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レティシア・ユベール
Laëtitia HUBERT |
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| 基本情報 |
| 代表国: |
フランス |
| 生年月日: |
1974年6月23日(38歳) |
| 出生地: |
パリ |
| 身長: |
159 cm |
| 元コーチ: |
Annick Gailhaguet
Pierre Trente |
| 元振付師: |
Mary Scotvold |
| 引退: |
2002年 |
レティシア・ユベール(Laëtitia Hubert 、1974年6月23日 - )は、フランス出身の女性元フィギュアスケート選手で、現在はフィギュアスケートのテクニカル審判員。1992年アルベールオリンピックから2002年ソルトレイクシティオリンピックまで4大会連続女子シングルフランス代表。1991年世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。なお、名前の本来の読みはフランス語でラエティティア・ユベールである。
[編集] 経歴
3歳でスケートを始める。1990年のヨーロッパフィギュアスケート選手権でシニアデビューを果たす。地元フランスで開催されるアルベールビルオリンピックの参加枠が掛かった、1991年世界フィギュアスケート選手権では、オリジナルプログラム(現・ショートプログラム)のウォーミングアップ中に後方から来た伊藤みどりと激突した影響により、26位となる予選落ちを喫してしまう。しかし同僚のスルヤ・ボナリーがこの大会で5位になったため、フランス代表の女子シングル枠は2枠を獲得した。
翌1992年の世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝。同年のアルベールオリンピックではオリジナルプログラムで5位と好スタートを切るが、フリースケーティングで大きく崩れ、12位に留まった。
1994年、リレハンメルオリンピックでは17位に終わる。
1997年、ラリック杯で優勝。ISUチャンピオンシリーズファイナルの補欠となった。同大会を前に出場権があったミシェル・クワンが欠場を決めたため、補欠のユベールに出場の機会がめぐってきたが、出場は見送った。
1998年、長野オリンピックは20位と惨敗。特にフリーではジャンプが殆ど成功出来ず、途中から戦意喪失のような演技となってしまうが、NHKテレビ中継解説の佐藤有香は「彼女のあの態度は選手として恥ずかしい事です」と手厳しいコメントを述べていた。
2002年ソルトレイクシティオリンピックでは15位。オリンピックには4大会連続出場を果たし、長野五輪では酷評をした佐藤有香も「長期間選手としての身体能力を維持できたことは素晴らしい」と評価した。ただオリンピックで結果を残せたとは言い難く、1度も8位以内の入賞はならなかった。同2002年世界フィギュアスケート選手権の出場を最後に現役引退。なお世界選手権は過去9回出場し、1992年と1998年の4位が最高位だった。
現在はテクニカル審判員、コーチとして活動を続けている。2011年、アメリカ・アトランティック・シティでのthe 2011 Caesars Tribute Showでプロスケートに復帰した。
[編集] 主な戦績
| 大会/年 |
89-90 |
90-91 |
91-92 |
92-93 |
93-94 |
94-95 |
95-96 |
96-97 |
97-98 |
98-99 |
99-00 |
00-01 |
01-02 |
| 冬季オリンピック |
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|
12 |
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17 |
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|
20 |
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15 |
| 世界選手権 |
21 |
26 |
4 |
|
棄権 |
6 |
|
6 |
4 |
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|
17 |
12 |
| 欧州選手権 |
14 |
10 |
6 |
|
11 |
12 |
|
12 |
|
棄権 |
|
|
8 |
| ラリック杯 |
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|
3 |
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|
1 |
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| フランス選手権 |
2 |
2 |
2 |
3 |
3 |
3 |
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4 |
1 |
1 |
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2 |
2 |
| 世界Jr.選手権 |
6 |
6 |
1 |
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[編集] シニア
1999-2000 シーズン
| 開催日 |
大会名 |
SP |
FS |
結果 |
| 1999年10月01日-03日 |
フィンランディア杯(ヘルシンキ) |
1 |
4 |
3 |
[編集] 外部リンク