リュック・ベッソン

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リュック・ベッソン
Luc Besson
Luc Besson
2008年、パリにて
生年月日 1959年3月18日(55歳)
出生地 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督
脚本家
映画プロデューサー
配偶者 アンヌ・パリロー (1986 - 1991)
マイウェン (1993 - 1997)
ミラ・ジョヴォヴィッチ (1997 - 1999)
ヴィルジニー・シラ (2004 - )
主な作品
レオン
フィフス・エレメント
ほか

リュック・ベッソンLuc Besson, 1959年3月18日 - )は、フランス映画監督脚本家映画プロデューサーである。映画製作会社ヨーロッパ・コープ (EuropaCorp) 社長。主な業績に『レオン』の監督や、『トランスポーター』シリーズの製作などがある。

人物[編集]

幼少期から異彩を放ち、特に思春期には類まれな独創性を発揮して周囲を驚かせた[要出典]。暇つぶしに書き始めた小説は後に『フィフス・エレメント』の作品世界として活かされている[1]

両親はともにスキューバダイビングのインストラクターであり、ベッソン自身もダイバーとして過ごしたが、17歳のときに潜水事故に遭いスキューバダイビングができなくなった[2]。18歳のとき故郷のパリに戻り[2]、そこで映画の雑用的な仕事をこなして映画製作のノウハウを学んだ。その後3年間アメリカへ移住、さらにフランスに戻って自身の映画製作会社を興した。後に会社はLes Films de Dauphins(イルカ映画社)と改名し、現在に至っている[2]

1980年代に作曲家のエリック・セラに出会い、自身初のショートフィルムである L'Avant dernier の構成を依頼[3]。それ以後ベッソンとセラはバンド仲間として、そして最も重要な創作上のパートナーとして数々の作品を共に手がけることになる。

ニキータ』の主演女優アンヌ・パリローと結婚していたが、作品完成後には離婚していた。1993年1月2日に女優マイウェン・ル・ベスコと結婚し、1女をもうけたが離婚。1997年11月14日、女優のミラ・ジョヴォヴィッチと結婚したが、後に離婚。現在は2004年8月18日に結婚した映画プロデューサーのヴィルジニー・シラと結婚しており、3人の子がある。

1999年の『ジャンヌ・ダルク』以降はプロデュース業や脚本執筆を中心に活動。しかしショートフィルムに関しては演出を手がけることもあり、日本車の宣伝用フィルムや2012年夏季オリンピック候補地であったパリのプレゼンテーション用のビデオも製作している。

2001年1月にヨーロッパ・コープを立ち上げた。また、同年9月にアスミック・エースエンタテインメント角川書店住友商事、シネマゲートと共同出資して日本法人ヨーロッパ・コープ ジャパンを設立した。

監督業についてはかねてから10作品程度で引退することを公言しており、2006年9月には『アーサーとミニモイの不思議な国』三部作をもって監督業を引退することを発表。同作の日本公開に伴うPR活動で2007年6月に来日した際も引退を宣言した[4][5]。しかし、2010年公開の『アデル/ファラオと復活の秘薬』では再び監督を務め、プロモーション中のインタビューにて引退宣言を撤回した。

作風は『レオン』『ニキータ』のようなハードボイルド・アクションから『フィフス・エレメント』のような明朗快活な冒険活劇、『ジャンヌ・ダルク』のような独自の解釈による歴史巨編まで幅広いが、他国ではB級アクションとして宣伝された製作脚本作品『WASABI』『キス・オブ・ザ・ドラゴン』が、日本では『レオン』のようなハードな作品であるかのような宣伝がなされたこともあった。なお、『レオン』『ニキータ』のような暴力的な作風は当時フランスで起こったバブル経済へのアンチテーゼとして描かれたもので、2008年以降の世界的な不況下においては、誰にでも気軽に楽しめる愉快な作品を目指している[6]

女性を主人公にしたり、女性を物語の軸にすることが多く、彼自身女性について「特徴の違うお互いに必要な相手として認め合うべき」と語っている。

また、日本人が登場する脚本を書くことが多いものの、その描写には誤解と偏見が多く主にギャグキャラクター的な扱いをしている[要出典]

主な作品[編集]

監督作品[編集]

製作および脚本作品[編集]

製作作品[編集]

ミュージックビデオ[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]