アレクセイ・ヤグディン

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オリンピック
フィギュアスケート
2002 男子シングル
アレクセイ・ヤグディン
Alexei Yagudin
基本情報
代表国: ロシア ロシア
生年月日: 1980年3月18日(29歳)
出生地: サンクトペテルブルク
身長: 175 cm
元コーチ: タチアナ・タラソワ
アレクセイ・ミーシン
元振付師: ニコライ・モロゾフ
引退: 2003年11月

アレクセイ・コンスタンティーノヴィチ・ヤグディンロシア語: Алексе́й Константи́нович Ягу́динラテン翻字: Alexei Konstantinovich Yagudin1980年3月18日 - )は、ロシアサンクトペテルブルク出身の男性プロフィギュアスケーター。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル金メダリスト。世界選手権3連覇を含む優勝4回。欧州選手権優勝3回。ISUグランプリファイナル優勝2回。愛称はアリョーシャ。ロシア語発音としては「アリクスィェーイ・カンスタンチーナヴィチュ・ヤグーヂン」が近い。

目次

人物

ソビエト連邦のレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれで一人っ子である。母はゾーヤ。好きな俳優はキャリスタ・フロックハート、趣味はテニスボウリング旅行など多岐にわたる。尊敬する選手としてカート・ブラウニングエルビス・ストイコスコット・ハミルトンを挙げ、好きなプログラムもカート・ブラウニングの「ラグ・ギドン・タイム」を挙げている。自身の好きなプログラムにショートプログラムでは「ウィンター」、フリースケーティングでは「アラビアのロレンス」を挙げており、その名に因み愛犬のアメリカン・コッカー・スパニエルには「ロレンス」と名づけた[1]「ウィンター」は彼のファンの間でも人気が高く[要出典]、2006年ジャパンオープンのガラのアンコールで、引退以降初めて「ウィンター」を再演した際にはファンから狂喜の悲鳴がとんだ。また、オリンピックの金メダルとともに彼といえば「仮面の男」と覚えている人は多い[要出典]

彼の演技やフィギュアに取り組む姿勢は数多くの後進に影響を与えており、彼やエフゲニー・プルシェンコの次の時代の主役として期待されている[要出典]スイスステファン・ランビエールフランスブライアン・ジュベールは共に、尊敬する選手としてヤグディンの名を挙げた事がある。浅田舞も彼のファンである。

エフゲニー・プルシェンコとの確執がよく噂され、確かに親しい友人であった時期が皆無であることは間違いないと本人も認めている。ソルトレイクシティオリンピックの表彰式で銀メダルのプルシェンコに対する拍手をあからさまに避け、いつまでも銅メダルのティモシー・ゲーブルに対して拍手を送っていたのも知られている(が、この行為は金メダルを強く望んでいたプルシェンコに対する配慮だとも言われている)。但し、ヤグディンはプルシェンコの実力を高く評価していて、2003年に自らが引退した際、「2006年にトリノオリンピックの金メダルを取るのはプルシェンコだろう」と明言している。また2006年にはプルシェンコと握手を交わして抱き合う姿が報じられた。アイスショーのため来日した際にも、二人でショッピングを楽しむなどプライベートでの交友もしばしば見られるようになってきている[要出典]。飲酒運転で逮捕されたことがある[2]

経歴

4歳からフィギュアスケートを始め、10歳からはサンクトペテルブルグ・フィギュアスケート・アカデミーの総監督アレクセイ・ミーシンコーチの元で習うようになった。

1993-1994年シーズンの世界ジュニア選手権では4位に終わったものの、1995-1996年シーズンにオーストラリアブリスベンで開催された世界ジュニア選手権で優勝。また、シニアクラスの1996年欧州選手権にも出場し6位入賞を果たした。

1996-1997年シーズンからはシニアクラスに完全転向し、ISUグランプリシリーズに参戦。1997年世界選手権では初出場ながら3位に入り、表彰台にのぼった。1998年、17歳で長野オリンピックに出場。ショートプログラムでは4位につけるも、体調を崩し翌日のフリースケーティングでは5位、総合でも5位入賞に留まった。長野オリンピック後に開催された1998年世界選手権では、優勝を飾り世界チャンピオンとなった。1998年夏、当時頭角を現していたロシアの後輩エフゲニー・プルシェンコをより熱心に指導するようになっていたアレクセイ・ミーシンコーチの元を離れ、単身アメリカに渡り、長野オリンピック金メダリストイリヤ・クーリックの指導者だったタチアナ・タラソワコーチに指導を受けるようになった。

1998年から2002年にかけてはプルシェンコとハイレベルな接戦を繰り返し、4回転時代を牽引する一人となった[要出典]。1998年・1999年・2000年と世界選手権を3連覇。2001年世界選手権ではプルシェンコに敗れて2位となったものの、翌2001-2002年シーズンには出場したISU公式競技会の全てで勝利を飾った。

2002年2月のソルトレイクシティオリンピックではショートプログラムフリースケーティング共にミスなく滑り、特にフリースケーティングでは4人の審判員が芸術点で「6.0」を出し、技術点は審判員全員が5.9をつけるという完成度の高い演技をして金メダルを獲得した。同年3月の長野市で行われた2002年世界選手権にも出場。「自分のタイトルを取り戻しにきた」と語った言葉通り[要出典]、自身4度目となる優勝を飾った。なお、プルシェンコは怪我を理由に欠場したため頂上決戦の再現とはならなかった。このときはショートプログラムで技術点で1つに芸術点で5つの計6つの「6.0」を出し、フリースケーティングでも芸術点で2つの「6.0」を出した。

2002-2003年シーズンのグランプリシリーズ初戦のスケートアメリカではショートプログラムで首位に立ったものの、元々抱えていた先天性の股関節疾患の悪化によりフリースケーティングを棄権した。シーズンの出場予定試合を全て欠場し治療に専念したが身体は回復せず、翌年2003年11月にスケートカナダのエキシビションに招かれた際にアマチュア競技会からの引退を発表。その日演じた、マイケル・ナイマンの「メモリアル」と、スケートアメリカショートプログラムで首位になった際のプログラム「レーシング」がアマチュア最後の演技となった。

2003年にプロに転向。「スターズ・オン・アイス」などで活躍する傍ら不動産業で成功した[3]。2005年5月、7年間過ごしたアメリカを離れ、故郷であるサンクトペテルブルグに戻った。その後、リムジンサービスの会社を始めたという[3]。2007年8月、競技会に復帰する計画があることを明かした[4]

技術・演技

ジャンプ

4回転トウループと全種類の3回転ジャンプを安定して決めることができる[要出典]。特に3回転アクセルを得意としており、メディア等を通じて「世界一美しいトリプルアクセル」と称されることもあった[要出典]。ソルトレイクシティオリンピックと2002年世界選手権のフリースケーティングでは4回転トウループ-3回転トウループ-2回転ループを跳んだ。ちなみに実際に競技中に挑むことはなかったが、公式練習では4回転トウループ-3回転トウループ―3回転ループを成功させている[要出典]

しかし患っている先天性股関節疾患は普通に生活するだけでも10年から20年に一度手術が必要なもので、その影響からトリプルアクセルや4回転ジャンプは今は不可能であり、アクセルジャンプとループジャンプに至っては2回転すら困難となってしまった(それ以外の3回転ジャンプはスターズ・オン・アイスで現在も跳んでいる)。

ステップ

2000-2001シーズンのフリースケーティングで演じたプログラム「グラディエーター」では、ニコライ・モロゾフの振り付けによる斬新なトウステップを披露した。そのステップは後に彼のファンから「ヤグディンステップ」と名づけられ、彼の代名詞となった。それを存分に生かしたプログラムが、タチアナ・タラソワニコライ・モロゾフが手がけた2002年オリンピックシーズンのショートプログラム「ウィンター」である[要出典]

主な戦績

大会/年 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01 2001-02 2002-03
冬季オリンピック 5 1
世界選手権 3 1 1 1 2 1
欧州選手権 6 5 1 1 2 2 1
ロシア選手権 5 4 3 2 2 2 2
GPファイナル 5 4 1 2 1
GPスケートアメリカ 3 1 1 2 棄権
GPスケートカナダ 1 1 1
GPラリック杯 1 1 1 1 1
GPスパルカッセン杯 3 1
GPロシア杯 2 1
フィンランディア杯 1
世界Jr.選手権 4 1

シニア

ジュニア

著書

脚注

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  1. ^ ISU bio
  2. ^ Yagudin arrested for DUI『CBC news』2003年9月1日更新、2009年5月30日閲覧
  3. ^ a b Gladiator Gone Global Alexei Yagudin『GOLDEN SKATE』2007年4月8日更新、2009年5月30日閲覧
  4. ^ フィギュアのヤグディンが現役復帰へ『nikkansportu.com』2007年8月12日更新、2009年5月30日閲覧
  5. ^ 2001/2002 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  6. ^ 順位決定方法については2000/2001 ISUグランプリファイナルを参照のこと。

外部リンク