レイ・ミランド

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Ray Milland
レイ・ミランド
レイ・ミランド
本名 Alfred Reginald Jones
生年月日 1905年1月3日
没年月日 1986年3月10日(満81歳没)
出生地 イギリスの旗 イギリス ウェールズの旗 ウェールズ グラモーガン
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州トーランス
配偶者 Malvina Webber
主な作品
失われた週末

レイ・ミランドRay Milland, 出生名: Reginald Alfred Truscott-Jones, 1905年1月3日 - 1986年3月10日)は、イギリスウェールズ出身の俳優。主にハリウッドで活躍した。

目次

[編集] 生涯

父は溶鉱炉の設計士。ロンドンのキングズ・カレッジ卒業後、近衛騎兵連隊に入るが、たまたま映画スタジオにいる女友達のエステル・ブロディを訪れたところスカウトされる。1929年スパイク・ミランドの芸名で英国映画界入り。数度芸名を変え、この芸名になったのは、諸説あり。数本を撮ったあと、脚本家のアニタ・ルースの勧めで1930年にハリウッドに進出。1931年メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約した。

1932年までに8本の映画に出演したがクビになり、一度英国に戻るが、もう一度ハリウッドで勝負しようと再び渡米して、本格的にデビューする。1930年代から1940年代半ばまでは明るいロマンチックな役柄が多かった。1935年フレッド・マクマレークローデット・コルベールと共演した『輝ける百合』でスターの足がかりを掴み、1940年の『French Without Tears』で大スターの仲間入りを果たす。

二枚目ながらもしばしば大根役者と揶揄されていたが、1945年ビリー・ワイルダーの『失われた週末』でアルコール依存症に苦しむ作家を熱演、アカデミー主演男優賞を獲得。ハリウッドでの地位を決定付けた。1954年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』に主演。自身の代表作の1つとなった。その後は1955年の『白昼の対決』を機に監督業にも乗り出している。1960年代以降はあまり作品に恵まれずB級映画とテレビ出演が主となっていったが、1970年の『ある愛の詩』で主役のライアン・オニールの父親を演じて印象を残した。

1986年カリフォルニア州トーランス肺癌の為死去。81歳だった。

[編集] エピソード

  • カンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞と米国アカデミー賞主演男優賞の両方を受賞した初めて俳優である。
  • 『失われた週末』でアカデミー賞を受賞した際、受賞スピーチで一言も言わず、ただ深々とお辞儀をしただけであった。
  • また、オスカーをもらった最初のウェールズ出身の人間である。

[編集] 主な出演作品

[編集] 受賞歴

部門 作品名 結果
アカデミー賞 1945年 主演男優賞 失われた週末 受賞
ゴールデングローブ賞 1946年 男優賞 失われた週末 受賞
1952年 主演男優賞(ドラマ部門) The Thief ノミネート
ニューヨーク映画批評家協会賞 1945年 男優賞 失われた週末 受賞
カンヌ国際映画祭 1946年 男優賞 失われた週末 受賞

[編集] 外部リンク

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