サーシャ・コーエン
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| フィギュアスケート | ||
| 銀 | 2006 | 女子シングル |
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| サーシャ・コーエン - 2007 | |||||
| 基本情報 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 代表国: | |||||
| 生年月日: | 1984年10月26日(27歳) | ||||
| 出生地: | ロサンゼルス | ||||
| 身長: | 157 cm | ||||
| 体重: | 42 kg | ||||
| コーチ: | ジョン・ニックス[1] | ||||
| 元コーチ: | ラファエル・アルトゥニアン ロビン・ワグナー タチアナ・タラソワ |
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| 振付師: | ローリー・ニコル ニコライ・モロゾフ |
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| 元振付師: | ジョン・ニックス タチアナ・タラソワ エカテリーナ・ゴルデーワ ロビン・ワグナー マリナ・ズエワ[1] イゴール・シュピルバンド[1] |
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| 所属クラブ: | オレンジカウンティFSC[1] | ||||
| ISU パーソナルベストスコア | |||||
| トータルスコア: | 197.60 | 2003 スケートカナダ | |||
| ショートプログラム: | 71.12 | 2003 スケートカナダ | |||
| フリースケーティング: | 130.89 | 2003 スケートアメリカ | |||
サーシャ・コーエン(Sasha Cohen、本名:アレクサンドラ・ポーリーン・コーエン、Alexandra Pauline Cohen、1984年10月26日[1] - )は、アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2006年トリノオリンピック女子シングル銀メダリスト。競技名のサーシャとはアレクサンドラのロシア語風の愛称。
目次 |
[編集] 人物
趣味はファッションデザイン、料理、旅行。好きな食べ物はアイスクリームである。ロシア語を解することもできる[2]。
父のロジャー・コーエンはユダヤ系アメリカ人の弁護士兼経営コンサルタントである。母のガリーナ・フェルドマンはウクライナ出身のユダヤ系移民で元バレエダンサーだった[3][4]。妹のナタリア(ナターシャ)は2006年8月に大学に入学している。家族は全員が敬虔なユダヤ教徒であり、よくシナゴーグに通っている。
2002年のソルトレイク五輪の開会式では、アメリカ選手団の中にいたジョージ・W・ブッシュ大統領が、母親と通話中のサーシャ・コーエンの携帯電話を取り上げ、「貴女の娘さんはお行儀良くやっているよ。競技での活躍をお祈りしています。」と話した。またこの五輪中の試合でタイツを忘れてしまい、村主章枝からタイツを借りたことがある。村主は2006年に出演したNHK「英語でしゃべらナイト」でその時の逸話に言及し、「早く返してください(笑)」と冗談めかして語った。他の競技会でもタイツを忘れ、荒川静香から借りたことがある[1]。
2005年に自叙伝『Fire on Ice』を出版。2007年公開のアメリカ映画『俺たちフィギュアスケーター(Blades of Glory)』では、トリノ五輪フリースケーティングの衣装を着てカメオ出演している。
[編集] 技術・演技
高い柔軟性を活かしたスパイラルシークエンスと優美なレイバックスピンが得意。特にスパイラルは、サポート無しで足を前に高く上げての前向き滑走、真っすぐ伸ばした180度開脚など、高度な技巧で最高難度のレベル4を頻繁に獲得しており、トリノオリンピックではショート・フリーの両方でGOEで2.0点加点されていた。
表現力も非常に高く評価されており、演技構成点で8点台を出すことがある。トリノオリンピックのショートプログラムでは、技術点ではイリーナ・スルツカヤ、荒川静香に次ぐ3位であったが、演技構成点でこの2人を抑え、トータルポイントでは1位となった。
[編集] 経歴
[編集] 幼少期~2005年
カリフォルニア州ロサンゼルス出身。幼い時から体操とバレエを経験し、7歳の時にフィギュアスケートに転向。ジョン・ニックスコーチに師事した。
2002年のソルトレイクシティオリンピックは、ショートプログラムは安定した演技で3位となったが、フリースケーティングではコンビネーションで2つめのジャンプでの着氷失敗が響き、総合では4位入賞に終わった。
2002-2003シーズンではグランプリシリーズ2連勝、グランプリファイナルでも優勝を果たす。
2003-2004シーズン、2003年12月にコーチをタチアナ・タラソワから、サラ・ヒューズのコーチだったロビン・ワグナーに変更している。2004年世界選手権では2位に終わる。
2004-2005シーズン、グランプリシリーズを背中の故障で全て欠場した。同年12月後半にコーチをロビン・ワグナーからジョン・ニックスに戻している。オレゴン州ポートランドで行われた2005年の全米選手権で復帰し2位。続くモスクワでの世界選手権でも2位に終わる。
[編集] 2005-2006シーズン
グランプリシリーズ、初戦のスケートアメリカは臀部の故障により欠場。次戦のエリック・ボンパール杯で2位。2006年の全米選手権では、インフルエンザによる体調不良を克服し初優勝。2006年トリノオリンピックのアメリカ代表となった。
トリノオリンピックではショートプログラムをミスの無い演技で終え、イリーナ・スルツカヤと荒川静香を抑えてトップに立った。フリースケーティングの序盤では、ジャンプで転倒や両手を着くなどの大きなミスを犯したが、中盤から終盤にかけてはミスの無い演技でまとめ、荒川静香に次いで銀メダルを獲得した。
トリノオリンピックから1ヵ月後にカナダのカルガリーで開催された世界選手権でも、ショートプログラムではコンビネーションジャンプで両足着氷したものの、質の高い演技を披露しトップに立ったが、フリースケーティングでは中盤から終盤にかけてミスを連発、1位のキミー・マイズナー、2位の村主章枝に及ばず3位に終わった。
[編集] 2006-現在
2006-2007シーズン以降は主要競技会に出場せず、アイスショーを中心に活動していたが、 2010年のバンクーバーオリンピックに向けて、2009-2010シーズンより復帰することを明らかにした[5]。しかし、足の怪我により2009年のグランプリシリーズは全て欠場。翌2010年1月の全米選手権で、3大会連続の冬季五輪代表選出を目指したが結局4位に終わり、バンクーバー五輪への出場はならなかった。
[編集] 主な戦績
| 大会/年 | 1997-98 | 1998-99 | 1999-00 | 2000-01 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2009-10 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 冬季オリンピック | 4 | 2 | ||||||||
| 世界選手権 | 4 | 4 | 2 | 2 | 3 | |||||
| 全米選手権 | 6 N | 2 J | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 1 | 4 | |
| GPファイナル | 1 | 2 | ||||||||
| GPスケートアメリカ | 5 | 1 | ||||||||
| GPスケートカナダ | 1 | 1 | ||||||||
| GPエリック杯 | 3 | 1 | 1 | 2 | ||||||
| GPロシア杯 | 4 | 2 | ||||||||
| GPスパルカッセン杯 | 5 | |||||||||
| フィンランディア杯 | 1 | |||||||||
| 世界ジュニア選手権 | 6 | |||||||||
| JGPスウェーデン | 1 |
[編集] シニア
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2010年1月21日-23日 | 全米フィギュアスケート選手権(スポケーン) | 2 69.63 |
4 104.65 |
4 174.28 |
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2006年10月15日 | キャンベルカップ(シンシナティ) | 2 61.55 |
- | 団体2位 |
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年03月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 3 27.59 |
1 66.62 |
4 114.67 |
3 208.88 |
| 2006年02月10日-26日 | トリノオリンピック | - | 1 66.73 |
2 116.63 |
2 183.36 |
| 2006年01月07日-15日 | 2006年全米フィギュアスケート選手権(セントルイス) | - | 1 65.15 |
1 134.03 |
1 199.18 |
| 2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 2 60.96 |
3 114.16 |
2 175.12 |
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005年03月14日-20日 | 2005年世界フィギュアスケート選手権(モスクワ) | 1 28.41 |
2 61.37 |
2 124.61 |
2 214.39 |
| 2005年01月09日-16日 | 2005年全米フィギュアスケート選手権(ポートランド) | - | 2 | 2 | 2 |
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2004年03月22日-28日 | 2004年世界フィギュアスケート選手権(ドルトムント) | 1 | 1 | 3 | 2 |
| 2004年01月03日-11日 | 2004年全米フィギュアスケート選手権(アトランタ) | - | 1 | 2 | 2 |
| 2003年12月11日-14日 | ISUグランプリファイナル(コロラドスプリングス) | - | 2 60.80 |
2 116.68 |
2 177.48 |
| 2003年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 1 69.38 |
1 127.81 |
1 197.19 |
| 2003年10月30日-11月03日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) | - | 1 71.12 |
1 126.48 |
1 197.60 |
| 2003年10月23日-26日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) | - | 1 66.46 |
1 130.89 |
1 197.35 |
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2003年03月24日-30日 | 2003年世界フィギュアスケート選手権(ワシントンD.C.) | 3 | 5 | 3 | 4 |
| 2003年02月28日-03月02日 | ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク)[6] | - | 1 | 2 | 1 |
| 1 | |||||
| 2003年01月12日-19日 | 2003年全米フィギュアスケート選手権(ダラス) | - | 2 | 3 | 3 |
| 2002年11月21日-24日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(モスクワ) | - | 2 | 2 | 2 |
| 2002年11月14日-17日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 2 | 1 | 1 |
| 2002年10月31日-11月03日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | - | 1 | 1 | 1 |
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2002年03月16日-24日 | 2002年世界フィギュアスケート選手権(長野) | 2 | 5 | 4 | 4 |
| 2002年02月09日-21日 | ソルトレイクシティオリンピック(ソルトレイクシティ) | - | 3 | 4 | 4 |
| 2002年01月06日-13日 | 2002年全米フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | - | 2 | 2 | 2 |
| 2001年11月14日-18日 | ISUグランプリシリーズ ラリック杯(パリ) | - | 3 | 3 | 3 |
| 2001年10月24日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(コロラドスプリングス) | - | 4 | 5 | 5 |
| 2001年10月05日-07日 | フィンランディア杯(ヘルシンキ) | - | 1 | 1 | 1 |
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2000年11月16日-19日 | ISUグランプリシリーズ ロシア杯(サンクトペテルブルク) | 4 | 4 | 4 |
| 2000年11月07日-12日 | ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯(ゲルゼンキルヒェン) | 4 | 6 | 5 |
[編集] ジュニア
| 開催日 | 大会名 | クラス | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000年03月05日-12日 | 2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(オーベルストドルフ) | ジュニア | 2 | 9 | 5 | 6 |
| 2000年01月06日-13日 | 2000年全米フィギュアスケート選手権(クリーブランド) | シニア | - | 1 | 2 | 2 |
| 1999年11月04日-07日 | ISUジュニアグランプリ サルコウ杯(ストックホルム) | ジュニア | - | 1 | 3 | 1 |
[編集] プログラム
| シーズン | SP | FS | EX |
|---|---|---|---|
| 2009-2010 | エスパーニャ・カーニ 作曲:Pascual Marquina Narro |
ピアノソナタ「月光」より第一楽章及び第三楽章 作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
Sick and Tired by アナスタシア 振付:サーシャ・コーエン Hallelujah 作曲:レナード・コーエン、演奏:ジェフ・バックリィ 振付:サーシャ・コーエン Mein Herr by ライザ・ミネリ 映画『キャバレー』より 振付:サーシャ・コーエン Don't stop the music by 振付: |
| 2006-2007 | 黒い瞳 演奏:フランシス・レイ |
- | Don't Cha 演奏:プッシーキャット・ドールズ ゴッド・ブレス・アメリカ 作曲:アーヴィング・バーリン、唄:セリーヌ・ディオン ミュージカル「ウエスト・サイド物語」より 作曲:レナード・バーンスタイン |
| 2005-2006 | 黒い瞳 演奏:フランシス・レイ |
映画「ロメオとジュリエット」より[7] 作曲:ニーノ・ロータ 振付:デヴィッド・ウィルソン (フィギュアスケート選手) |
ゴッド・ブレス・アメリカ 作曲:アーヴィング・バーリン、唄:セリーヌ・ディオン パレードに雨を降らせないで 作曲:バーブラ・ストライサンド |
| 2004-2005 | 黒い瞳 演奏:フランシス・レイ |
パ・ド・ドゥ 「くるみ割り人形」より[1] 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:マリーナ・ズエワ |
パレードに雨を降らせないで 作曲:バーブラ・ストライサンド |
| 2003-2004 | マラゲーニャ 作曲:エルネスト・レクオーナ、演奏:スタンリー・ブラック |
白鳥の湖[8] 作曲:ピョートル・チャイコフスキー |
映画「ロメオとジュリエット」より 作曲:ニーノ・ロータ ミュージカル「マイ・フェア・レディ」より |
| 2002-2003 | マラゲーニャ 作曲:エルネスト・レクオーナ、演奏:スタンリー・ブラック |
ピアノ協奏曲第2番 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ |
映画「ロメオとジュリエット」より 作曲:ニーノ・ロータ Oneday I'll Fly Away 映画「ムーラン・ルージュ」より |
| 2001-2002 | My Sweet and Tender Beast 作曲:Evgeni Doga |
歌劇「カルメン」より 作曲:ジョルジュ・ビゼー |
Hernando's Hideaway from The Pajama Game 作曲:エラ・フィッツジェラルド アリア 「ブラジル風バッハ」より 作曲:エイトル・ヴィラ=ロボス |
| 2000-2001 | My Sweet and Tender Beast 作曲:Evgeni Doga |
黒い瞳 演奏:フランシス・レイ |
Anytime, Anywhere 唄:サラ・ブライトマン To Love You More 唄:セリーヌ・ディオン |
| 1999-2000 | バロックセレクションズ 原曲:トマゾ・アルビノーニ、アントニオ・ヴィヴァルディ |
ヴァイオリン協奏曲 作曲:フェリックス・メンデルスゾーン |
歌劇「蝶々夫人」より 作曲:ジャコモ・プッチーニ |
[編集] 脚注
- ^ a b c d e f g 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.38
- ^ “Athletes - Sasha Cohen”. NBCOlympics.com. 2009年7月12日閲覧。
- ^ Bloom, Nate (February 16, 2006). “The Tribe goes to Torino: Sketches of Jewish Olympic-Bound Athletes”. Jewish World Review 2009年7月12日閲覧。
- ^ AIPS Web Site
- ^ トリノ五輪銀メダリストのコーエンが競技復帰へ『AFP BB news』2009年05月09日更新
- ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
- ^ 「スタンダードナンバー比較 ロミオとジュリエット編」『フィギュアスケートDays vol.4』DAI-X出版、2007年10月、pp.68-71
- ^ 「フィギュアスケート スタンダードナンバー大比較 白鳥の湖編」『フィギュアスケートDays vol.5』DAI-X出版、2008年2月、pp.64-67
[編集] 外部リンク
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