織田信成 (フィギュアスケート選手)
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| おだ のぶなり 織田 信成 |
||
| 2008年NHK杯の表彰台で | ||
| 基本情報 | ||
|---|---|---|
| 代表国: | ||
| 生年月日: | 1987年3月25日(22歳) | |
| 出生地: | 大阪府高槻市[1] | |
| 身長: | 164 cm[1] | |
| 体重: | 52 kg | |
| コーチ: | ニコライ・モロゾフ (2008-)[2] 織田憲子[1] |
|
| 元コーチ: | リー・バーケル[1][3] | |
| 振付師: | ローリー・ニコル | |
| 元振付師: | デヴィッド・ウィルソン | |
| 所属クラブ: | 関西大学 | |
| ISU パーソナルベストスコア | ||
| トータルスコア: | 244.56 | 2006 GPNHK杯 |
| ショートプログラム: | 83.55 | 2006 GPNHK杯 |
| フリースケーティング: | 161.01 | 2006 GPNHK杯 |
織田 信成(おだ のぶなり、1987年3月25日[3] - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年四大陸選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝。
目次 |
人物
大阪府高槻市出身。高槻市立第二中学校、大阪府立阿武野高等学校を卒業し、現在は関西大学文学部英語英文学専修に在籍[4]。
織田信長から数えて17代目の末裔(参考:織田信高家の系譜)にあたる[5]。このことは海外でも紹介されており[6]、デヴィッド・ウィルソンが2004-2005シーズンのフリープログラムに『座頭市』を選んだのも信長にちなんでのことだという[7]。かつては信長の子孫であることが先行して取りあげられた時期があり、その時は違和感を持っていたが、スケートの実力が伴った現在では楽しんでいる[8][9]。テレビ番組で「戦国三武将で有名なホトトギスの歌を詠むなら」とインタビューされた際は「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んだ[10]。
大変涙もろく、2005年のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し泣きし、大逆転のフリースケーティング後にはうれし泣きをした[11]。
勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばある。3回転アクセルは2005年世界ジュニア選手権の公式練習で初めて成功した[12]。柔軟性が高く、スピンはバリエーションが豊富。演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しい[13]。
経歴
母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた[14][5]。1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。2001-2002シーズンは左腕を骨折したため競技会に出場しなかった[15]。
2004-2005シーズン、城田憲子の紹介でカナダのリー・バーケルのもとへ渡る[15]。初めのうちは英語も分からず苦しんだが、ジェフリー・バトルらとの練習を通じて成長した[8]。世界ジュニア選手権で優勝。同大会男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の高橋大輔以来2人目。女子シングルの浅田真央とともに日本勢のアベック優勝となった。
2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦。ISUグランプリシリーズ(GPシリーズ)スケートカナダで3位、NHK杯では初優勝を果たし、本田武史、高橋大輔に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となった。トリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されたものの、採点ミスが明らかになり2位に訂正される(詳細は第74回全日本選手権を参照)。この結果、代表選考ポイントでも僅差の2位となり、トリノオリンピック出場を逃した。年が明けてからは四大陸選手権を制し(同大会での日本人男子シングルの優勝者は本田武史以来2人目)、世界選手権でも4位入賞。日本男子シングル出場枠を1から2に増やした。練習では、体力面で他の選手に劣るという指摘を受け、松本整のもとで筋力トレーニングに取り組み始めた[16]。
2006-2007シーズン、スケートアメリカで優勝し、NHK杯では高橋大輔に次いで2位。2年連続で進んだGPファイナルでは銅メダルを獲得した。世界選手権ではショートプログラムで14位と出遅れたが、プログラムを『ミッション:インポッシブル』に変えて臨んだフリースケーティングでは冒頭の3回転アクセル-3回転トウループ-3回転ループから次々にジャンプを成功させて追い上げ[17]、総合7位に入った。同時に、高橋大輔が2位になったため、2人の順位合計により翌2008年大会の日本男子シングル出場枠は3枠となった。
2007年夏、酒気帯び運転で摘発され、日本スケート連盟から出場停止(国際大会5ヶ月、国内大会3ヶ月)と特別強化指定選手5ヶ月間解除の処分を受け、スケートカナダ、エリック・ボンパール杯への派遣も中止された。復帰戦として注目された11月の西日本選手権は調整の遅れを理由に欠場し、12月の全日本選手権も直前に「過度の精神的重圧」等を理由に欠場した。四大陸選手権と世界選手権の出場権を得ることはできず、年明けのアイスショーにも参加しなかった。
2008年4月、ニコライ・モロゾフのコーチ就任を発表[18]。アイスショーにも復帰した。2008-2009シーズンが始まると、ネーベルホルン杯、カールシェーファーメモリアルと立て続けに優勝。国内でも西日本選手権を制し、GPシリーズ復帰戦となるNHK杯でも優勝。全日本選手権でも優勝した。世界選手権ではSPでフェンスに激突するアクシデントがあり、FSでもジャンプの回数違反を再び犯すも、自身初となる4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させ総合7位になった。同時に、小塚崇彦が6位になったため、2人の順位合計によりバンクーバーオリンピック及び2010年大会の日本男子シングル出場枠は最大の3枠となった。
主な戦績
| 大会/年 | 2001-02 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2008-09 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 世界選手権 | 4 | 7 | 7 | ||||
| 四大陸選手権 | 1 | 4 | |||||
| 世界国別対抗戦 | 3 | ||||||
| 全日本選手権 | 16 | 6 | 5 | 3 | 2 | 2 | 1 |
| GPファイナル | 4 | 3 | |||||
| GPNHK杯 | 1 | 2 | 1 | ||||
| GPスケートアメリカ | 1 | ||||||
| GPスケートカナダ | 3 | ||||||
| ネーベルホルン杯 | 1 | ||||||
| KSM | 1 | ||||||
| ユニバーシアード | 2 | ||||||
| 世界Jr.選手権 | 11 | 1 | |||||
| 全日本Jr.選手権 | 4 | 3 | 2 | 1 | |||
| JGPウクライナ記念 | 3 | ||||||
| JGPスケートロングビーチ | 4 | ||||||
| JGPSBC杯 | 3 | ||||||
| JGPスケートスロバキア | 2 | 2 | |||||
| JGPトラパネーゼ杯 | 7 |
詳細
| 2008-2009 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2009年4月16日-17日 | 世界フィギュアスケート国別対抗戦2009(東京) | 3 79.35 |
4 149.90 |
3 229.25 |
| 2009年3月25日-30日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | 7 76.49 |
8 141.67 |
7 218.16 |
| 2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 6 75.04 |
3 145.22 |
4 220.26 |
| 2008年12月25日-27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 86.45 |
1 157.25 |
1 243.70 |
| 2008年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 81.63 |
1 154.55 |
1 236.18 |
| 2008年10月14日-17日 | カールシェーファーメモリアル(ウィーン) | 2 72.51 |
1 139.05 |
1 211.56 |
| 2008年9月25日-28日 | ネーベルホルン杯(オーベルストドルフ) | 1 77.91 |
1 146.76 |
1 224.67 |
| 2006-2007 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2007年3月20日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 14 67.17 |
6 142.77 |
7 209.94 |
| 2007年1月17日-27日 | ユニバーシアード冬季競技大会(トリノ) | 2 75.96 |
2 148.74 |
2 224.27 |
| 2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 2 81.75 |
2 153.91 |
2 235.66 |
| 2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルグ) | 4 69.15 |
2 147.71 |
3 216.86 |
| 2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 2 83.55 |
2 161.01 |
2 244.56 |
| 2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | 1 81.80 |
2 149.59 |
1 231.39 |
| 2005-2006 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年3月19日-26日 | 2006年世界フィギュアスケート選手権(カルガリー) | 1 36.23 |
3 78.25 |
5 136.73 |
4 251.21 |
| 2006年1月23日-29日 | 2006年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) | - | 1 77.29 |
2 124.40 |
1 201.69 |
| 2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 2 79.90 |
2 138.80 |
2 218.70 |
| 2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | - | 4 67.13 |
5 129.92 |
4 197.05 |
| 2005年12月1日-4日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(大阪) | - | 2 74.15 |
2 142.24 |
1 216.39 |
| 2005年10月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(セントジョンズ) | - | 7 59.84 |
2 133.24 |
3 193.08 |
| 2004-2005 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005年2月28日-3月6日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 121.30 |
2 64.33 |
1 132.09 |
1 196.42 |
| 2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 4 60.81 |
3 124.83 |
3 185.64 |
| 2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | - | 4 57.53 |
1 123.22 |
1 180.75 |
| 2004年9月30日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | - | 2 59.20 |
4 108.61 |
3 167.81 |
| 2004年9月9日-12日 | ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチ(ロングビーチ) | - | 6 50.07 |
4 98.00 |
4 148.07 |
| 2003-2004 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2004年2月29日-3月7日 | 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(ハーグ) | 8 | 10 | 11 | 11 |
| 2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | - | 8 | 4 | 5 |
| 2003年12月11日-14日 | 2003/2004ISUジュニアグランプリファイナル(マルメ) | - | 8 | 7 | 8 |
| 2003年11月21日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | - | 1 | 2 | 2 |
| 2003年10月16日-19日 | ISUジュニアグランプリ SBC杯(岡谷) | - | 4 | 3 | 3 |
| 2003年9月18日-21日 | ISUジュニアグランプリ スケートスロバキア(ブラチスラヴァ) | - | 2 | 3 | 2 |
| 2002-2003 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年3月13日-15日 | ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ) | 1 | 1 | 1 |
| 2002年12月19日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 8 | 6 | 6 |
| 2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 2 | 4 | 3 |
| 2002年10月31日-11月3日 | ISUジュニアグランプリ トラパネーゼ杯(ミラノ) | 10 | 6 | 7 |
| 2002年10月3日-6日 | ISUジュニアグランプリ スケートスロバキア(ブラチスラヴァ) | 3 | 2 | 2 |
| 2001-2002 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2001年12月21日-23日 | 第70回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 16 | 15 | 16 |
| 2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 7 | 3 | 4 |
プログラム
| シーズン | SP | FS | EX |
|---|---|---|---|
| 2008-2009[19] | 仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:ローリー・ニコル |
ワルソー・コンチェルト 作曲:リチャード・アディンセル 振付:ローリー・ニコル |
歌劇『トスカ』より 作曲:ジャコモ・プッチーニ 振付:ニコライ・モロゾフ |
| 2007-2008[20] | 仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:ローリー・ニコル |
映画『ミッション:インポッシブル』より 振付:デヴィッド・ウィルソン |
アラウンド・ザ・ワールド by レッド・ホット・チリ・ペッパーズ 振付:宮本賢二 ニューシネマパラダイス 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:織田憲子、杉田由香子 |
| 2006-2007[21] | フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン 作曲:Bart Howard 振付:デヴィッド・ウィルソン |
映画『ミッション:インポッシブル』より 振付:デヴィッド・ウィルソン 交響曲第4番 作曲:ピョートル・チャイコフスキー |
ニューシネマパラダイス 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:織田憲子、杉田由香子 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン ボーカル:フランク・シナトラ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
| 2005-2006[22] | セビリアの理髪師 作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ 振付:デヴィッド・ウィルソン |
映画『座頭市』より 作曲:鈴木慶一 振付:デヴィッド・ウィルソン |
ルースター 振付:デヴィッド・ウィルソン スーパーマリオブラザーズ |
| 2004-2005 | スーパーマリオブラザーズ[22] | 映画『座頭市』より 作曲:鈴木慶一[22] |
ルースター 振付:デヴィッド・ウィルソン[23] |
| 2003-2004 | ニューシネマパラダイス 作曲:エンニオ・モリコーネ 振付:織田憲子、杉田由香子[24][20] |
禿山の一夜 作曲:モデスト・ムソルグスキー[22] THE Rock 振付:織田憲子、杉田由香子[24] |
Rhythm Delivery[24] |
| 2002-2003 | エル・クンバンチェロ | 映画『マスク・オブ・ゾロ』より 作曲:ジェームズ・ホーナー[22] |
トースト・オブ・ザ・タウン by モトリー・クルー |
| 2001-2002 | エル・クンバンチェロ | 映画『マスク・オブ・ゾロ』より 作曲:ジェームズ・ホーナー[22] |
- |
略系譜
詳細は「織田氏」を参照
織田信長 - 2代織田信高(七男) - 3代織田高重 - 4代織田一之 - 5代織田信門 - 6代織田信倉(養子) - 7代織田信直(養子) - 8代織田長孺 - 9代織田長裕 - 10代織田信真 - (11代から14代は不明)- 15代織田重治 - 16代織田信義 - 17代信成(次男)
信高系の旗本織田家の傍系にあたる。ただし途中で養子が入っており、血筋としては信長の次男織田信雄の子孫である[25]。祖父重治、父信義は大阪通管工業所の創業者[26]。
表彰歴
- 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰(2005年)
脚注
- ^ a b c d 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.54
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009男子シングル読本』ダイエックス出版、2008年9月、p.25
- ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.34
- ^ 『Cutting Edge 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2005年12月、p.39
- ^ a b 斎藤貴子編『COLORS フィギュアスケート男子シングルフォトブック』あおば出版、2006年2月、p.90
- ^ icenetworkによるバイオグラフィー
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.183
- ^ a b 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.61
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.178
- ^ 『Cutting Edge』p.38
- ^ 『Cutting Edge 2007 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年1月、p.18
- ^ 『Cutting Edge』p.33
- ^ 『Cutting Edge』p.29, p.91
- ^ 『氷上のアーティストたち』p.186
- ^ a b 『Cutting Edge』p.36
- ^ 『Cutting Edge 2007』p.13
- ^ [ 2007年世界選手権男子シングルフリージャッジスコア]
- ^ 「フィギュアスケート:織田が渡米 酒気帯び運転改めて陳謝」毎日新聞、2008年4月26日付
- ^ 『男子シングル読本』p.23
- ^ a b 『Cutting Edge 2008』p.26
- ^ 『Cutting Edge 2007』pp.85-86
- ^ a b c d e f 『Cutting Edge』p.91
- ^ 『Cutting Edge 2008』p.20
- ^ a b c 『Cutting Edge』p.37
- ^ 純粋な父子関係に基づいた場合、織田信長 - 織田信雄 - 織田高長 - 織田長政 - 織田長喬 - 織田信義 - 織田信直 -(途中略)-信成 となる。
- ^ (有)大阪通管工業所(会社概要の創始者略歴、前・代表者略歴)
関連項目
外部リンク
- 国際スケート連盟によるバイオグラフィー
- AK GLOBAL AGENT INC. website - マネージメント会社
- Smile Wind - ファンサイト
| フィギュアスケート 四大陸チャンピオン – 男子シングル |
|---|
|
1999: 本田武史 • 2000: エルビス・ストイコ • 2001: 李成江 • 2002: ジェフリー・バトル • 2003: 本田武史 • 2004: ジェフリー・バトル • 2005: エヴァン・ライサチェク • 2006: 織田信成 • 2007: エヴァン・ライサチェク • 2008: 高橋大輔 • 2009: パトリック・チャン |
| フィギュアスケート 全日本チャンピオン – 男子シングル |
|---|
|
1929: 久保信 • 1930: 老松一吉 • 1931: 佐藤金吾 • 1932-1934: 片山敏一 • 1935: 北川静二 • 1936-1937: 片山敏一 • 1938: 神田博 • 1939-1940: 有坂隆祐 • 1946-1947: 有坂隆祐 • 1949: 酒井克巳 • 1950: 有坂隆祐 • 1952: Jack.B.Johnston • 1953: 小林正水 • 1954: 大橋和夫 • 1955: 杉田秀男 • 1956-1965: 佐藤信夫 • 1966-1968: 小塚嗣彦 • 1969-1971: 樋口豊 • 1972-1976: 佐野稔 • 1977: 五十嵐文男 • 1978: 松村充 • 1979-1981: 五十嵐文男 • 1982: 染矢慎二 • 1983-1986: 小川勝 • 1987-1988: 加納誠 • 1989: 藤井辰哉 • 1990-1992: 鍵山正和 • 1993: 及川史弘 • 1994: 天野真 • 1995-1996: 本田武史 • 1997: 田村岳斗 • 1998: 竹内洋輔 • 1999-2000: 本田武史 • 2001: 竹内洋輔 • 2002: 本田武史 • 2003: 田村岳斗 • 2004: 本田武史 • 2005-2007: 高橋大輔 • 2008: 織田信成 |
| フィギュアスケート 世界ジュニアチャンピオン – 男子シングル |
|---|
|
1976: マーク・カックレル • 1977: ダニエル・ベランド • 1978: デニス・コイ • 1979: ヴィタリー・エゴロフ • 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 1981: ポール・ワイリー • 1982: スコット・ウィリアムズ • 1983: クリストファー・ボウマン • 1984: ヴィクトール・ペトレンコ • 1985: エリック・ラーソン • 1986: ウラジミール・ペトレンコ • 1987: ルディ・ガリンド • 1988: トッド・エルドリッジ • 1989: ヴィアチェスラフ・ザゴロドニュク • 1990: イゴール・パシケビッチ • 1991: ヴァシリー・エレメンコ • 1992: ドミトリー・ドミトレンコ • 1993: エフゲニー・プリウタ • 1994: マイケル・ワイス • 1995: イリヤ・クーリック • 1996: アレクセイ・ヤグディン • 1997: エフゲニー・プルシェンコ • 1998: デリック・デルモア • 1999: イリヤ・クリムキン • 2000: ステファン・リンデマン • 2001: ジョニー・ウィアー • 2002: 高橋大輔 • 2003: アレクサンドル・シュービン • 2004: アンドレイ・グリアゼフ • 2005: 織田信成 • 2006: 小塚崇彦 • 2007: スティーブン・キャリエール • 2008-2009: アダム・リッポン |

