金妍兒

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  • 金妍兒
  • キム・ヨナ
Pix.gif 金 妍兒
Yuna KIM
Figure skating pictogram.svg
Kim 2009 Skate America FS Spiral.jpg
金妍兒
基本情報
代表国: 韓国の旗 韓国
生年月日: 1990年9月5日(24歳)
出生地: 京畿道[1]富川市[2]
身長: 164 cm[1]
体重: 47 kg[2]
コーチ: 申恵淑 (2012-2013)
リュ・ジョンヒョン[3]
元コーチ: ピーター・オペガード (2010-2011)
ブライアン・オーサー (2007-2010)
Park Bun-Sun
キム・セヨル[4]
Chi Hyun-Jung
振付師: デヴィッド・ウィルソン
元振付師: トム・ディクソン[4]
ジェフリー・バトル[4]
所属クラブ: AT Sports(ko:올댓스포츠
引退: 2014年2月20日
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 228.56 2010 バンクーバー五輪
ショートプログラム: 78.50 2010 バンクーバー五輪
フリースケーティング: 150.06 2010 バンクーバー五輪
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
2010 バンクーバー 女子シングル
2014 ソチ五輪 女子シングル
世界選手権
2007 東京 女子シングル
2008 ヨーテボリ 女子シングル
2009 ロサンゼルス 女子シングル
2010 トリノ 女子シングル
2011 モスクワ 女子シングル
2013 ロンドン 女子シングル
金姸兒
各種表記
ハングル 김연아
漢字 金姸兒
発音: キムニョナ(標準)
キミョナ(慣用)
ローマ字 Kim Yuna
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(キム・ヨナ、1990年9月5日[4] - )は、大韓民国の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック金メダリスト。2014年ソチオリンピック銀メダリスト。2009年2013年世界選手権優勝。韓国のフィギュアスケート史上、初めてISUフィギュアスケート選手権(2006年世界ジュニア選手権、2009年世界フィギュアスケート選手権、オリンピック(2010年バンクーバーオリンピック)を制した。

日本のメディアでは「キム・ヨナ」とも表記される。

人物[編集]

1990年9月5日富川市で生まれる。家族は両親と3歳上の姉。軍浦市に移り、地元の道蔵中学校、修理(スリ)高校を経て[5]、2009年3月より高麗大学校に在籍[6][7]。2010年4月に設立された母親パク・ミヒが代表取締役を務めるマネジメント会社「オール・ザッツ・スポーツ(AT SPORTS)」に所属[8]カトリック教徒で、ステラという洗礼名を持つ[9]

人気と影響力[編集]

母国では「国民の妹」[10]、「フィギュア・クイーン」[11]、「フィギュアの妖精」と呼ばれている[9]。 金の活躍により韓国ではフィギュアスケートがブームとなった[12]。韓国のフィギュア選手登録者は、2006年の237人から2009年には348人に増えた。

世界選手権で初優勝した2009年度はフォーブス誌に「韓国で最も影響力ある有名人」に選ばれた[13]。 2010年4月には『タイム』誌のオンライン投票「世界で最も影響力のある100人」のヒーロー部門で2位に選ばれた[14]。読売新聞社と韓国日報社が2010年4月に発表した日韓共同世論調査によると、日本人が親しみを感じる韓国人の1位が金妍児で、50%が金に親しみを感じると回答した[15][16]。同年8月、韓国系米国人が最も多く居住するロサンゼルスを訪問することを記念し、ロサンゼルス市議会は8月7日を「金妍兒の日」と定めた[17][18]

競技外の活動[編集]

韓国のフィギュアスケートを振興するため、後輩の強化・育成活動や、賞金等の寄付をしている[19]。ボランティア活動や[20]慈善活動や寄付も積極的に行っている[21][22][23]。2010年7月より国連児童基金(ユニセフ)の親善大使を務めている[24][25]。2018年冬季五輪平昌招致委員会の広報大使も務めた。2011年7月6日の国際オリンピック委員会総会の最終プレゼンテーションでスピーチし、平昌招致決定に貢献した。また、現在も平昌スペシャルオリンピックの広報大使としても積極的な広報活動を行っている[26]

2010年4月20日、本人が株主として参画した株式会社「オール・ザッツ・スポーツ(AT SPORTS)[27]」を設立した[28]

2011年5月より自身が司会を務めるバラエティ番組「キム・ヨナのKiss&Cry[29]」(韓国SBS放送)を始めた。

技術・演技[編集]

2009年世界選手権で「死の舞踏」を演じるキム・ヨナ

ISUジャッジングシステムのもとで行われた主要国際競技会において、女子シングル史上初めて200点台を出した選手(2009年世界選手権)。2010年バンクーバー五輪でマークしたフリースケーティング(FS)、総合得点のパーソナルベストは歴代最高得点であり、このスコアは2012年にギネス世界記録として登録された[30]。引退するまで、出場した全ての試合で表彰台に上がった[31]

長野オリンピックミシェル・クワンの演技に感動して表現力の強化に力を注いできた[32]。表現力は高く評価されており、2010年バンクーバーオリンピックでは演技構成点で9点台を出した[33]。「指先の微妙な動きと豊かな表情」が特徴とされ、ジャンプ・ステップより作品性を優先するプログラム構成になる傾向がある[34]

3回転アクセルを除く5種類の3回転ジャンプを跳ぶことができる[35]。12歳までに5種類の3回転ジャンプをマスターした[36]。ジャンプでは、技の出来栄えを評価するGOEでは大きな加点を得ることが多い[37]。例えばバンクーバーオリンピックのFSではGOE合計で全選手中最高の17.40点の加点を得た。また、男子並みの大きな3回転を飛ぶと評されることもある[38]。2012年のNRW杯では、3S-2Tなどを使い[39]、3番目に点数の高いトリプルループ(基礎点5.1点)は入れていない[40]

ループが2009-2010シーズンから一回も取り入れられておらず、フリップは2008-2009シーズンにアテンション(!)を数回つけられた「悪縁」[41][42]があるため、演技構成の選択肢が狭くなっており、基礎点が低下してGOEへの依存度が高くなっている。実際2013年世界選手権においても、バンクーバー時[43]よりも基礎点は下がっており[44]、一方GOEは0.89点だけ低下しているもののそれはGOE係数が当時[45]から変更されている[46]ためで、バンクーバー時(GOE17.40点)の係数で換算すると2013年世界選手権のGOEは22点程度(=8.3*1/0.7 + 0.79*1/0.5 + 1.14*1/0.5 + 3.28*0.5/0.5 + 1.4*1/0.7 + 1.6)に相当する(GOE3点は7個から33個に増加)。これについて週刊文春は、「キム・ヨナはとにかくジャッジからの評価(=Grade of Execution(出来映え)の評価)が高くて、ジャンプは加点に次ぐ加点」であると評した[47]

フリップジャンプ[編集]

2008年中国杯でエッジエラーと判定されたことがあるが、ブライアン・オーサーコーチは抗議を行っており[48]その後はエラーになったことはなかった。 しかし、休養後の2013年世界フィギュアスケート選手権のショートプログラムにおいてエッジエラーと判定された[49]。これについてキムは、大会直後に「以前にも(ロングエッジ判定を受けた)経験があり、正直、腹が立ったが無視した」とコメントしている[50]

経歴[編集]

ジュニア時代[編集]

5歳でスケートを始めた[51]。7歳の時にコーチから「才能がある」と言われ、本格的にスケートを始めた[51]。決して裕福とはいえない家庭であったが、両親は費用を惜しまず金をアメリカなどにスケート留学させた[52]。母親は金の運転手兼マッサージ師兼鬼コーチ兼英語の教師として、一日16時間練習に付き添った[53]。2002年トリグラフトロフィーノービスクラスで国際競技会初優勝[54]。だが小学校6年生頃には練習の辛さと足首の靭帯の怪我と父親の会社の経営悪化が重なり、スケートを辞めることを考えたという[32]。2003年韓国選手権では史上最年少(12歳)での優勝を果たし、神童と呼ばれた[36]。2004-2005シーズンよりジュニアクラスに上がり、ISUジュニアグランプリに参戦する。JGPブダペストで優勝、JGPハルビンで2位となる。JGPファイナル世界ジュニア選手権では、いずれも浅田真央に次ぐ2位となる。2005-2006シーズン、JGPスケートスロバキア、JGPソフィア杯、JGPファイナルと勝ち続け、世界ジュニア選手権でも優勝。この活躍によりIMG系列のマネジメント会社「IMGコリア」との契約に成功、経済的支援を受けられるようになった。

シニア以降[編集]

バンクーバー五輪シーズンまで[編集]

2006年スケートカナダ

2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2戦目のエリック・ボンパール杯でGPシリーズ初優勝を飾り、GPファイナルショートプログラム3位から逆転して初出場初優勝を果たした。しかし12月初旬から軽度の椎間板ヘルニアによる腰痛が酷くなり、国内選手権や冬季アジア大会を欠場した[55]世界選手権では、SPでISU歴代最高得点を記録して首位に立った。しかし、フリースケーティングでは得点が伸びず、総合順位は3位となった。2007年初めからカナダに拠点を移し、現在に至るまでブライアン・オーサーに師事している[56][10]。オーサーのほか、デヴィッド・ウィルソンを振付師に、トレイシー・ウィルソンをスケーティングと表現力のコーチとするチームを組んでいる[10]。なお、オーサーにとっては金妍兒がコーチ転向後初の教え子である[57]。オフシーズンには弱点である体力を強化するためのトレーニングに多くの時間を割いたという[58]。また、「IMGコリア」とは2010年末までの長期契約を結んでいたが、契約を解除しIBスポーツと契約した。

2007-2008シーズン、GPシリーズ中国杯ロシア杯と2連勝。ロシア杯のフリーではIJS(ISUジャッジングシステム)の女子シングル歴代世界最高得点を記録した。GPファイナルでも2連覇を達成した。韓国で開催される四大陸選手権は怪我のため欠場した。世界選手権では、SPは5位と出遅れたものの、FSで追い上げ2年連続の3位になった。

2008-2009シーズン、長年悩まされていた腰痛と股関節痛が完治し、万全の状態でシーズンに臨んだ[59]GPシリーズスケートアメリカ、中国杯は他の出場選手に大差をつけて連勝した。地元の韓国で開催されたGPファイナルでは浅田に逆転され2位に終わった。四大陸選手権はSPで当時のISU歴代最高得点を更新し、初優勝を果たした。世界選手権ではSPで再びISU歴代最高得点を更新、2位に大きく差を付ける76.12点をマークした。フリーでは後半のサルコージャンプがすっぽ抜け最後のスピンもノーカウントになる大きなミスを犯すもシーズン初の130点台を出し、総合得点は女子国際大会史上初めて200点の大台に達し初優勝[60]。なお、同大会の開幕直前のTVのインタビューで「これまで競争相手の選手に試合直前の練習を妨害されてきた」と発言したことから騒動となった。

2010五輪の表彰式にて

2009-2010シーズン、3回転-3回転を今までのフリップ-トゥーループからルッツ-トゥーループに変更。GPシリーズエリック・ボンパール杯ではショートプログラムで76.08点をマーク。フリーでは3回転フリップを跳ばないミスがあったが歴代最高得点をマークし、総合得点でもISU歴代最高得点を更新し優勝した。スケートアメリカではSPのISU歴代最高得点を更新、フリーでは3回転フリップで転倒するなどの大きなミスがあり、フリーでは2位。ショートで2位のレイチェル・フラットに大差を付けていたので総合得点では優勝。GPファイナルではミスが続き、安藤美姫に続く2位スタートとなった。フリーでもミスが続いたが総合得点で安藤を上回り、2年ぶり3度目の優勝を果たした。バンクーバーオリンピックでは、SP・FSともにISUジャッジングシステムでの歴代最高得点を更新して金メダルを獲得した。

五輪後、2010年世界選手権では浅田真央に敗れ銀メダルとなった。SPではジャンプ、スピン、スパイラルでミスが続き精彩を欠いた演技で7位。FSでも転倒やジャンプが抜けるなどのミスが続いたが、ほぼ完璧に滑りきった浅田真央の得点を超え1位となり、総合2位へと巻き返した。

ソチ五輪まで[編集]

2010年8月23日、オーサーの所属事務所のIMGが二人の師弟関係の解消を発表し、世界中のメディアが大々的に報道した[61]。オーサーは8月2日に理由を告げられることなく契約を解除されたと報じられた[62]。 しかし、金側はこれを否定、互いに非難し合う事態になった[63][註 1]。新コーチにはミシェル・クワンの義兄にあたるピーター・オペガードが就任した[72]。 1年1カ月ぶりの実戦復帰となった2011年の世界選手権では、オリンピックチャンピオンとして注目されたものの、SPで1位を取るもFSではジャンプにミスが重なって2位となり、総合でも優勝の安藤美姫に敗れ2位、5年連続の表彰台となった。なお獲得賞金の約220万円は、東日本大震災の被災者支援のため国際連合児童基金に寄付した[73]

2011-2012シーズンは休養のため全試合を欠場。[74]。2012-2013シーズン、小学生時代に教わっていた申恵淑を新コーチに迎えての再出発となった[75]

2012年12月NRW杯で1年8ヶ月ぶりに競技会に復帰し、参考成績ながらショート72.27点,フリー129.34点、総合201.61点の高得点を出して優勝した。2013年1月5日に開かれた韓国フィギュアスケート選手権では、GOEで加点され、ほとんどのジャッジが2点以上付けた結果、210.77点で優勝した[76]世界選手権では2位以下に20点以上の大差をつけ4年ぶり2度目の優勝。

2013-2014シーズン、スケートカナダエリック・ボンパール杯に出場を予定していたが、中足骨に軽い損傷が見つかり全治6週間の診断を受けたために欠場を発表した。[77]ソチオリンピックの前には、韓国国内において「ジャンプや身動きなど、全ての部分でレベルが違う」「ジャンプ一つを見てもキム・ヨナがプロバレーボール選手のようなジャンプだとすると、浅田真央は学生のジャンプだ」といった煽るような報道が頻発し、そういう状況を懸念する報道も出ていた[78]ソチオリンピックの期間中には、金より基礎点(BASE VALUE)が高く高得点が期待出来るユリア・リプニツカヤ[79][80]が団体戦金メダルに貢献したためライバル視されたが、金は現地到着後のインタビューで「リプニツカヤが優勝するというような雰囲気があるのはよくない。私も人間ですので。」と牽制し、カロリーナ・コストナーや日本の団体出場選手などを念頭に「日本とかイタリアの選手じゃなくてよかったと思った。」と団体戦不出場のメリットも強調した[81]。2014年2月20日、ソチオリンピックの女子シングルではショートプログラムで1位になるも、フリーでアデリナ・ソトニコワに逆転されて銀メダルとなり、史上3人目となるオリンピック連覇は達成できなかった。演技後キムは「すっきりした気持ちが一番大きかった。引退前の最後の競技をミスせずに終えたことに満足している」と語り改めて引退を表明し[82]、翌日のエキシビジョンでジョン・レノンイマジンでの演技をもって締めくくった。[83]2014年3月6日には、6歳上のアイスホッケー選手と交際中であると発表された[84]

ISU提訴[編集]

2014年3月21日、ソトニコワが金メダルを獲得したソチ五輪フィギュアスケート女子に関し、大韓体育会は韓国スケート連盟と連名で国際スケート連盟の懲戒委員会に提訴する方針を発表。審判にロシア連盟幹部の妻が含まれており、競技直後にソトニコワと抱き合っていた点、過去に資格停止処分を受けたことがあるウクライナの審判が含まれていた点などが、国際スケート連盟の倫理規定に違反している点があると主張[85]。韓国の提訴は実施され、4月16日にISUは受理したが[86]、6月4日に棄却された[87]。また、同時に論争となっていたジャッジの匿名性廃止については、ダブリンで行われた6月11日のISU総会で、廃止賛成30(米国、カナダ、日本など)廃止反対24(イタリア、フィンランド、韓国など)となり[88]、廃止賛成が3分の2に達せず否決された[89][90]

訴訟[編集]

  • 「IMGコリア」とは2010年末までの長期契約を結んでいたが、母親が「管理がおろそかだ」と一方的に契約解除を通告し、IBスポーツと契約した。これを巡っては訴訟沙汰に発展し[91]、金の所属を巡って、2007年4月よりIBスポーツとIMGコリアとの間で争われた[92]
  • 2010年11月、金姸兒は以前所属していたマネジメント会社IBスポーツに対し、未払い金として約6000万円を請求した。
  • 金のマネジメント会社All That Sports社が日本テレビ真相報道バンキシャの練習の様子に関する放映が隠し撮りだとして抗議書簡を送り、日本スケート連盟や国際スケート連盟(ISU)にも公式に制裁を要請することを通知した[93]
  • 2012年6月、高麗大学の教職課程で高校生向けの教育実習を実施した内容に対して、延世大教授の黄相旻がラジオで批判。金姸兒は侮辱されたとして、教授を名誉毀損で告訴した[94]が、6月15日に告訴を取り下げた[95]
  • 2013年4月10日、所属事務所All That Sports社が、採点についての疑問を著書として発表した日本のフリーライターを相手取って損害賠償などを求める提訴の検討に入ったことが判明した[96]

主な戦績[編集]

大会/年 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2010-11 2012-13 2013-14
冬季オリンピック 1 2
世界選手権 3 3 1 2 2 1
四大陸選手権 1
韓国選手権 1 1 1[97] 1 1 1
GPファイナル 1 1 2 1
GPスケートアメリカ 1 1
GPエリック・ボンパール杯 1 1
GP中国杯 1 1
GPロシア杯 1
GPスケートカナダ 3
ゴールデンスピン 1
NRW杯 1
世界Jr.選手権 2 1
JGPファイナル 2 1
JGPソフィア杯 1
JGPスケートスロバキア 1
JGPブダペスト 1
JGPハルビン 2
ゴールデンベア 1 N
トリグラフトロフィー 1 N

詳細[編集]

2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2014年2月6日-22日 ソチオリンピックソチ 1
74.92
2
144.19
2
219.11
2014年1月3日-5日 韓国フィギュアスケート選手権高陽 1
80.60
1
147.26
1
227.86
2013年12月5日-8日 2013年ゴールデンスピンザグレブ 1
73.37
1
131.12
1
204.49


2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年3月10日-17日 2013年世界フィギュアスケート選手権ロンドン 1
69.97
1
148.34
1
218.31
2013年1月4日-6日 韓国フィギュアスケート選手権ソウル 1
64.97
1
145.81
1
210.77
2012年12月4日-9日 2012年NRW杯ドルトムント 1
72.27
1
129.34
1
201.61


2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年4月25日-5月1日 2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 1
65.91
2
128.59
2
194.50


2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月22日-28日 2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ 7
60.30
1
130.49
2
190.79
2010年2月14日-27日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 1
78.50
1
150.06
1
228.56
2009年12月3日-6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 2
65.64
1
123.22
1
188.86
2009年11月12日-15日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレークプラシッド 1
76.28
2
111.70
1
187.98
2009年10月15日-18日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 1
76.08
1
133.95
1
210.03


2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年3月23日-29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 1
76.12
1
131.59
1
207.71
2009年2月2日-8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 1
72.24
3
116.83
1
189.07
2008年12月10日-14日 2008/2009 ISUグランプリファイナル高陽 1
65.94
2
120.41
2
186.35
2008年11月5日-9日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 1
63.64
1
128.11
1
191.75
2008年10月23日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカエバレット 1
69.50
1
123.95
1
193.45


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 5
59.85
1
123.38
3
183.23
2007年12月13日-16日 2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ 1
64.62
2
132.21
1
196.83
2007年11月22日-25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 1
63.50
1
133.70
1
197.20
2007年11月7日-11日 ISUグランプリシリーズ 中国杯ハルビン 3
58.32
1
122.36
1
180.68


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月19日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 1
71.95
4
114.19
3
186.14
2006年12月14日-17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 3
65.06
1
119.14
1
184.20
2006年11月17日-19日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 1
65.22
1
119.32
1
184.54
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 1
62.68
4
105.80
3
168.48


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月6日-12日 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権リュブリャナ 1
107.52
1
60.86
1
116.68
1
177.54
2005年11月24日-27日 2005/2006 ISUジュニアグランプリファイナルオストラヴァ - 1
57.51
1
116.61
1
174.12
2005年9月29日-10月2日 ISUジュニアグランプリ ソフィア杯ソフィア - 1
53.45
1
99.98
1
153.43
2005年9月1日-4日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ - 1
58.63
1
110.20
1
168.83


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年2月28日-3月6日 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー 1
102.98
6
48.67
2
110.26
2
158.93
2004年12月2日-5日 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナルヘルシンキ - 2
51.27
3
86.48
2
137.75
2004年9月16日-19日 ISUジュニアグランプリ ハルビンハルビン - 4
38.87
1
92.35
2
131.22
2004年9月1日-5日 ISUジュニアグランプリ ブダペストブダペスト - 1
47.23
1
101.32
1
148.55


プログラム使用曲[編集]

シーズン SP FS EX
2013-2014[98][99] 悲しみのクラウン
作曲:スティーヴン・サンドハイム
振付:デヴィッド・ウィルソン
アディオス・ノニーノ
作曲:アストル・ピアソラ
振付:デヴィッド・ウィルソン
イマジン
作曲:ジョン・レノン
ボーカル:アヴリル・ラヴィーン
振付:デヴィッド・ウィルソン
2012-2013 映画『吸血鬼の接吻』より
作曲:ジェームズ・バーナード
振付:デヴィッド・ウィルソン
レ・ミゼラブル
作曲:クロード・ミシェル・シェーンベルク
振付:デヴィッド・ウィルソン
All of me
ボーカル:マイケル・ブーブレ
2010-2011 ジゼル
作曲:アドルフ・アダン
振付:デヴィッド・ウィルソン
Homage to Korea
振付:デヴィッド・ウィルソン
ブレットプルーフ
(Bulletproof)
by ラ・ルー
2009-2010 映画『ジェームズ・ボンド』より
作曲:ジョン・バリー
振付:デヴィッド・ウィルソン
ヘ調の協奏曲
作曲:ジョージ・ガーシュウィン
振付:デヴィッド・ウィルソン
タイスの瞑想曲
作曲:ジュール・マスネ
ドント・ストップ・ザ・ミュージック
(Don't Stop the Music)
by リアーナ
2008-2009[100][101] 死の舞踏』より
作曲:カミーユ・サン=サーンス
振付:デヴィッド・ウィルソン
シェヘラザード』より
作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ
振付:デヴィッド・ウィルソン
ゴールド
ボーカル:リンダ・エダー

オンリー・ホープ
by マンディ・ムーア

2007-2008[100] オペレッタ『こうもり』より
作曲:ヨハン・シュトラウス2世
ミュージカル『ミス・サイゴン』より
作曲:クロード・ミシェル・シェーンベルク
ジャスト・ア・ガール
by ノー・ダウト

ワンス・アポン・ア・ドリーム ミュージカル『ジキル&ハイド』より
ボーカル:リンダ・エダー


オンリー・ホープ
by マンディ・ムーア

2006-2007[100] ロクサーヌのタンゴ 映画『ムーラン・ルージュ』より
作曲:クレイグ・アームストロング
揚げひばり
作曲:レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ
リフレクション 映画『ムーラン』より
ボーカル:クリスティーナ・アギレラ
2005-2006[100] パパ、見守ってください 映画『愛のイエントル』より
作曲:ミシェル・ルグラン
演奏:イツァーク・パールマン & ジョン・ウィリアムズ
ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ 映画『ムーラン・ルージュ』より
ボーカル:ニコール・キッドマン
2004-2005[100] 吹雪
作曲:ゲオルギー・スヴィリードフ
ベンのテーマ 映画『ベン』より
作曲:ウォルター・シャーフ
ボーカル:マイケル・ジャクソン
2003-2004[100] 歌劇『カルメン』より
作曲:ジョルジュ・ビゼー
-

スポンサー等[編集]

メディア出演等[編集]

コマーシャル[編集]

  • CJグループ - 「IVY Club」(学校制服)
  • 国民銀行 - 「夏の少年と冬の少女」(企業イメージCM)
  • LG生活健康 - 「シャフラン」(液状柔軟剤)
  • 韓国ロッテ - 「アイシス」
  • LGエレクトロニクス - 「DIOS」(冷蔵庫)
  • 毎日乳業 「ESL 低脂肪乳」 - (牛乳)
  • 韓国P&G - 「ウィスパー・セーフTゾーン」(生理用ナプキン)
  • LG生活健康 - 「Lacvert」(基礎化粧品)
  • 現代自動車 「ガチョウの夢」 - (企業イメージCM)
  • サムスン電子 「Hauzen-風の女神」 - (エア・コンディショナー)
  • ホームプラス ホームセンター[105]
  • 現代自動車 「Blue drive」 - (企業イメージCM)
  • サムスン電子 「ギャラクシーTab」-(スマートフォン)

モデル[編集]

  • 「allure」(2007年5月号)[106]
  • 「ceci」(2008年5月号)[107]

関連書籍[編集]

関連CD[編集]

  • 金妍兒 Fairy on the ICE - プログラム・ミュージック 2003-2008 (Universal Music)
  • 「夢の冬」リナ・パーク&キム・ヨナ(2011年5月19日デジタル・シングルとして発売)
    2018年韓国ピョンチャン冬季五輪誘致のためのデュエット

表彰[編集]

  • 大韓民国国会大賞スポーツ部門大賞(2006年12月)
  • 2006年度コカ・コーラスポーツ大賞MVP(2007年 2月)
  • 大韓体育会最優秀賞競技部門(2007年2月)
  • 大韓民国体育賞競技部門最優秀選手(2009年10月)

広報大使[編集]

  • 冬季五輪平昌招致広報大使(2010,2014,2018年)[110]
  • 「韓国訪問の年」広報大使(2010-2012年)[111]
  • 地上波テレビデジタル化広報大使(2009-2012年)[112]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.60
  2. ^ a b 金妍兒公式サイト PROFILE、2009年3月21日閲覧
  3. ^ キム・ヨナが帰ってきた2012年10月26日 KRNEWS
  4. ^ a b c d 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.108
  5. ^ 故郷で宙に浮く「キム・ヨナ通り」 議会と母側、過去の支援と将来のビジネス、思惑すれ違い激突寸前 産経新聞 2014年3月16日更新、2014年3月17日閲覧
  6. ^ 「Kim Yu-na Captures Skate America Title」『The Korea Times』2008年10月27日更新、2009年3月21日閲覧
  7. ^ (プロファイル)世界フィギュアスケート選手権で優勝した金妍兒『每日經濟』2009年3月29日更新、2009年3月29日閲覧
  8. ^ キム・ヨナ選手、株式会社を設立 母親が代表取締役
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  10. ^ a b c 斎藤貴子編『フィギュアスケート07-08シーズンフラッシュバック』実業之日本社、2008年3月、p.46
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  12. ^ 「ヨナ・キッズ」舞う 韓国で高まるフィギュア熱 『東京新聞』2010年2月25日 紙面から
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  20. ^ 「フィギュアの妖精」金妍兒と一緒にボランティア 2008年4月29日中央日報
  21. ^ 金妍兒が1億ウォン寄付 ‘善行も妖精’ 2007年9月19日 中央日報
  22. ^ キム・ヨナサンタがファンとチャリティ 2008年12月26日 中央日報
  23. ^ キム・ヨナ、ハイチに1億ウォン寄付「Innolife.net」2010年1月19日、20日閲覧
  24. ^ ユニセフ本部が任命する親善大使
  25. ^ ユニセフ親善大使活動に強い意欲聯合ニュース 2011年9月16日
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  28. ^ キム・ヨナ株式会社が誕生、「フィギュア女王から華麗なる転身!?」-韓国サーチナ 2010年4月26日
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  61. ^ フィギュア=キム・ヨナがカナダ人コーチと決別 | スポーツ | Reuters
  62. ^ Kim Yu-na leaves coach Brian Orser| Sports | USA TODAY
  63. ^ キム・ヨナ 決別したコーチを非難 国際ニュース : AFPBB News
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  65. ^ Stay tuned: Choreographer, Kim's management go after Orser| Chicago Tribune
  66. ^ 김연아측 "오서 코치와 불편한 관계, 일방적 결별통보 아냐"10-08-24 15:03
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  110. ^ キム・ヨナ、冬季五輪平昌招致の広報大使に「Wow!Korea」2009/04/24 19:04:00
  111. ^ キム・ヨナ選手、「韓国訪問の年」広報大使に「Wow!Korea」2009/04/29 14:02:00
  112. ^ キム・ヨナ、地上波テレビデジタル化広報大使に「Wow!Korea」2009/06/11 20:01:00
[ヘルプ]
  1. ^ 2010年8月2日にクリケットクラブ内で行われたATスポーツとミーティングで、母親パクミヒ及びエージェントのヘレン・チョイから、サブコーチのトレイシー・ウィルソンと共に理由を告げられることなく一方的に解雇を通告されたとした[64][65]
    しかし、金のマネジメント会社は、韓国メディアに対しては同年5月にオーサーが浅田真央選手のコーチに就任するという噂が流れたころから関係が悪化し、空白期間を置いたのち8月23日にオーサーからコーチ職を辞するという最終通知を受けたと説明した[66]。この内容をロシア、アメリカなど各国のメディアが続報として報道したため、さらに報道が過熱した。しかし、この件に関して、8月25日にIMG副社長(ニューヨーク支局)のDavid Baden氏は浅田とオーサーとのコーチ依頼の話を事実無根とし、「ATスポーツ対して根拠のない誹謗中傷はやめるべきだ」として強く抗議する声明を発表した[67]。  また、オーサーはカナダのCTVのニュース番組Canada AM Morning Newsに出演し明確に否定した[68]。 オーサーは「この全ての騒動は、金の母親の朴美姫氏によるもので、金妍兒は何がどう進んでいるのか知らず、私もそうだ」と述べた[69]。 しかし、金は自身の公式サイトで「私だけでなく、オーサー氏など全員が真実を知っている。私が母と相談し、最終的に決別することを決めた」と否定し、「(オーサーが)事実でないことを言い、事を大きくしたことに対し失望したし、気分を害する」と非難した[70]。また、オーサーは金の新プログラムの使用曲を本人の同意なく明らかにしたことを金のマネジメント会社から非難を受けた[71]

外部リンク[編集]