ミラ・ジョヴォヴィッチ

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Мілла Йовович
ミラ・ジョヴォヴィッチ

ミラ・ヨヴォヴィッチ(2002年、カンヌにて)
本名 Milla Natasha Jovovich
生年月日 1975年12月17日(32歳)
出生地 ソビエト連邦 キエフ
職業 女優
配偶者 ショーン・アンドリュース (1992 - 1992)
リュック・ベッソン (1997 - 1999)
主な作品
バイオハザード』シリーズ

ミラ・ヨヴォヴィッチウクライナ語:Мілла Йововичセルビア語:Мила Јововићラテン文字表記:Mila Jovovićロシア語:Милла Йовович1975年12月17日 - )は、アメリカ合衆国女優モデル

本名は、ミリツァ・ナタシャ・ヨヴォヴィッチ(Милица Наташа Јововић)。身長174cm。日本語では「ジョヴォヴィッチ」などと表記されているが、本人の発音によれば「ヨヴォヴィッチ」の方が近い。ロシア語ではミーラ・ヨーヴォヴィチ(Милла Йововичミールラ・ヨーヴァヴィチュまたはМила Йововичミーラ・ヨーヴァヴィチュ)、ウクライナ語ではミーラ・ヨーヴォヴィチ(Мілла Йововичミールラ・ヨーヴォヴィチュ)となる。但し、ジョーヴォヴィチ(Джовович)という表記も使用されることがある。また、セルビア語ではミラ・ヨヴォヴィチ(Мила Јовoвићミラ・ヨヴォヴィチュ)となる。


目次

[編集] 生い立ち

ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の首都キエフに生まれる。父親は、医師コソヴォ出身のセルビア人ボギチ・ヨヴォヴィチ(Богић Јововић)で、母親はソ連の女優であったドニプロペトロウシク生まれのロシア人ハリーナ・ローヒノヴァ・ヨーヴォヴィチ(ガリーナ・ローギノヴァ;Галина Логинова Јововић)である。

キエフからロンドンモスクワへと移り住み、5歳の時にアメリカ合衆国ロサンゼルスに移住。移住後に両親は離婚。その後父親は再婚し1988年に異母弟が生まれる。

[編集] キャリア

1987年、彼女は11歳からロシアのモデルとして(elite)モデルエージェンシーに所属し活躍していた。1988年、には化粧品メーカーレブロンの「Most Unforgettable Women in the World」に選ばれる。以降、多くの雑誌のカバー(表紙)やミラノパリニューヨークファッションデザイナーコレクションショーに出演している。広告ではカルバン・クライン(Calvin Klein)の香水エスケープ(Escape)のイメージモデルとして有名である。また、彼女はモデルの仕事と同時に映画の世界にでも活躍の場を持っていた。1991年に彼女は女優としての仕事に専念する為に2年の休暇を取りモデルエージェンシーとの所属契約を解除する。

映画では1987年に『トゥー・ムーン』でスクリーンデビューする。1991年にはブルック・シールズ主演映画『青い珊瑚礁』の続編『ブルーラグーン』に主演。1997年にはリュック・ベッソン監督の『フィフス・エレメント』のヒロイン役の彼女の演技力、美しさが大きな話題となる。この映画では全ての衣装をフランスのデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエが担当した。1999年の『ジャンヌ・ダルク』や2002年の『バイオハザード』はシリーズ作品として彼女の代表的な作品となる。

その他に“ミラ”の名前で音楽活動もしており、94年には『The Divine Comedy』を発表。モデルや女優の仕事を続けながら、バンド“プラスティック・ハズ・メモリー”でコンサート・ツアーも敢行した。

また、モデル仲間のカルメン・ホーク(Carmen Hawk)と共に2003年にJovovich-Hawk(ジョヴォヴィッチ ホーク)というブランドを立ち上げ、ファッションデザイナーとしても活動している。Jovovich-Hawkはロサンゼルスとニューヨークに拠点がある。

日本ではオンワード樫山キヤノンホンダ・オデッセイパナソニックCMなどの出演がある。

[編集] 私生活

英語の他にロシア語フランス語に堪能。

1992年にショーン・アンドリュースと結婚したが直ぐに離婚。映画監督リュック・べッソンと結婚するが1999年に離婚。現在は『バイオハザード』シリーズの監督ポール・W・S・アンダーソンと婚約中で、2007年11月3日にアンダーソンとの子供を出産。

[編集] 出演作品

[編集] 吹き替え声優

[編集] 外部リンク