikipedia
  3. ^ a b c d e f g http://www.imdb.com/title/tt0071562/trivia
  4. ^ なお、この受賞によって本作はアカデミー賞史上初の作品賞を受賞した続編映画となった。
  5. ^ なお、この第47回アカデミー賞の式典にデ・ニーロ本人は出席しておらず、代理人として同作品の監督であるフランシス・フォード・コッポラが受賞している。
  6. ^ なお、この第47回アカデミー賞の式典に、ロータは出席していない。
  7. ^ 狼たちの午後』との同時受賞。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]