デルタ・ブルース

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ロバート・ジョンソン 「ダスト・マイ・ブルーム」

デルタ・ブルース (The Delta blues) はアメリカ合衆国南部ミシシッピ川流域(デルタ)やテネシー州メンフィスなどの地域で発生した、初期ブルースミュージックのひとつである。演奏楽器として、特にギターハーモニカが一番多く使われた。またソウルフルで、激しく、そして自己の内面を歌い上げるようなボーカルスタイルもデルタ・ブルースの特徴である。代表的なミュージシャンにチャーリー・パットンロバート・ジョンソンなどがいる。

初のレコーディングは1920年代から行われた。この時代ライブではバンド形態でプレイすることもあったものの、レコーディングの場合は一人のミュージシャンが自分でギターなどを演奏しながら歌うことが多かった。

(一応、形の上では)奴隷から解放されたアフリカ系アメリカ人たちが季節労働者としてミシシッピ河口からアーカンソールイジアナテキサステネシーにかけて恒常的に移動する慣習があったが、デルタ・ブルースのミュージシャン達もその例に漏れず、南部地域を旅して周った。その結果この音楽はあちこちに広まり、スキップ・ジェームスエルモア・ジェームスなど(厳密には)デルタ地域出身でないデルタ・ブルースミュージシャンも生まれるようになる。後期になるとアメリカ中にデルタ・ブルースは広がり、特に多くのアフリカ系アメリカ人が移住していったシカゴデトロイトなどの北部都市に根付き独自のブルース(シカゴ・ブルース)へと進化してゆく。

学者などの間では、初期のデルタ・ブルースと後期の北部都市ブルースおよび西海岸ブルースとの間に音楽的な区別があるか無いかは意見の分かれる所である。確かに、基本的なハーモニー構造(ブルー・ノート・スケールスリー・コードなど)はデルタ・ブルースもその他のブルースもほぼ同じである。しかし、シンプルな(アコースティック)ギター奏法や、リズムを強調したデルタ・ブルースに、他ブルースとの明確な差異を認める者も多い。

1920年代のミシシッピデルタ地域で、白人農場主は相変わらず黒人を奴隷同然に所有していたが、デルタ・ブルースアーティスト本人がその準奴隷システムからの逃亡者であることも少なくなく、そういった経験がデルタ・ブルース独自のサブカルチャーを形成している。

逃亡・反乱を企てたり、集会を開いたり、その他主人にとって ’好ましくない’行動をとった者は「パーチマン農場(Parchman Farm)」と呼ばれるミシシッピ州立刑務所に収監された。実際その刑務所に入った経験を歌ったアーティスト;Bukka White(「Parchman Farm Blues」)、レッドベリー(「Midnight Special」)もいる。ポップ・ミュージックにおいて、サブカルチャーを生み出した初の音楽でもある。

ミュージシャン[編集]

関連項目[編集]