エヴァン・ライサチェク
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| エヴァン・ライサチェク Evan Lysacek |
||
| 2009年世界選手権の表彰式でのライサチェク | ||
| 基本情報 | ||
|---|---|---|
| 代表国: | ||
| 生年月日: | 1985年6月4日(24歳) | |
| 出生地: | イリノイ州シカゴ | |
| 身長: | 188 cm | |
| コーチ: | フランク・キャロル | |
| 元コーチ: | V. Kudriavtsev M. J.-Athey D. Stoery Ken Congemi |
|
| 振付師: | タチアナ・タラソワ ローリー・ニコル |
|
| 元振付師: | カート・ブラウニング | |
| 所属クラブ: | DuPage FSC | |
| ISU パーソナルベストスコア | ||
| トータルスコア: | 242.23 | 2009 世界選手権 |
| ショートプログラム: | 84.06 | 2008 四大陸選手権 |
| フリースケーティング: | 159.53 | 2009 世界選手権 |
エヴァン・フランク・ライサチェク(Evan Frank Lysacek, 1985年6月4日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の男性フィギュアスケート選手。日本語ではライザチェク、ライザチェックなどの表記もある。2006年トリノオリンピック男子シングル4位。2009年世界選手権優勝。四大陸選手権優勝2回、全米選手権優勝2回。
目次 |
[編集] 人物
イリノイ州シカゴに生まれ、同州ナパービルで育つ。家族は、ナパービルで代用教員として勤める母・ターニャ、建設業を営む父・ドン、姉・ローラ、バレーボール選手の妹・クリスティーナと、本人の5人家族。2003年にネクアバレイ高校を卒業した。
ギリシャ正教徒であり、最も大事な持ち物としてギリシャ正教式の十字架を挙げている。
現在はカリフォルニア州ロサンゼルスで生活しており、エル・セグンドウのトヨタスポーツセンターを練習拠点にしている。コンディション調整にはパワー・ヨーガを取り入れている。
独学で演技の勉強をしながら、ビバリーヒルズの演劇学校でスタニスラフスキー・システムを学んでおり、自主制作のショートフィルム"Skate Great!"では、ロシアのオリンピック金メダリストを演じている。
[編集] 経歴
[編集] 幼少期-ジュニア時代
8歳からスケートを始める。アイス・カペーズ(アイスショー)の大ファンだった祖母は、ライサチェクにクリスマスプレゼントとしてスケート靴を与えた。彼はもともとアイスホッケーをやりたがっていたが、母が彼と姉をフィギュアスケート教室に入会させたため、スケートを学ぶことになった。彼はスケートに夢中になり、すぐに競技会にも出始めた。
1996年、全米ジュニア選手権ジュブナイルクラスで優勝。1997年からインタメディエイトクラスに上がると、リージョナル、セクショナルを制し、ジュニアオリンピックでも4位に入った。
1998年全米選手権ノービスクラスでは予選落ちだったが、翌1999年は13歳で優勝を果たす。さらに2000年全米選手権ジュニアクラスでも優勝。全米選手権のノービスクラスとジュニアクラスを立て続けに制した男性スケーターはテリー・クビッカ以来である。
2000-2001シーズンから、ライサチェクは国際大会でも結果を出し始める。ジュニアグランプリでは2つの銀メダルを獲得し、ISUジュニアグランプリファイナルに出場。初めて出場したシニアの全米選手権では12位につけた。2001年世界ジュニア選手権では、当初補欠の2番手だったものの、負傷により辞退したライアン・ブラッドレイの替わりに出場すると2位に入った。優勝したのはジョニー・ウィアーで、世界ジュニア選手権でアメリカの選手が同時に1位と2位に入るのは、1987年以来のことであった。
2001-2002シーズンは肋骨骨折など相次ぐ怪我に見舞われ、練習も十分にできなかった。さらに、アメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカフィギュアスケート協会はジュニアグランプリフェニックスの開催を中止、またアメリカ所属選手のジュニアグランプリ派遣も中止してしまった。これらの要因によりライサチェクはモチベーションを失ってしまい、全米選手権では12位にとどまり、世界ジュニア選手権の代表にも選ばれなかった。
それからライサチェクは食事やトレーニングを見直し、明確な目標を設定して立て直しを図った。2002-2003年シーズン、ジュニアグランプリで2つの銀メダルを獲得し、3年ぶりにジュニアグランプリファイナルに出場。全米選手権では7位まで順位を上げ、2003年四大陸選手権でシニアの国際大会デビューを果たした。2003年世界ジュニア選手権では、2002年大会の結果によりアメリカ男子出場枠が2枠に減っており、翌2004年大会の出場枠を3枠に増やすべく、ライサチェクともう1人の代表であるパーカー・ペニングトンに大きな期待が集まっていた。しかし、ペニングトンが棄権したため、ライサチェクの演技に全てがかかることになった。ライサチェクは予選で彼にとっては初めてとなる3回転アクセルに成功、フリースケーティングでも3回転アクセルを成功させて、銀メダルを獲得した。この結果により、翌2004年大会のアメリカ男子出場枠は3枠に広がった。
2003年に高校を卒業すると、コーチをKen Congemiとフランク・キャロルに変更し、練習拠点もカリフォルニア州エル・セグンドウに移した。2003-2004年シーズン、ジュニアグランプリSBC杯、クロアチア杯、ファイナルで全て優勝。全米選手権で5位に入り、2004年四大陸選手権ではシニアの国際大会で初めてのメダルとなる銅メダルを獲得した。世界ジュニア選手権では前年と同じ2位となった。
[編集] シニア時代
2004-2005シーズンからシニアに完全移行。臀部の負傷もあって、グランプリシリーズでは出場した2戦とも5位に終わる。全米選手権で銅メダル。2005年四大陸選手権ではシニアの国際大会で初めての優勝を果たした。続く2005年世界選手権でも初出場ながら3位となり、表彰台に立った。
2005-2006シーズン、グランプリシリーズスケートアメリカで2位となるも、フリースケーティングの「グリース」がうまくいっていないと感じたライサチェクとコーチのフランク・キャロルはプログラムを「カルメン」に変更。この試みは成功し、NHK杯でも2位となり、アメリカ男子シングルでただ一人グランプリファイナルへの出場権を得た。しかし、滑液嚢炎と右臀部の腱の炎症により棄権を余儀なくされる。全米選手権ではジョニー・ウィアーに続く2位となり、トリノオリンピック代表の座を手にする。
迎えたオリンピック、ショートプログラムでは体調不良によるジャンプの転倒が響き10位と出遅れる。しかも演技後、ウイルス性胃腸炎に罹ってしまった。練習もできず、選手村で点滴静脈注射を受けるという状況で、一時は棄権も考えられた。しかしフリースケーティングに出場すると、上位選手たちがミスを連発する中、4回転ジャンプこそ跳ばなかったが8つの3回転ジャンプを決め、フリースケーティング3位、総合4位入賞と健闘した。オリンピック後の2006年世界選手権でも体調不良は続き、吐血することさえあったという。それでも予選、フリースケーティングで4回転ジャンプに挑戦し、転倒はしたものの、前年に続き銅メダルを獲得した。
2006-2007シーズン、グランプリシリーズ初戦のスケートアメリカで2位、次戦の中国杯で優勝し、グランプリファイナルに進出。しかし練習中に右臀部を痛めたため棄権。全米選手権では、このシーズン初めて大きなミスなくショートプログラムを演じきり首位スタート、フリースケーティングでは初めて成功させた4回転-3回転コンビネーションを含むジャンプ、スピン、ステップ全ての要素をミスなくまとめ上げ、スタンディングオベーションを受けて初優勝を果たした。2007年四大陸選手権でも好調を維持して優勝。続く2007年世界選手権では、ショートプログラムに4回転ジャンプを入れようと試みるも着氷が乱れ、フリースケーティングでもジャンプのミスが目立って総合5位にとどまり、3年連続の世界選手権表彰台は叶わなかった。
2007-2008シーズン、初戦のスケートアメリカで2位、次戦の中国杯でも2位となり、3年連続のグランプリファイナル出場を決めた。グランプリファイナルでは、4回転ジャンプを成功させ、スピン・ステップでも質の高い演技をして3位となった。全米選手権ではショートプログラム2位からフリースケーティングで追い上げ、総合得点でジョニー・ウィアーに並んだが、同点の場合はフリースケーティングの得点が高い方を勝者とするというルールにより、2連覇を果たした。2008年四大陸選手権ではショートプログラムと総合のパーソナルベストを更新して3位となった。2008年世界選手権は怪我を理由に欠場した。
2008-2009シーズン、グランプリシリーズではジャンプが回転不足と認定されることが多く[1]、スケートアメリカ、スケートカナダともに3位に終わり、グランプリファイナルへの出場を逃した。3連覇のかかった全米選手権では3位に入り、四大陸選手権と世界選手権の出場権を獲得した。四大陸選手権では2位、地元アメリカのロサンゼルスで行われた世界選手権では初優勝を果たした。日本で行われた国別対抗戦ではアメリカチームのキャプテンとして活躍し、優勝に貢献した。エキシビジョンのフィナーレではベンジャミン・アゴストとともに「どうもありがとう 東京」と書かれた横断幕を持ってリンクを一周した[2]。
[編集] スケート技術
[編集] ジャンプ
現在はほぼ毎試合、ショートプログラム、フリースケーティングとも4回転トウループを、加えてフリースケーティングでは6種類の3回転ジャンプを試みている。
- ジャンプが回転不足でも体勢を崩さず美しく着氷する技術に長けている。
- 男子選手としてはジャンプが低く、滞空時間が短いため、3回転アクセルと4回転トウループは回転不足で着氷してしまうことが多い。
[編集] スピン
スピンにおいても確実に高いレベルをとることができすべてのスピンで最高難度のレベル4を獲得することも多い。
[編集] ステップ
ステップにおいてもレベルをとれる力量を備えており、グランプリファイナルではフリースケーティングのストレートラインステップで最高難度のレベル4を獲得した。
[編集] 演技
- 長身と長い手足を活かしたダイナミックな演技と、情熱的な表現力を持ち味にする。
[編集] 主な戦績
| 大会/年 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 | 06-07 | 07-08 | 08-09 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 冬季オリンピック | 4 | |||||||||
| 世界選手権 | 3 | 3 | 5 | 1 | ||||||
| 四大陸選手権 | 10 | 3 | 1 | 1 | 3 | 2 | ||||
| 世界国別対抗戦 | 1 | |||||||||
| 全米選手権 | 1 J | 12 | 12 | 7 | 5 | 3 | 2 | 1 | 1 | 3 |
| GPファイナル | 棄権 | 棄権 | 3 | |||||||
| GPスケートカナダ | 3 | |||||||||
| GPスケートアメリカ | 5 | 2 | 2 | 2 | 3 | |||||
| GP中国杯 | 1 | 2 | ||||||||
| GPロシア杯 | 5 | |||||||||
| GPNHK杯 | 2 | |||||||||
| 世界Jr.選手権 | 2 | 2 | 2 | |||||||
| JGPファイナル | 8 | 5 | 1 | |||||||
| JGPSBC杯 | 1 | |||||||||
| JGPクロアチア杯 | 1 | |||||||||
| JGPモントリオール | 7 | 2 | ||||||||
| JGPクールシュベル | 2 | |||||||||
| JGPピルエッテン | 2 | |||||||||
| JGPブラオエン杯 | 2 | |||||||||
| JGPサルコウ杯 | 1 | |||||||||
| ガルデナスプリング杯 | 2 | |||||||||
| トリグラフトロフィー | 1 J |
- J = ジュニアクラス
[編集] シニア
| 2008-2009 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2009年4月16日-17日 | 世界フィギュアスケート国別対抗戦2009(東京) | - | 2 83.70 |
1 154.86 |
1 238.56 |
| 2009年3月25日-30日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権 (ロサンゼルス) | - | 2 82.70 |
1 159.53 |
1 242.23 |
| 2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | - | 2 81.65 |
2 155.50 |
2 237.15 |
| 2009年1月18日-1月25日 | 2009年全米フィギュアスケート選手権(クリーヴランド) | - | 2 83.59 |
4 145.51 |
3 229.10 |
| 2008年10月31日-11月2日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(オタワ) | - | 4 71.40 |
4 137.87 |
3 209.27 |
| 2008年10月23日-26日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(エバレット) | - | 1 81.30 |
3 141.91 |
3 223.21 |
| 2007-2008 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | - | 2 84.06 |
3 149.05 |
3 233.11 |
| 2008年1月20日-27日 | 2008年全米フィギュアスケート選手権(セントポール) | - | 2 82.05 |
1 162.72 |
1 244.77 |
| 2007年12月13日-16日 | ISUグランプリファイナル(トリノ) | - | 3 79.70 |
3 150.08 |
3 229.78 |
| 2007年11月7日-11日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(ハルビン) | - | 1 81.55 |
2 147.81 |
2 229.36 |
| 2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) | - | 2 67.70 |
1 152.38 |
2 220.08 |
| 2006-2007 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2007年3月20日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | - | 5 73.49 |
5 148.69 |
5 222.18 |
| 2007年2月7日-10日 | 2007年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) | - | 4 67.04 |
1 159.23 |
1 226.27 |
| 2007年1月21日-28日 | 2007年全米フィギュアスケート選手権(スポケーン) | - | 1 78.99 |
1 169.89 |
1 248.88 |
| 2006年11月9日-12日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(南京) | - | 2 69.20 |
1 150.84 |
1 220.04 |
| 2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | - | 3 70.35 |
1 150.74 |
2 221.09 |
| 2006年10月15日 | キャンベルカップ(シンシナティ) | - | - | 2 138.54 |
団体優勝 |
| 2005-2006 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2006年3月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 2 34.93 |
8 70.32 |
3 149.97 |
3 255.22 |
| 2006年2月10日-26日 | トリノオリンピック(トリノ) | - | 10 67.55 |
3 152.58 |
4 220.13 |
| 2006年1月7日-15日 | 2006年全米フィギュアスケート選手権(セントルイス) | - | 3 74.03 |
1 150.44 |
2 224.47 |
| 2005年12月1日-4日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(大阪) | - | 3 71.05 |
1 142.50 |
2 213.55 |
| 2005年10月20日-23日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(アトランティックシティ) | - | 3 67.75 |
3 125.96 |
2 193.71 |
| 2004-2005 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2005年3月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 3 32.13 |
4 73.42 |
4 133.74 |
3 239.29 |
| 2005年1月14日-20日 | 2005年四大陸フィギュアスケート選手権(江陵) | - | 5 63.25 |
1 133.14 |
1 196.39 |
| 2005年1月9日-16日 | 2005年全米フィギュアスケート選手権(ポートランド) | - | 3 | 3 | 3 |
| 2004年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 4 61.95 |
6 110.50 |
5 172.45 |
| 2004年10月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ピッツバーグ) | - | 5 54.87 |
8 107.64 |
5 162.51 |
[編集] ジュニア
| 2003-2004 シーズン | ||||||
| 開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004年2月29日-3月7日 | 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーグ) | ジュニア | 1 | 2 | 2 | 2 |
| 2004年1月19日-25日 | 2004年四大陸フィギュアスケート選手権(ハミルトン) | シニア | - | 4 | 3 | 3 |
| 2004年1月3日-11日 | 2004年全米フィギュアスケート選手権(アトランタ) | シニア | - | 3 | 5 | 5 |
| 2003年12月11日-14日 | ISUジュニアグランプリファイナル(マルメ) | ジュニア | - | 1 | 1 | 1 |
| 2003年10月22日-26日 | ISUジュニアグランプリ クロアチア杯(ザグレブ) | ジュニア | - | 1 | 1 | 1 |
| 2003年10月16日-19日 | ISUジュニアグランプリ SBC杯(岡谷) | ジュニア | - | 1 | 1 | 1 |
| 2002-2003 シーズン | ||||||
| 開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2003年2月24日-3月2日 | 2003年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オストラヴァ) | ジュニア | 2 | 1 | 2 | 2 |
| 2003年2月10日-16日 | 2003年四大陸フィギュアスケート選手権(北京) | シニア | - | 11 | 10 | 10 |
| 2003年1月12日-19日 | 2003年全米フィギュアスケート選手権(ダラス) | シニア | - | 9 | 7 | 7 |
| 2002年12月12日-15日 | ISUジュニアグランプリファイナル(ハーグ) | ジュニア | - | 7 | 4 | 5 |
| 2002年9月26日-29日 | ISUジュニアグランプリ モントリオール(モントリオール) | ジュニア | - | 1 | 2 | 2 |
| 2002年8月21日-25日 | ISUジュニアグランプリ クールシュベル(クールシュベル) | ジュニア | - | 1 | 2 | 2 |
| 2001-2002 シーズン | ||||||
| 開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2002年4月18日-21日 | トリグラフトロフィー(イェセニツェ) | ジュニア | - | 3 | 1 | 1 |
| 2002年1月6日-13日 | 2002年全米フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | シニア | - | 10 | 13 | 12 |
| 2000-2001 シーズン | ||||||
| 開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
| 2001年2月26日-3月2日 | 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ソフィア) | ジュニア | 3 | 2 | 3 | 2 |
| 2000年12月14日-17日 | ISUジュニアグランプリファイナル(エア) | ジュニア | - | 7 | 7 | 8 |
| 2001年1月14日-21日 | 2001年全米フィギュアスケート選手権(ボストン) | シニア | - | 15 | 11 | 12 |
| 2000年11月2日-5日 | ISUジュニアグランプリ ピルエッテン(ハーマル) | ジュニア | - | 3 | 2 | 2 |
| 2000年10月5日-8日 | ISUジュニアグランプリ ブラオエン・シュベルター杯(ケムニッツ) | ジュニア | - | 2 | 2 | 2 |
| 1999-2000 シーズン | ||||||
| 開催日 | 大会名 | クラス | SP | FS | 結果 | |
| 2000年1月6日-13日 | 2000年全米フィギュアスケート選手権(クリーブランド) | ジュニア | - | 5 | 1 | 1 |
| 1999年11月4日-7日 | ISUジュニアグランプリ サルコウ杯(ストックホルム) | ジュニア | - | 4 | 1 | 1 |
| 1999年9月29日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ モントリオール(モントリオール) | ジュニア | - | 7 | 7 | 7 |
[編集] プログラム使用曲
| シーズン | SP | FS | EX |
|---|---|---|---|
| 2008-2009 | ボレロ 作曲:モーリス・ラヴェル |
ラプソディ・イン・ブルー 作曲:ジョージ・ガーシュウィン |
|
| 2007-2008 | 映画「レジェンド・オブ・ゾロ」 +映画「マスク・オブ・ゾロ」より 作曲:ジェームズ・ホーナー |
歌劇「トスカ」より 作曲:ジャコモ・プッチーニ |
Boston 作曲:Augustana E Lucevan Le Stelle 歌劇「トスカ」より 作曲:ジャコモ・プッチーニ アヴェ・マリア 作曲:アンドレア・ボチェッリ ビリー・ジーン ボーカル:マイケル・ジャクソン |
| 2006-2007 | 奇跡の始まり 作曲:ピーター・ガブリエル |
歌劇「カルメン」より 作曲:ジョルジュ・ビゼー、編曲:ロディオン・シチェドリン |
One by U2 Forever Young 作曲:Youth Group アヴェ・マリア 作曲:アンドレア・ボチェッリ Girl, You Really Got Me 作曲:ヴァン・ヘイレン ニード・ユー・トゥナイト 作曲:INXS Boston 作曲:Augustana |
| 2005-2006 | Vamos a Bailar by The Gipsy Kings エスパーニャ・カーニ 作曲:Pascual Marquina Narro |
Grease 作曲:Warren Casey & Paul Rudolph 歌劇「カルメン」より 作曲:ジョルジュ・ビゼー、編曲:ロディオン・シチェドリン |
Sway by マイケル・ブーブレ タイム・トゥ・セイ・グッバイ ボーカル:サラ・ブライトマン、アンドレア・ボチェッリ ラン・イット ボーカル:クリス・ブラウン + Get Rhythm ボーカル:ジョニー・キャッシュ + Hound Dog ボーカル:エルヴィス・プレスリー |
| 2004-2005 | エスパーニャ・カーニ 作曲:Pascual Marquina Narro |
映画「雨に唄えば」より 作曲:Nacio-Herb Brown |
Sway 作曲:マイケル・ブーブレ |
| 2003-2004 | エスパーニャ・カーニ 作曲:Pascual Marquina Narro |
ピアノ協奏曲第2番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ |
タイム・トゥ・セイ・グッバイ ボーカル:サラ・ブライトマン、アンドレア・ボチェッリ |
| 2002-2003 | エスパーニャ・カーニ 作曲:Pascual Marquina Narro |
映画「ドロップ・ゾーン」より 作曲:ハンス・ジマー |
砂漠のバラ 作曲:スティング タイム・トゥ・セイ・グッバイ ボーカル:サラ・ブライトマン、アンドレア・ボチェッリ |
| 2000-2001 | Dreams 作曲:CJ Dolan-Winter |
The Anniversary Waltz 作曲:V. Smailovi |
Let's Get Loud by ジェニファー・ロペス |
| 1999-2000 | ロミオとジュリエット | ||
| 1998-1999 | Gypsy Kings | ロミオとジュリエット |
[編集] 脚注
- ^ skate Amerika free[1]skate Canada free[2]
- ^ 国別対抗戦2009、終了 「どうもありがとう 東京」2009年04月23日 sports@nifty
[編集] 参考文献
- 国際スケート連盟によるバイオグラフィー (英語)
- アメリカスケート連盟によるプロファイル (英語)
[編集] 外部リンク
- 公式サイト (英語)
| フィギュアスケート 世界チャンピオン – 男子シングル |
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1896: ギルベルト・フックス • 1897: グスタフ・ヒューゲル • 1898: ヘニング・グレナンダー • 1899-1900: グスタフ・ヒューゲル • 1901-1905: ウルリッヒ・サルコウ • 1906: ギルベルト・フックス • 1907-1911: ウルリッヒ・サルコウ • 1912-1913: フリッツ・カチラー • 1914: イエスタ・サンダール • 1922: ギリス・グレイフストレーム • 1923: フリッツ・カチラー • 1924: ギリス・グレイフストレーム • 1925-1928: ウィリー・ベックル • 1929: ギリス・グレイフストレーム • 1930-1936: カール・シェーファー • 1937-1938: フェリックス・カスパー • 1939: グラハム・シャープ • 1947: ハンス・ゲルシュビラー • 1948-1952: ディック・バトン • 1953-1956: ヘイス・アラン・ジェンキンス • 1957-1959: デヴィッド・ジェンキンス • 1960: アラン・ジレッティ • 1962: ドナルド・ジャクソン • 1963: ドナルド・マクファーソン • 1964: マンフレート・シュネルドルファー • 1965: アラン・カルマ • 1966-1968: エメリッヒ・ダンツァー • 1969-1970: ティモシー・ウッド • 1971-1973: オンドレイ・ネペラ • 1974: ヤン・ホフマン • 1975: セルゲイ・ボルコフ • 1976: ジョン・カリー • 1977: ウラジミール・コバリョフ • 1978: チャールズ・ティックナー • 1979: ウラジミール・コバリョフ • 1980: ヤン・ホフマン • 1981-1984: スコット・ハミルトン • 1985: アレクサンドル・ファデーエフ • 1986: ブライアン・ボイタノ • 1987: ブライアン・オーサー • 1988: ブライアン・ボイタノ • 1989-1991: カート・ブラウニング • 1992: ヴィクトール・ペトレンコ • 1993: カート・ブラウニング • 1994-1995: エルビス・ストイコ • 1996: トッド・エルドリッジ • 1997: エルビス・ストイコ • 1998-2000: アレクセイ・ヤグディン • 2001: エフゲニー・プルシェンコ • 2002: アレクセイ・ヤグディン • 2003-2004: エフゲニー・プルシェンコ • 2005-2006: ステファン・ランビエール • 2007: ブライアン・ジュベール • 2008: ジェフリー・バトル • 2009: エヴァン・ライサチェク |
| フィギュアスケート 四大陸チャンピオン – 男子シングル |
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1999: 本田武史 • 2000: エルビス・ストイコ • 2001: 李成江 • 2002: ジェフリー・バトル • 2003: 本田武史 • 2004: ジェフリー・バトル • 2005: エヴァン・ライサチェク • 2006: 織田信成 • 2007: エヴァン・ライサチェク • 2008: 高橋大輔 • 2009: パトリック・チャン |
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