真昼の決闘

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真昼の決闘
High Noon
監督 フレッド・ジンネマン
脚本 カール・フォアマン
製作 スタンリー・クレイマー
出演者 ゲイリー・クーパー
グレイス・ケリー
音楽 ディミトリ・ティオムキン
撮影 フロイド・クロスビー
編集 ハリー・ガースタッド
エルモ・ウィリアムズ
配給 アメリカ合衆国の旗 ユナイテッド・アーティスツ
日本の旗 UA/松竹洋画部
公開 アメリカ合衆国の旗 1952年7月24日
日本の旗 1952年9月17日
上映時間 85分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $750,000
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真昼の決闘』(High Noon)は1952年製作のアメリカ映画フレッド・ジンネマン監督による西部劇映画である。保安官が自分一人で殺し屋四人と立ち向かわざるを得ないという内容のジョン・W・カニンガム(John W. Cunningham)が書いた短編2ページの原作「The Tin Star (1947) 」に基づく映画。

概要[編集]

この映画の最大の特徴は、それまでの西部劇では悪漢に立ち向かう主役の保安官は無敵のヒーローとして描くのが普通であったが、そのイメージに反して、暴力を恐れる普通の人間として描かれている事にある[1]。また協力者が真っ先に逃げ、守ろうとしてくれるはずの町の住民が関わり合いを恐れて協力や手助けを拒み、しかもその日結婚式を挙げたばかりの新妻からも見放されて孤独感に苛まされながら1人で決闘に向かう姿を描いている。共に決闘に加わってくれる人を探して町を彷徨う保安官の姿に、それまでの西部劇にあったヒーローもそして共に戦うという友情も開拓者魂もない。この映画以降、西部劇の主人公の描き方が劇的に変わっていった作品でもある。

主演がゲイリー・クーパーで、歳を重ねて渋味のある中年男の孤独と苦悩を演じてアカデミー賞主演男優賞を獲得し、後にモナコ王妃となったグレイス・ケリーが妻役を演じている。また音楽を担当したディミトリ・ティオムキンが同じくアカデミー歌曲賞を受賞した。

この他、作品賞の最有力候補と言われながらも、受賞には至らず、『地上最大のショウ』に敗退した。「赤狩り」の真っ只中、リベラル派として有名だったフレッド・ジンネマン監督とカール・フォアマン脚本による作品に票を投じるのをアカデミー会員がためらったためと言われている。当時のマスコミは『地上最大のショウ』の受賞に関して「受賞理由=不明」と皮肉った[要出典]。作品の内容自体、体制による思想弾圧を黙認するアメリカ人を批判したものと読み取ることも可能であるが、ジンネマンは「政治的な意味はない」と否定している。


ジンネマン監督は「最初にこの映画の脚本を読んだ時にこれは傑作以外の何物でもない」と自伝で語っている[2]。製作者のスタンリー・クレイマーは「誰も守ろうとするガッツが無かったので滅んでいった町についての話だ」と語り、ジンネマンは「これは良心に従って決定を下さなければならない男の話だ」と語った。カール・フォアマンはこれをマッカーシー時代の彼自身の政治的経験の例え話だと見ていた。しかしジンネマン自身は「深い意味がある」と感じ、「普通の西部劇神話ではない」「これはタイムリーでもあるが、時間を超越した今日の生活に直接結びついている何かがある」「これはどこでも、いつでも起こり得る話である」と述べている[3]。  

なおこの映画[4]は後にAFIアメリカ映画ベスト100で総合33位にランクされ、しかも西部劇だけのジャンルでは第2位にランクされている[5]

この映画の上映時間は85分だが、劇中内における時間経過もほぼ同じ約85分ほどの「リアルタイム劇」となっている。

ストーリー[編集]

ウィル・ケインはハドリーヴィルという町の保安官。彼は結婚したばかりで、その日を最後に退職する予定であった。そのウィルの元に、以前彼が逮捕した悪漢フランクが釈放され、正午の列車でハドリーヴィルに到着するという知らせが舞い込む。フランクは彼の仲間と共に、ウィルに復讐するつもりであった。

ウィルはエミイと共に逃げようとするが、思い直して引き返す。父と兄を殺された経験を持つクエーカー教徒のエミイは、正義よりも命の方が大事だと説得するが、彼の意思は固い。ウィルは仲間を集めに奔走するが、誰も耳を貸さない。判事は早々に町から逃げ出した。保安官補佐のハーヴェイは腕はいいが精神的に未熟な若者で、ウィルの後任に自分が選ばれなかった恨みと、かつてはウィルやフランクの恋人だった婚約者のヘレンとの因縁もあって協力を断る。酒場の飲んだくれ達はウィルよりもフランク一味を応援している始末。教会では意見が分かれて議論になるが、結局ウィルが町を去るのが一番良いという結論が出る。保安官助手たちは居留守や怪我を理由に辞退する。結局一人も集まらないまま、フランクの乗った汽車が到着し、4人の悪党相手にウィルの孤独な戦いが始まった。

ヘレンはハーヴェイにも町にも愛想を尽かし、エミイを連れて汽車に乗ったが、銃声が鳴り響くと、エミイは飛び出して戻っていった。ウィルは建物に隠れながら応戦し、2人を倒したが、肩を撃たれてしまう。そこへエミイが来て1人を撃ち倒すが、フランクに捕まってしまう。フランクは彼女を人質にとってウィルを誘い出すが、エミイが抵抗してひるんだ隙にウィルに撃たれる。住民が集まるなか、ウィルはバッジを足元に捨てると、エミイと共に去っていった。

キャスト[編集]

主な受賞歴[編集]

アカデミー賞[編集]

受賞
アカデミー主演男優賞:ゲイリー・クーパー[6]
アカデミードラマ・コメディ音楽賞:ディミトリ・ティオムキン
アカデミー歌曲賞:ディミトリ・ティオムキン ※作曲、ネッド・ワシントン ※作詞(『Do Not Forsake Me, Oh, My Darlin』)
アカデミー編集賞:ハリー・ガースタッドエルモ・ウィリアムズ
ノミネート
アカデミー作品賞:スタンリー・クレイマー
アカデミー監督賞:フレッド・ジンネマン
アカデミー脚色賞:カール・フォアマン

ゴールデングローブ賞[編集]

受賞
主演男優賞 (ドラマ部門):ゲイリー・クーパー
助演女優賞:ケティ・フラド
作曲賞:ディミトリ・ティオムキン
撮影賞 (白黒):フロイド・クロスビー
ノミネート
作品賞 (ドラマ部門)
脚本賞:カール・フォアマン
新人女優賞:ケティ・フラド

ニューヨーク映画批評家協会賞[編集]

受賞
作品賞
監督賞:フレッド・ジンネマン

全米脚本家組合賞[編集]

受賞
最優秀ドラマ脚本賞:カール・フォアマン

その他[編集]

  • 製作費は当時で75万ドル、製作日数はわずか4週間という日程で、緻密な製作スケジュールを立てて、話の前後は関係なく、連続性を無視して撮影しなくてはならなかった[7]
  • アメリカ合衆国大統領アイゼンハワービル・クリントン、元首相の小泉純一郎らが好んだ映画といわれる[8]
  • ラストでゲーリー・クーパーが保安官バッジを「投げ捨てる」?シーンがある。映画を見れば分かるが実際は「投げ捨てる」のではなく、胸から外したバッジをそのまま足元へ「落とす」シーンであり、誰もバッジを受け取る資格がないと暗に訴えているという意見がある。また「足元へ落として踏んでいった」と言う人もいるが、クーパーはバッジを踏んではいない。

関連項目[編集]

ハワード・ホークス監督は、政治的意図とは無関係に、プロのくせに一般市民に助けを求める『真昼の決闘』の保安官が気に入らず、そのアンチテーゼとして『リオ・ブラボー』を作った。劇中でジョン・ウェイン演じる保安官は、市民から保安官助手を募ったらどうかという提案を「シロウトに何ができる!」と一蹴する。
クリント・イーストウッド演じるキャラハン刑事がバッジを投げ捨てるラストシーンは本作へのオマージュである。
主演・監督はクリント・イーストウッド。「もし『真昼の決闘』の主人公が殺されていたら…」という思いつきから構想を得たという。主人公が訪れた町では、かつて1人の保安官が住民に見殺しにされて3人の悪党に嬲り殺されており、釈放された悪党たちがお礼参りに来るという設定。
『真昼の決闘』をSFに置き換えた作品。
007シリーズ』のパロディ小説。『太閤殿下の定吉七番』に、舞台を福井県に置き換えた『真昼の決闘』のパロディ小説「真昼の温泉」が収録されている。
タイトルは『真昼の決闘』の原題「ハイ・ヌーン」をもじったもの。
本作はパブリックドメインとなっており、安価で入手可能である。

[編集]

  1. ^ デヴィッド・ギルモア 『父と息子のフィルムクラブ』 高見浩訳、新潮社、2012年(原著2008年)、104-105頁。ISBN 978-4-10-506321-4
  2. ^ フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 149P キネマ旬報社 1993年10月発行
  3. ^ フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 149~150P キネマ旬報社 1993年10月発行
  4. ^ 作品が完成して試写を見た当時のコロンビア映画会社の社長ハリー・コーンは「今まで見た映画の中で最低の作品の一つだ」と酷評して配給を断っている。フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 165P
  5. ^ 西部劇第1位はジョン・フォード監督の「捜索者」で、第3位はジョージ・スティーブンス監督の「シエーン」である。
  6. ^ なお、この式典にクーパー本人は出席しておらず、代理人としてジョン・ウェインが受賞した。
  7. ^ フレッド・ジンネマン著「フレッド・ジンネマン自伝」 153P キネマ旬報社 1993年10月発行
  8. ^ Manfred Weidhorn. "High Noon." Bright Lights Film Journal. February 2005. Accessed 15 March 2007.

外部リンク[編集]