ポール・バーホーベン
| ポール・バーホーベン Paul Verhoeven |
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![]() 2006年 |
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| 生年月日 | 1938年7月18日(74歳) |
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| 出生地 | アムステルダム |
| 国籍 | |
| 職業 | 映画監督 |
| 配偶者 | Martine Tours (1967–) |
ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven, 1938年7月18日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の映画監督。名前の発音はオランダ語ではパウル・ヴァーフーヴェ(ン)([ˈpʌul vərˈɦuvə(n)])となる。
目次 |
略歴 [編集]
幼少期を第二次世界大戦下のオランダのハーグで過ごした。その中で、自分達オランダ人の味方であるはずの連合軍がナチスの軍事基地があるハーグを空爆し、死体が道端に転がっているという日常を過ごしている。
ライデン大学で数学と物理学を学び、後にオランダ海軍に従軍しドキュメンタリーを制作するようになる。その後テレビ界入りし、1960年代に中世オランダが舞台のテレビシリーズ『Floris』の監督を務めルトガー・ハウアーと出会う。以降、ルトガー・ハウアーはバーホーベン作品の常連となる。初監督映画作品は1971年『Wat Zien Ik?』。続く1973年の作品『ルトガー・ハウアー/危険な愛』で、1974年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされるなど注目を集めた。1977年公開の『女王陛下の戦士』はゴールデングローブ賞を受賞し、世界的な人気と評価を得た。
1985年公開の『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』からはアメリカに渡り、『ロボコップ』や『トータル・リコール』、『スターシップ・トゥルーパーズ』などヒット作を連発する。1995年の『ショーガール』でラジー賞のワースト監督賞を受賞。本人が会場でトロフィーを受け取り、笑顔で「蝶々が芋虫になった気分だ」と発言した。2000年の『インビジブル』(原題: Hollow Man)では「スタジオの奴隷になった気がした」と振り返り「空っぽな(Hollow)作品だ」とまで評している。
その後オランダに戻り、2006年、『ブラックブック』を公開。25億円をかけたオランダ映画界始まって以来の大作となったが、オランダだけでは資本調達ができずフランス、イギリス、ドイツ資本からも資金提供を受けた。アメリカ時代の反省からVFXを一切使わずに撮影されている。
アメリカ生活 [編集]
オランダ語が母語ということもあり、あまり英語が得意ではなかったバーホーベンは『ロボコップ』の脚本を完全には理解出来なかった。しかし、バーホーベンはアメリカ人スタッフに分からない表現について何度も質問したりする等して英語に慣れるように努力を重ねた。また、アメリカに家族を連れて移住して撮影にとりかかる決意をした。その時の心境をバーホーベンは『アメリカ映画を作りたいのなら、アメリカに住んで、アメリカの雰囲気を味わうことが大事だと思ったのです。実際、ロボコップは私がアメリカで暮らしていた時に感じたことを反映してるんです』と述べている。そのかいあってか、インタビューでは英語で応じるほどの饒舌ぶりを見せているが、今でもかなりの訛りや彼特有のどもり癖(シュワルツェネッガーが指摘している)が残っている。
主な監督作品 [編集]
- Wat Zien Ik?(1971年)
- ルトガー・ハウアー/危険な愛 Turks fruit(1973年)
- 娼婦ケティ Keetje Tippel (1975年)
- 女王陛下の戦士 Soldaat van Oranje (1977年)
- SPETTERS/スペッターズ Spetters(1980年)
- 4番目の男 De Vierde man(1982年)
- グレート・ウォリアーズ/欲望の剣 Flesh & Blood(1985年)
- ロボコップ Robocop(1987年)
- トータル・リコール Total Recall(1990年)
- 氷の微笑 Basic Instinct(1992年)
- ショーガール Showgirls (1995年)
- スターシップ・トゥルーパーズ Starship Troopers(1997年)
- インビジブル Hollow Man(2000年)
- ブラックブック Black Book(2006年)
外部リンク [編集]
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