イングマール・ベルイマン

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イングマール・ベルイマン
Ingmar Bergman
『野いちご』撮影中のベルイマン (1957年)
野いちご』撮影中のベルイマン (1957年)
生年月日 1918年7月14日
没年月日 2007年7月30日(満89歳没)
出生地 ウプサラ
死没地 フォーレー
国籍 スウェーデン
配偶者 Else Fisher (1943-1945)
Ellen Lundström (1945-1950)
Gun Grut (1951-1959)
Käbi Laretei (1959-1969)
Ingrid von Rosen (1971-1995)

イングマール・ベルイマンIngmar Bergman1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデン映画監督脚本家

目次

[編集] 生涯

1918年ウプサラストックホルムから60km)に生まれる。ベルイマン家は16世紀まで辿れる名家であり、先祖の多くもそうだったように父は牧師である。兄のダーグは外交官。姉のマルガレータは小説家。ベルイマンは正式な結婚を少なくとも5度行っている他、恋多き人生を送っている。

1944年アルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた後に、1945年に『危機』で映画監督としてデビュー。その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。1950年の『夏の遊び』の頃から自らのスタイルを確立。1952年の『不良少女モニカ』ではフランスのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛され、続く1955年の『夏の夜は三たび微笑む』ではカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」(?)を受賞。国際的に評価されるようになる。以後、『第七の封印』『野いちご』『処女の泉』、そしていわゆる“神の沈黙”三部作と呼ばれる『鏡の中にある如く』『冬の光』『沈黙』などのいずれも映画史に残る作品を立て続けに監督。また、“神の沈黙”三部作以降は主に愛人であった女優、リヴ・ウルマンを主役に据えて、人間の本質に肉迫する数多くの良質の作品を演出し、いずれも国際的に高い評価を得る。1965年チャップリンと共にエラスムス賞受賞。

1982年に5時間超の大作『ファニーとアレクサンデル』を演出後、「映画を撮る愉しみを充分に味わい尽くした」として映画監督業から引退。その後は以前から映画製作と並行してやってきていたスウェーデン王立劇場での舞台演劇の脚本と演出を中心として活動しているが、『愛の風景』(1992年)、『日曜日のピュ』(1994年)、『不実の愛、かくも燃え』(2000年)など、自伝的作品を中心に脚本で映画に参加していた。

2003年、突如として20年ぶりに、自身の作品では最初で最後となるデジタルHD撮影による監督作品『サラバンド』を発表。映画監督としての健在ぶりをアピールした。

2007年、フォーレ島(ゴトランド島の北の島)にて死去。89歳だった。

[編集] 評価

20世紀を代表する映画監督の巨匠とみなされている。『第七の封印』『沈黙』といった形而上学的とも言われる代表作から難解な作家ともみなされるが、一方で(時に難解なテーマを伴ってはいても全体的には)よりわかりやすい作品の方が多く、特に女性を描いた作品が多い。自身の女性関係を反映したかのような作品も数多く見られる。

一般的にはベルイマンはチャールズ・チャップリン黒澤明フェデリコ・フェリーニアンドレイ・タルコフスキースタンリー・キューブリックなどの世界映画史に残る巨匠のひとりとして認識されている。

ベルイマンの映画は舞台劇的と評されることが多いが、ベルイマン本人はあるインタビューの中で、自作の映画『ある結婚の風景』を舞台化するときに、構成やセリフのほとんどを書き換えなければならなかった例を挙げて、映画と舞台は別物であると訴えている。ちなみに演劇では主にウィリアム・シェイクスピアアウグスト・ストリンドベリを好んで取り上げ、自らの劇団を率いて日本で大胆な解釈に基づく『ハムレット』とストリンドベリの『令嬢ジュリー』、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を上演したこともある。

[編集] 監督作品

[編集] 主な受賞

[編集] 関連書籍

  • 『ベルイマン自伝』1987年 (ISBN 4105210017)
  • 『ベルイマン』小松弘 2000年

[編集] 外部リンク

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