講道館

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講道館
講道館国際柔道センター
講道館国際柔道センター
創立者 嘉納治五郎
団体種類 公益財団法人
設立 1882年明治15年)
所在地 東京都文京区春日1-16-30
北緯35度42分29秒東経139度45分12秒座標: 北緯35度42分29秒 東経139度45分12秒
主要人物 館長 上村春樹
活動地域 日本の旗 日本
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講道館正面にある嘉納治五郎

公益財団法人講道館(こうえきざいだんほうじんこうどうかん)とは、柔道家であり、教育家でもある嘉納治五郎が興した柔道の総本山。

概要[編集]

1882年明治15年)5月に嘉納治五郎によって創設され、1909年(明治42年)に財団法人となり、段位の発行、大会開催、講習会、機関誌の発行、書籍の刊行など柔道普及のための諸活動を行っている。平成24年4月1日より公益財団法人に移行した。本館5階に全日本柔道連盟事務局が置かれている。

歴史[編集]

最初の道場は東京下谷北稲荷町の永昌寺であるが、その後、南神保町、上二番町、富士見町、本郷真砂町、下富坂などに移転している。現在の所在地は東京都文京区春日1-16-30。また大阪にも支部がある(「講道館大阪国際柔道センター」大阪市城東区永田4-15-11)。

体の弱かった嘉納治五郎は当身技固技に優れた天神真楊流柔術福田八之助、磯正智に学び、後に投げ技中心の起倒流柔術を飯久保恒年に学んだ。それらを独自の理論で整理、体系化を図り、「」は根本で「」はその応用である、という考えから「術」ではなく「道」を講ずるところとして、名称を「柔術」から「柔道」と改めた。

柔術の技術伝授の制度をあらためて段級制を敷いたが、段位制囲碁将棋から取り入れたとされる。柔道に関する研究は、嘉納治五郎が1932(昭和7)年から講道館医事研究会を組織し医学的課題にも取り組んだ。戦後、研究会は1948(昭和23)年に講道館柔道科学研究会と改称し科学的研究に着手した。研究の成果は講道館柔道科学研究会紀要として刊行され、2009年には12輯目が刊行されている。

世界の柔道の統括団体である国際柔道連盟も、規約第1条で、「嘉納治五郎によって創設された心身の教育システムであり、かつオリンピック種目としても存在するものを柔道と認める」と規定している。初代国際柔道連盟会長は嘉納履正であった。また、嘉納行光第4代館長はアジア柔道連盟会長を務めた。

講道館創立130周年記念式

独自の伝統行事として、館内では、1月に寒稽古を7月に暑中稽古をそれぞれ10日間行っている。2.3.4.5.7.8.9.11.12月は、月例の月次(つきなみ)試合、6.10月には紅白試合が行われている。夏季は夏期講習会二部、一部(形)、女子柔道、少年柔道などが集中して開催されている。

試合については、4月の全日本柔道選手権大会、10月の全日本柔道「形」競技大会、11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、12月の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会(現:グランドスラム・東京)などが全日本柔道連盟との共催で行われている。

講道館の初段に合格すると地方在住者も門人となるが、6段以上の高段者に限っては講道館は名簿を発行している。

戦前・戦中は剣道修道学院有信館空手松濤館大日本武徳会武道専門学校(武専)とともに武道総本山として知られた。GHQにより占領期には制約を受けている。

歴代会長[編集]

  • 初代館長は嘉納治五郎(1882-1938)
  • 第2代館長は南郷次郎(嘉納治五郎の姉の子、海軍少将)
  • 第3代館長は嘉納履正(嘉納治五郎の次男、全日本柔道連盟(全柔連)初代会長 1946-1980)
  • 第4代館長は嘉納行光(1980-2009)(嘉納履正の子・嘉納治五郎の孫で全柔連2代会長)と、嘉納家の人物が代々継承してきたが、高齢などにより2009年4月に退任し、名誉館長となった。
  • 第5代館長は上村春樹で、嘉納家以外で初めて就任した。第21回夏季オリンピックモントリオール大会重量級日本代表で、金メダリストである。ほぼ同時期に全日本柔道連盟会長にも就任した。

機関紙[編集]

機関誌は1898年(明治31年)に「国士」として刊行を開始してから、「柔道」「有効乃活動」「大勢」「柔道界」「作興」「柔道」と改称して現在まで刊行されている。

歴代十段位者一覧[編集]

※ 太字は存命中の人物

※ 女子柔道家の福田敬子は講道館の認定段位としては十段(2006年授与)であるが、2011年の夏に米国柔道連盟から独自の十段を授与されている[1]

柔道殿堂[編集]

十段
九段
八段
七段
六段

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]