ブライアン・ジュベール

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ブライアン・ジュベール
Brian Joubert
基本情報
国: フランス
生年月日: 1984年9月20日(23歳)
出生地: ポワティエ
身長: 179 cm
コーチ: ジャン=クリストフ・シモン
元コーチ: ベロニク・ガイヨンアンドレイ・ベレンティチェブローレン・ドポレリー
振付師: カート・ブラウニング
所属: Club France F.F.S.G.
ISU パーソナルベスト
SP+FS トータル: 240.85 2007 世界選手権
ショートプログラム: 83.64 2007 世界選手権
フリースケーティング: 160.13 2006 GPロシア
最近の結果:
大会名 ポイント 順位
世界選手権 231.22 2位 2008
欧州選手権 219.45 3位 2008
スケートカナダ 213.62 1位 2007
ウィキメディア・コモンズ

ブライアン・ジュベール(Brian Joubert、1984年9月20日 - )は、フランス男性フィギュアスケート選手。2007年世界選手権2004年2007年欧州選手権2006年グランプリファイナル優勝。フランス選手権6連覇。

目次

人物

現在のコーチはジュベールについて「生まれながらの競技者」であると評している[1]

母国フランスではアイドル的な人気があり、元ミス・フランスのLætitia Blégerとも短期間交際していたことがある。しかし、後にLætitiaが「ジュベールは同性愛者であり、自分たちの交際はそれを隠すためのものだったのだ」などと中傷したため、ジュベールはLætitiaに40,000ユーロの慰謝料を求めて訴訟を起こした。ジュベールは勝訴し、フランスの裁判所はLætitiaと彼女の主張を掲載した2つの雑誌に対し、計 17,000 ユーロの支払いと、誌面に裁判の結果を掲載することを命じた。

association for children with Williams syndrome(ウイリアムス症候群 - 先天的な心臓病の一種)のスポンサーの1人でもある。2006年には自伝「Brian Joubert: le Feu sur la Glace」(ブライアン・ジュベール 氷上の炎)を出版した。「ブレード」という名前のブルドッグを飼っている。

前フランススケート協会会長ディティエ・ガヤエとの交際について、親密すぎるのではないかとの批判も受けているが、ジュベールはガヤエのことを、自身のキャリアを非常に助けてくれた人として信用している。

経歴

幼少期~2003-04シーズン

1984年、フランスポワティエに生まれた。生後11ヶ月のときブドウ球菌による感染症に命を脅かされ、片方の腎臓を摘出している。4歳のとき、2人の姉と一緒にスケートを始めた。初めのうちはアイスホッケーをやりたがっていたが、ジャンプに魅了され、ベロニク・ガイヨンの元でフィギュアスケートを始めた。

2000年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で主要国際大会にデビュー、総合15位に入る。翌年は世界ジュニア選手権に出場できなかったが、2001年3月に開催されたThe Korloff Top Jump International competition(ジャンプに特化したISU公式国際競技会)では、4回転トウループ+3回転トウループ、3回転アクセル+3回転トウループといった難易度の高いジャンプをクリーンに成功させて2位となった。

2001-02シーズン、ISUグランプリシリーズスケートアメリカでシニアの国際大会にデビューした。フランス選手権では総合3位に入り、2002年欧州選手権への出場権を初めて獲得。その欧州選手権でも総合3位に入り、ソルトレイクシティオリンピックへの出場を決めた。オリンピックではショートプログラムで出遅れたものの、フリースケーティングで4回転トウループと2度の3回転アクセルに成功して総合14位。その1ヶ月後の世界選手権では総合13位だった。

2002-03シーズン、フリースケーティングに4回転トウループとトリプルアクセルをそれぞれ2度ずつ試みるようになった。ISUグランプリシリーズに本格参戦し、スケートアメリカで優勝、初出場のグランプリファイナルでも総合3位に入った。欧州選手権では前年より順位を1つ上げて総合2位につけるまでになった。世界選手権では総合6位。

2003-04シーズン、ベロニク・ガイヨンが「家族と過ごす時間を増やしたい」として辞任したため、コーチをローレン・ドポレリーに変更した。また、尊敬するアレクセイ・ヤグディンをアドバイザーに迎えた。ドポレリーの指導に不満を抱いて彼を解雇すると、短期間ガイヨンの元に戻った。しかし、ガイヨンがジュベールに、彼の母親とともに働くことをやめることと、2005-06シーズン以降の大会賞金の10%を支払うことを要求したため彼らの関係は悪化し、2003年10月に再び別れることになった。また、ヤグディンはジュベールの振り付け師であるニコライ・モロゾフとそりが合わず、アドバイザーを退いた。

欧州選手権では、ショートプログラム、フリースケーティングともに完璧な演技を見せた。特にフリースケーティングでは2度の4回転トウループ(1度目は単独、2度目は4回転+3回転)を成功させ、「今シーズン中にプルシェンコに勝つ」という宣言通り、当時ほぼ無敵の強さを誇っていたエフゲニー・プルシェンコを破って初優勝した。フランスの男子シングル選手が欧州選手権で優勝するのは、1965年大会のアラン・カルマ以来40年ぶり、3人目である。続く世界選手権でも大きなミスのない演技をしてプルシェンコに次いで総合2位となった。

2004-05シーズン~2007-08シーズン

2004-05シーズンから新採点システムが正式導入され、多くの選手が対応に苦慮する中、ジュベールも演技に精彩を欠くことが多くなった。それでもグランプリシリーズや欧州選手権では表彰台に上がり続けて底力を見せた。世界選手権では予選、ショートプログラムまでほぼミスのない演技でプルシェンコに次ぐ2位につけていたが、フリースケーティングではミスを連発して13位となり、総合6位に終わった。

2005-06シーズン、コーチをアンドレイ・ベレンティチェブに変更。スピンステップで高いレベルを認定されるようになった一方で、得意のジャンプが不安定になることが多くなった。さらには背中を痛め、エバン・ライサチェクの棄権で出場権がまわってきたグランプリファイナルを辞退することになった。優勝を期待されたトリノオリンピックではショートプログラムで4位につけ、フリースケーティングでは4回転トウループと3回転アクセルをそれぞれ2度入れるという難易度の高い構成で臨んだが、ミスが響いて総合6位に終わった。続く世界選手権では、ショートプログラムと2度の4回転トウループを含むフリースケーティングでともに完璧な演技を見せ、その合計得点では1位だったものの、予選との合計でステファン・ランビエールにわずかに及ばず総合では2位となった。

2006-07シーズン、2006年9月にコーチをジャン=クリストフ・シモンに変更。また、フリースケーティングの振り付けはそれまでの振り付け師ニコライ・モロゾフではなくカート・ブラウニングに依頼し、以後彼を振り付け師とした。スピンやステップを向上とともにジャンプの成功率も回復し、シーズン始めの9月に行われたフランスマスターズでのフリースケーティングでは2種類の4回転ジャンプを成功、グランプリシリーズではフリースケーティングで2度の4回転トウループを決めたエリック・ボンパール杯を皮切りに、ロシア杯グランプリファイナルに出場して全勝。特にロシア杯ではフリースケーティングで2種類3度の4回転ジャンプを決め、大きな反響を呼んだ。

欧州選手権でも3年ぶり2度目の優勝を飾った。世界選手権では、開催1ヶ月前にスケート靴のエッジが右足甲に刺さり6針を縫う怪我をしフリップやルッツ、スピンの練習も満足にできない状態にあったがショートプログラムのフリップで片手を軽くついた以外は怪我の影響を感じさせない演技で初優勝を果たし、表彰式では嬉しさのあまり涙をこぼした。また、これにより2006-07シーズンに出場した全てのISU公式競技会を制覇した。

2007-08シーズン、グランプリシリーズスケートカナダで優勝。しかし、スケートカナダ直前からウイルス性の疾患にかかっており、エリック・ボンパール杯は体調不良のため欠場。欧州選手権でも回復が間に合わず他にも胃腸炎や足に潰瘍を抱えるなどしており得意のジャンプでもミスが出て総合3位にとどまったが、初出場以来7年連続の欧州選手権の表彰台となった。世界選手権では、彼にしては珍しい3回転ルッツでの転倒があり6位と出遅れたショートプログラムで使用曲のボーカルに歌詞が入っているとされて1点減点されるなどの思わぬ判定を受けたが、翌日のフリースケーティングではほぼミスのない演技をして巻き返して総合では2位となり、連覇は逃したものの自身4つめとなる世界選手権のメダルを手にした。

スケート技術

ジャンプ

ジャンプの得意な選手としてよく知られており、安定感と高さを兼ね備えた4回転トウループと4回転サルコウの2種類の4回転ジャンプを跳ぶことができる(この2つのジャンプは本人も好きな技として挙げている)。フリースケーティングでのみならずショートプログラムにおいても4回転からのコンビネーションジャンプを跳ぶことができる。

  • ジュベールはシニアの国際大会デビュー以来、新採点システム施行後に4回転ジャンプを跳ぶものが少なくなってから現在に至るまで、常にショートプログラムとフリースケーティングの両方で4回転ジャンプを跳び続けている。
  • 新採点システムにおけるフリースケーティングで3度の4回転ジャンプを成功させた唯一の選手である(06年ロシア杯。最初のジャンプで4回転トウループ+2回転トウループ、2つめのジャンプで4回転サルコウ、演技後半にある4つめのジャンプで4回転トウループ)。なお、この偉業は、選手たちがこぞって4回転ジャンプを跳んでそれにより勝敗が大きく左右されていた旧採点時であってもわずか3人しかなしえていないことである(その3人とは張民ティモシー・ゲーブル本田武史である)。

また、6種類全ての3回転ジャンプを安定して跳ぶことができ極めて高確率でそろえることができる。エッジ系のジャンプよりはトウを突くジャンプ(トウループフリップなど)が得意だと語ったことがあり、4回転フリップは練習では降りていると語ったこともある。

スピン

かつてはスピンのバラエティに欠けるとの指摘を受けていた。しかし、2005-06シーズンからはルシンダ・ルーの指導と「何度も何度も、鼻血が出るほど」の練習により改善を図り、現在ではバックエントランス・チェンジエッジや回転速度の全てにおいて優れた、高いレベルをとることのできるスピンをするようになった。もともと身体があまり柔らかくないため、柔軟性の向上および維持のため、毎日欠かさずストレッチに励んでいるという。

ステップ

力強いエッジさばきは従来より高い評価を得ていたものの、新採点システムの導入当初はレベルがとれずに苦しんだ。しかし2005-06シーズン中に当時の振り付け師ニコライ・モロゾフと特訓合宿をするなどして技術力の向上に努め、高いレベルをとることができるようになった。現在は振り付け師のカート・ブラウニングとともに、力強さの中にすばやさや細やかさを織り交ぜたステップを目指している。ジュベールは「カートのおかげでステップが楽しくなった」と述べている。

演技

リンクを大きく使った力強く躍動感のある演技には定評がある。従来は卓越した技術面(特にジャンプ)にのみ目を向けられている感があったが、近年は表現力や芸術性の評価も高まってきており、2008年世界選手権のフリースケーティングでは演技構成点の5つの要素のうち3つで8点台をマークした。本人も振付師カート・ブラウニングの影響から芸術性への強いこだわりを持つようになったと述べており、オフシーズンにはヒップ・ホップとタンゴを練習して芸術性を高めてきた。

ボクシング世界チャンピオンのマヤル・モンシプールに持久力をつけるトレーニングを受けたこともある。

主な戦績

大会/年 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08
冬季オリンピック 14 6
世界選手権 13 6 2 6 2 1 2
欧州選手権 3 2 1 2 3 1 3
フランス選手権 10 14 3 1 1 1 1 1 1
GPファイナル 3 辞退 5 辞退 1
GPスケートアメリカ 9 1 1 3
GPスケートカナダ 1
GP中国杯 2
GPエリック杯 5 4 2 2 1
GPロシア杯 1
GPNHK杯 4
世界Jr.選手権 15
フランスJr.選手権 2 4
JGPサンジェルヴェ 4
JGPバルト杯 4

シニア


プログラム 曲名
SP オール・フォー・ユー(All For You by Sebastien Damiani)
FS メタリカ+ロミオとジュリエット(Metallica Plays by Apocalyptica + Romeo and Juliet by Craig Armstrong)
EX クロックス(Clocks by Coldplay


開催日 大会名 SP FS 結果
2008年03月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) 6
77.75
2
153.47
2
231.22
2008年01月21日-27日 2008年ヨーロッパフィギュアスケート選手権(ザグレブ) 2
75.25
4
144.20
3
219.45
2007年11月01日-04日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) 1
78.05
2
135.57
1
213.62


ジュニア

脚注

  1. ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。

外部リンク