インゴ・シュトイアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Pix.gif インゴ・シュトイアー
Ingo Steuer
Figure skating pictogram.svg
インゴ・シュトイアー
2014年撮影
基本情報
代表国: ドイツの旗 ドイツ
生年月日: 1966年11月1日(48歳)
出生地: ドイツ ケムニッツ
身長: 173cm
体重: 68kg
元パートナー: マンディ・ベッツェル
マヌエラ・ラントグラフ
元コーチ: モニカ・シャイベ
所属クラブ: Eislaufverein Chemnitz
引退: 1998年
オリンピック
フィギュアスケート
1998 長野 ペア
世界選手権
1993 プラハ ペア
1996 エドモントン ペア
1997 ローザンヌ ペア

インゴ・シュトイアードイツ語: Ingo Steuer1966年11月1日 - )は、ドイツケムニッツ出身の男性フィギュアスケート選手。1998年長野オリンピックペア銅メダリスト。1997年世界フィギュアスケート選手権ペアチャンピオン。パートナーはマンディ・ベッツェルなど。コーチとして、アリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組を5度の世界チャンピオンに導いた。

経歴[編集]

東ドイツカール=マルクス=シュタット(現在のケムニッツ)に生まれ、幼少期にスケートを始めた。マヌエラ・ラントグラフ(Manuela Landgraf)とペアを組んで1984年の世界ジュニア選手権で優勝、同選手権初のドイツ人優勝者となる。1988-1989シーズンよりイネス・ミュラーとペアを組み、欧州選手権で7位になる。

1992-1993シーズンからマンディ・ベッツェルとペアを組み、1995年の欧州選手権に続いて1996-1997シーズンのISUグランプリファイナルおよび世界選手権で優勝。1997年、膝の手術や交通事故に遭うトラブルを経るも、翌年の長野オリンピックで銅メダルを獲得、のちプロに転向した。

コーチとしてはアリオナ・サフチェンコ/ロビン・ゾルコーヴィ組を指導した。同ペアのトリノ五輪出場前、シュトイアーは東ドイツ時代にシュタージ秘密警察)に協力していたという告発を受けた。一旦は代表チームから外されたが、大会直前になってベルリン地裁の処分撤回命令を受けてチームに復帰する。[1]その後もシュトイアーとドイツスケート連盟との確執は続き、サフチェンコとゾルコーヴィはコーチの変更を迫られ、これを拒否したため国からの財政支援を打ち切られるなどしたが、2007年5月、ドイツスケート連盟がシュトイアーを同ペアのコーチとして正式に認めたことにより、騒動は収束した。[2]

2014年の秋に、長年指導していたアリオナ・サフチェンコとの師弟関係を解消してアメリカコーラルスプリングスのフロリダパートナーズアイスデンに移籍し、ジョン・ジマーマンのチームに加わった。給与の未払いと過去のシュタージの関係によりスケート連盟からの援助を受けられないことを理由としている。[3]さらには平昌オリンピックに向けて結成された、韓国初の2組のペアのコーチも担当する。[4]

主な戦績[編集]

大会/年 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98
オリンピック 8 棄権 3
世界選手権 2 4 5 2 1
欧州選手権 7 7 6 2 5 1 2 2 3
ドイツ選手権 4 2 1 1 1 1
東ドイツ選手権 3
GPファイナル 3 1 2
GPラリック杯 3 2
GPネイションズ杯 5 1 2 1 2 1 1
GPスケートカナダ 5 1 1
GPロシア杯 1
GP NHK杯 3 2
ピルエッテン 1

脚注[編集]

  1. ^ <トリノ五輪>シュトイアー、ドイツ五輪チームへ復帰”. AFP BB (2006年2月9日). 2007年11月21日閲覧。
  2. ^ Flade, Tatjana (2007年7月10日). “Mission accomplished” (英語). Golden Skate. 2007年11月21日閲覧。
  3. ^ Steuer joins Zimmerman to train Denney, Frazier
  4. ^ 피겨 페어스케이팅 국가대표

関連項目[編集]

外部リンク[編集]