ミラ・ジョヴォヴィッチ

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ミラ・ジョヴォヴィッチ
Milla Jovovich
Milla  Jovovich
2011年
本名 Milica Jovović
生年月日 1975年12月17日(36歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 キエフ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優
配偶者 ショーン・アンドリュース (1992 - 1992)
リュック・ベッソン (1997 - 1999)
ポール・W・S・アンダーソン(2009-)
家族 夫:ポール・W・S・アンダーソン
長女:エヴァー
公式サイト http://www.millaj.com
主な作品
フィフス・エレメント
バイオハザード』シリーズ

ミラ・ジョヴォヴィッチウクライナ語:Мілла Йововичセルビア語:Милица Јововићラテン文字表記:Mila Jovovićロシア語:Милла Йовович1975年12月17日 - )は、アメリカ合衆国女優モデル

目次

[編集] 生い立ち

ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都キエフに生まれる。父親はコソヴォ出身のセルビア人医師ボギチ・ヨヴォヴィチ(Богић Јововић)、母親はドニプロペトロウシク生まれのロシアの女優ガリーナ・ジョヴォヴィチ(ru 旧姓ロギノワ)。

キエフからロンドンモスクワへと移り住み、5歳の時にアメリカ合衆国ロサンゼルスに移住。移住後に両親は離婚。母親と二人三脚で演技を歩み始める。その後父親は再婚し1988年に異母弟が生まれる。

その学校時代を通してミラは酷いいじめを経験した。ちょうど冷戦時代のソビエト連邦から来たということが禍して、同級生らから『ロシアのスパイ』『コミー』(commie コミュニストなどと罵倒されていたという[1]

[編集] キャリア

1987年、11歳からロシアのモデルとして(elite)モデルエージェンシーに所属し活躍していた。1988年には化粧ブランドレブロンの「Most Unforgettable Women in the World」に選ばれる。以降、多くの雑誌のカバー(表紙)やミラノパリニューヨークファッションデザイナーコレクションショーに出演している。広告ではカルバン・クライン(Calvin Klein)の香水エスケープ(Escape)のイメージモデルとして有名である。モデルの仕事と同時に映画への出演もしていたが、1991年に女優としての仕事に専念する為に2年の休暇を取りモデルエージェンシーとの所属契約を解除する。

映画では1987年に『トゥー・ムーン』でヒロインの妹役でスクリーンデビューする。1991年にはブルック・シールズ主演映画『青い珊瑚礁』の続編『ブルーラグーン』に主演。その後女優としての目立った活躍は無かったが、1997年にはリュック・ベッソン監督の『フィフス・エレメント』のヒロイン役で見せた演技力、美しさが大きな話題となる。この映画では全ての衣装をフランスのデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエが担当した。1999年の『ジャンヌ・ダルク』や2002年の『バイオハザード』はシリーズ作品として彼女の代表的な作品となる。

その他に「ミラ」の名前で音楽活動もしており、1994年には『The Divine Comedy』を発表。モデルや女優の仕事を続けながら、バンド「プラスティック・ハズ・メモリー」でコンサート・ツアーも敢行した。

また、モデル仲間のカルメン・ホーク(Carmen Hawk)と共に2003年にJovovich-Hawk(ジョヴォヴィッチ ホーク)というブランドを立ち上げ、ファッションデザイナーとしても活動している。Jovovich-Hawkはロサンゼルスとニューヨークに拠点がある。

日本ではオンワード樫山キヤノンホンダ・オデッセイパナソニックCMなどの出演がある。

[編集] 私生活

英語の他にロシア語フランス語に堪能。

1992年ショーン・アンドリュースと結婚したが直ぐに離婚。1997年に映画監督リュック・ベッソンと結婚するが1999年に離婚。その後、『バイオハザード』シリーズの監督ポール・W・S・アンダーソンと撮影を通して知り合い、交際を経て婚約。婚約中の2007年11月3日に娘エヴァーを出産。2009年8月22日にアンダーソンと自宅で挙式し、三度目の結婚をした。

[編集] 主な出演作品

[編集] 資料

  1. ^ Just Milla, please

[編集] 外部リンク

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