リッキー・デイビス
| リッキー・デイビス Ricky Davis Piratas de Quebradillas |
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|---|---|
| 名前 | |
| 本名 | Tyree Ricardo Davis |
| ラテン文字 | Ricky Davis |
| 基本情報 | |
| 国 | |
| 誕生日 | 1979年9月23日(33歳) |
| 出身地 | ネバダ州ラスベガス |
| 身長 | 201cm |
| 体重 | 88kg |
| 選手情報 | |
| ポジション | SG/SF |
| ドラフト | 1998年 全体21位 |
| 経歴 | |
| 1998-2000 2000-2001 2001-2003 2003-2006 2006-2007 2007-2008 2008-2010 2010 2010 2011 2011-2012 2012- |
ニューオリンズ・ホーネッツ マイアミ・ヒート クリーブランド・キャバリアーズ ボストン・セルティックス ミネソタ・ティンバーウルブズ マイアミ・ヒート ロサンゼルス・クリッパーズ Telekom (Turkey) Dragons (China) Chorale Roanne (France) Maine Red Claws (D-League )Piratas de Quebradillas (Puerto Rico) |
リッキー・デイビス(Ricky Davis, フルネーム Tyree Ricardo Davis, 1979年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身のバスケットボール選手。身長201cm、体重88kg。ポジションはシューティングガード、スモールフォワード。
目次 |
経歴 [編集]
アイオワ大学在学中に、NBAドラフトにアーリーエントリーすることを宣言。1998年のNBAドラフトで全体21位でシャーロット・ホーネッツ(現ニューオーリンズ・ホーネッツ)に指名された。
デビュー後2年間ホーネッツでプレーするが、50試合前後の出場にとどまり、伸び悩む。3年目にマイアミ・ヒートにトレードされるが、怪我のためにほぼ全休となった。
01-02シーズン開幕前にヒートはクリーブランド・キャバリアーズとトロント・ラプターズを交えた三角トレードを実行し、デイビスをキャブスに放出する。ベンチ出場ながらローテーションに食い込み、キャリア初の全試合出場と、1試合平均2桁得点の成績を残す。02-03シーズンはチームのエースとしてプレーした。チームは下位に止まったが、デイビスは初の平均20点オーバーの成績を残した。しかし、翌シーズンのドラフトで、キャブスはレブロン・ジェームズを1位指名。レブロン中心のチーム作りのため、デイビスはボストン・セルティックスへトレードされる。
セルティックスではポール・ピアースらの控えとしてプレー。しかしながら毎試合30分以上出場するなど、チームに欠かせない存在となっていた。セルティックスでの3シーズン目となる05-06シーズン、デイビスは先発に昇格するが、チームは低迷。シーズン途中のトレードでミネソタ・ティンバーウルブズに移籍した。
ウルブズでも先発の座を確保し、ケビン・ガーネットらと共にプレーするも、チームは2年連続でプレーオフ出場を逃してしまった。
07-08シーズン開幕前に緊急獲得でマイアミ・ヒートにトレードされる
08-09シーズン、ロサンゼルス・クリッパーズにトレードされる
2012年、プエルトリコのプロリーグ、バロンセスト・スペリア・ナシオナルのPiratas de Quebradillasでプレーした。
2013年現在はフリーエージェントである。
トリプル・ダブル達成事件 [編集]
キャブスのエースとしてプレーしていた02-03シーズンの本拠地でのユタ・ジャズ戦で、デイビスはキャリア初のトリプル・ダブルまであと1リバウンドと迫っていた。このとき、デイビスは前代未聞の暴挙に出る。タイムアウトが明け味方からインバウンズ・パスを受け取ると、攻め込むべき相手陣地へ向かわず自軍のゴールに向かってドリブルして行き、そのまま自軍ゴールへレイアップシュート、わざとリングの下にボールをあて自らリバウンドをキャッチしたのである。この行動に相手チームだったジャズのジェリー・スローンヘッドコーチは激怒し、すぐさま選手にファールを指示、デイビスは思いっきり体当たりを喰らった。当然ながらアリーナのファンも大ブーイング。トリプル・ダブルの記録は間もなく取り消され、アメリカのメディアもデイビスに対し容赦なく批判をぶつけた。[1]
この事件がきっかけでデイビスのイメージは「自分勝手な男」として固まったが、セルティックス移籍後は一変し、ピアース、ゲイリー・ペイトンらのフォローを淡々とこなした。
本人もこのことに関しては反省しており、「あの時自分は若かった」と述べている。